02.皆が望む僕
アイツらが見えない場所を殴ったり蹴ったりするように、僕も誰にも見つからない場所に幾つも線を引いた。
笑うことも泣くことも、いつの間にかしなくなっていた。
勉強をすること。それが僕のすべきこと。僕がしたいことなんて誰も必要としない。だから僕も考えない。
線を引く時や昨日引いた線を見る度、少しだけ心が軽くなるような気がした。僕だって心が無いわじゃない。僕は僕が要らない。だからこれは仕返しなのだ。
左腕、足、胸。服で隠れる場所ならどこでもよかった。そうしてストレスを解消すれば、僕はまだ皆が望む僕でいられると思った。
そうして機械的に毎日を消費していたある日、突然担任に職員室に呼ばれた。何も失敗はしていないはず。何もやましいことなど無い。だから素直に職員室を訪ねた。
「先生も君を疑うようなことはしたくない。だけど学年で問題になってしまってね、仕方なく尋ねるんだが」
担任は僕を見据えて言った。
「君、カンニングなんてしてないよな?」
「……え?」
突拍子の無い質問に不意を衝かれて思わず素で返してしまった。
だって、僕がカンニング? そんなことするはずないじゃないか。
「どのテストも毎回100点。この学校も随分と長く続いているが、こんなことは初めてでな。仮にも近隣では一番の進学校だ。それを100点なんて、いくらなんでもあり得ないんだよ」
「でも、僕は……」
どうしたらいいか分からなかった。担任が望む僕はどれだ? どんな回答をすれば満足してもらえる?
満点しか認めない両親と。学年トップを口実にストレスの捌け口にする奴らと。それらと矛盾せずに両立できる担任に望まれる僕になるには、どうしたら。
「学年主任と話し合って、しばらく君に専任の担当職員をつけることになった。明日から君には一番後ろの席に移動してもらうから、準備しておいておくように。すまんがこれが君のためだ」
言い終えると話はこれで終了とでも言いたげに机の書類へと顔を背けられた。
何だか疲れてしまった。とにかく今日はもう帰ろう。帰って体に線を引こう。それでまた明日を頑張ろう。それだけを考えて帰宅した。
そして帰った家には両親が揃って顔を赤くしていた。
「担任の先生から聞いたぞ! カンニングなんてして私達を騙していたのか!」
「ママ友から教えてもらったけど、貴方日頃からクラスメイトを馬鹿にしているっていうじゃない。何で他の子と仲良くできないの? 学年トップだからって何様のつもりなの! 私恥ずかしくて恥ずかしくて、もうママ友と顔を合わせられないわ!」
プツンと切れる音がした。細く細く、それでも大切な何かを繋ぎ止めていた糸のような物が。
「……アンタらが」
両の拳を強く握る。
「アンタらが望んだんだろ? 完璧な僕を! 間違えない僕を! カンニングなんてしてない、クラスの奴らを馬鹿にもしてない、僕はただ皆が望む僕をやってただけじゃないか! 何で信じてくれないんだよ、何で認めてくれないんだよ、どうしたら僕は許してもらえるんだよ!!」
バシンッという音が玄関に響いた。親父が僕を平手打ちした音だった。
「貴様、親に向かってなんて口を利くんだ!」
もう、限界だった。
何がいけなかった? どこが間違ってた? もう分かんないよ。どうしたらよかったんだよ。僕はただ、ただ。
踵を返して玄関を飛び出した。行く宛なんて無かったけど、もう此処にはいられないと思った。
もうこの人生には、いられないと。