第5話 拉致は犯罪です
ガヤガヤと騒がしい店内。所々紫煙が上がるそこで、俺たちは明日の英気を養っていた。
「⋯⋯無理だって。そんな都合の良い人は居ませんよってさ」
「⋯⋯まあ、な」
明日への希望に満ちた酒場ではあったが、俺たちはあまり希望に満ちてはいなかった。それもそのはず、俺たちは翼竜を狩って帰り、そのままカスミがレナさんに相談を持ち掛けたのだ。
今の所フリーで、頭がおかしくなく、俺たちのパーティーに入ってくれそうで、俺たちと実力のバランスが取れそうな、補助魔法と回復魔法が得意な僧侶は居ないか、と。話によると、レナさんはニコリと笑って『もしそんな人が居ればとっくに紹介してると思いませんか?』と言ったらしい。カスミはその笑顔の裏に隠された『馬鹿かお前』という意図を感じて引き下がったらしい。
「そもそも魔力からしてカスミ位かそれ以上となると、普通ならまず人族じゃ見つからないからなぁ」
「そーだけどさぁ⋯⋯」
「その上信仰がカスミの賢さ並みと来ると、やっぱり最低でも頭おかしい感じになっちまうのは仕方ないだろ」
何故頭のネジがぶっ飛んでいる奴が強い可能性が高いのかと言うと、それだけ過酷な修行をしてきたからだ。色んな常識やら何やらを度外視して初めて、ステータス的な高みに登れるのだ。だから武神とか呼ばれる武道家が戦闘狂だったり、魔導王とか呼ばれる魔法使いが誰彼構わず魔法をぶっ放す変態だったりする。まあ、これは話に聞いただけなんだけど。
「俺たちも常識捨てて生きるか? そうすりゃ二人でも古代混沌龍とか倒せるかもしれん」
「えぇー、いいよそんなのー」
古代混沌龍とはその名の通り、古い時代に長い時間を生きていたドラゴンである。厳密な違いは解らないが、大まかに言えばこの世界ではブレスを吐ける大型爬虫類っぽいものを『龍』と呼び、それ以外の大型爬虫類っぽいものを『竜』と呼ぶ。要するに、龍は竜の上位種という事になる。
龍はその特徴が解り易いように、吐くブレスによって属性を冠して呼ばれる。火属性のブレスを吐くなら火龍、水属性のブレスを吐くなら水龍といった所だ。混沌とは全ての属性を合わせ持つものや、全ての属性は持っていないかもしれないが色々混ざり過ぎて解らないものを指し、基本的に単一属性を持つものに比べて圧倒的に強い。魔物は普通長く生きている程強いので、古代混沌龍は探索者にアンケートを取れば、間違いなくぶっちぎりでナンバーワンの強さを持つ魔物という事になるだろう。何故なら、龍はあらゆる魔物の中で最も強いとされているから。
「まあ別に、すぐさま功績を上げなきゃいけない訳でもないしな。ゲームでもあるまいし」
「いや、ゲームはゲームだよ。一切シナリオ的な物が無いっぽいけど」
「⋯⋯最近、それを忘れそうになる」
確かにここはゲームの世界なのだ。ただ、異世界に放り込まれたと言われても違和感が無い程には現実的だが。
「んー、でもそれもいいんじゃない? ゲームだゲームだって思ってるとよからぬ失敗しそうではあるし。そーちゃんは昔から抜けてるからねー」
そう言って、カラカラと笑うカスミ。否定出来ない事実ではあるが、他人に言われるのはムカつく。
「抜けてて悪かったな」
「うぁ!? 痛い痛い、そーちゃん痛い! ごめん私が悪かったから痛い許して!」
「あぁん? 俺って抜けてるからよく解らんなぁ」
現実では出せない威力のアイアンクローは、正に筆舌に尽くし難い痛みを与えるらしい。テーブルの向こうでジタバタしながら謝罪を繰り返す幼馴染を見ながら、別にこのままでも良いかと思った。
◆◇◆◇◆
「だぁかぁらぁ! ここには将来有望な奴は居ねぇのかって聞いてんだよ!」
「いえ、そう言われましても私共は探索者の皆様方の個人情報を漏らす訳にはいきませんので⋯⋯」
ギルドに行ったら、変な兄ちゃんが騒ぎまくっていた。兄ちゃんの見た目は三十くらいだろうか。一メートルくらいの長く細いキセルでカウンターをバシバシ叩きながらレナさんに詰め寄っている。その風貌はタイトルを付けるならば、外国人が勘違いしてしまった日本。所々まだら模様の赤と黒に染め上げられた着流しっぽいものに、下ろせば肩甲骨の辺りまであろうかという金の長髪を頭頂部やや後ろで縛ってポニーテール的な何かにしていた。更によく見れば、左腰の辺りに刀の代わりと言わんばかりに扇子をさしている。
「そんなん気にすんなって! 俺はただ前途有望な若者を育て上げたいだけなんだよ! だからそういう奴を紹介してくれって!」
「しかし──」
レナさんと謎の兄ちゃんの攻防から一旦眼を逸らして隣を見ると、案の定カスミが呆気に取られたかのような表情をしていた。
「おい、カスミ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「カスミってば!」
「ふぁい? な、何、そーちゃん?」
「何だか解らんがあの人はヤバい。スルーしよう」
「そ、そーだね。でも、あんな人この世界に居るんだね」
確かに、俺たちにとってはまさかの和風変人だ。やっぱりこの世界にも何処かに昔の日本っぽい国とかあるんだろうか。
「⋯⋯おい、にーちゃん」
「あぁん?」
俺たちがこそこそとギルド内を男から逃れるように端っこに移動していた所、あの変人に声を掛けた勇者が居た。筋骨粒々のガチガチのタンク型戦士である。
「あ、ソルダークさんだ」
その勇者の名は、カスミの言う通りソルダークだった。ソルダークは学校を出ずに探索者になってもう二十年以上が経つというベテランだ。もう十年もしない内に引退するつもりらしいが、腕は悪くない。若い頃は自己顕示欲と上昇志向の塊だったらしいが、今は性格も丸くなり、逆に新人の面倒を見たりしているらしい。ただ、俺たちは世話になっていないのでよく知らないが。
「⋯⋯何だアンタ?」
「アンタがどこの誰だとか何の目的があってそんな事言ってるのかは知らねぇがよ、俺たち王都の探索者はいつもその人に世話になってる。だからよ、その人をあんま困らせんじゃねぇ」
「ほぅ⋯⋯。困らせたら、一体どうなるってんだ?」
「そりゃあよ、にーちゃん。もしそうなったら、もうこれで決めるしかねぇだろうが」
そう言ってソルダークは右手を胸の前に持っていって、拳を作った。探索者ギルド規定第三条第四項『ギルド内での揉め事はその肉体のみによって許可する』という奴だ。つまり、あの兄ちゃんがレナさんをこれ以上困らせるのならぶん殴るという、ソルダークの意思表示だ。因みに、第三条第五項は『ギルド内での殺人を禁じる』なので、最悪でも死人は出ないだろう。
探索者ギルド規定には他にも色々と細々した物があるが、大雑把に言えば一般的に犯罪とされる事を禁じる物なので、そう意識しなくても問題は無い。後は依頼中の死亡や負傷はギルドの情報と事実に齟齬が無ければ自己責任だとか、倒した魔物の素材をギルドで売る事が推奨されているだとか、その位だ。ギルドでの売買も義務ではないので、世話になっているという理由でワイルドボアの肉を宿屋や肉屋に売ったって文句は言われない。どちらかと言えば、高価な素材を安く騙し取られないようにという配慮でしかない。ギルドの利益を大きく損なう事を日常的にやっていると粛清部隊が来るとも言われているが、定かではない。
「やめてください、ソルダークさん。私を心配してくれるのは嬉しいですが、この方は──」
「レナの嬢ちゃんは黙ってな。コイツは俺が追い出して頭を冷やさせてやる。ほらにーちゃん、掛かって来な」
「ですから──」
ソルダークはレナさんと話しながらも和風兄ちゃんから眼を離さない。その眼は至極真面目で、少しの油断もしていない。弱い者を守ろうという義憤に駆られてはいるように見えるものの、相手の強さが解らない以上、驕りや隙を見せる気配は無かった。見た目が強さに直結しないのはこの世界では常識だ。それが、魔物を相手取る探索者なら尚更の事。
そんなソルダークの考えが解るような警戒態勢を見て、誰もがこれで騒動は終わると思った次の瞬間、轟音と共にソルダークの身体が壁にめり込んだ。
「安心しろ。峰打ちだ」
和風男はいつの間にかキセルを左手に持ち替えていて、右手を突き出した状態のままそう言い放った。
誰もがポカンとした表情のまま止まっていたが、一つだけ深い溜息が聞こえた。
「⋯⋯彼はイズモ。『喧嘩師』の二つ名を持つ、特級探索者です」
頭を抱えたレナさんの言葉に、ギルドに居た探索者のほぼ全員が驚愕の叫びを上げた。と言うか、どうやらレナさんは彼と面識があるらしい。まあ、受付嬢を始めてそろそろ十年になるそうだし、それも不思議ではないが。
「特級探索者⋯⋯!?」
「本当に居るのかよ!」
「峰打ちって、パンチにもあるのか!?」
「いや、無ぇだろ。例えだ、例え」
「つーか、あの格好は何なんだ?」
「それより、ソルダークは大丈夫か!?」
「あー、とりあえず呼吸はしてるな」
「誰か回復魔法を使える奴居るか⋯⋯!?」
「あの男も凄ぇけど、あんな勢いでぶっ飛んで無事なソルダークの頑丈さも凄ぇな⋯⋯」
和風男──イズモが特級探索者だったという事実に、辺りは騒然とする。
特級探索者とは、ある一定以上の功績を上げた探索者の呼称だ。その依頼の多くが魔物を倒す探索者という仕事柄、彼らの多くは普通の探索者とは隔絶した強さを誇る。ガチガチの研究者タイプでもない限り、彼らはぶっちゃけ人間辞めてるとしか思えないレベルで強いので、ひょっこり現れた属性龍の単騎討伐やら、前人未到地帯の探索などを行っている⋯⋯はずである。
「ねぇ、そーちゃん。喧嘩師って事は、喧嘩が趣味とか仕事だったりするのかな?」
「いや、違うだろ。⋯⋯多分」
本当、関わり合いにならなくて良かった。あんなの、俺はともかくカスミが喰らったらミンチだ。翼竜の尻尾より威力があるぞ。喧嘩師の由来は多分、圧倒的な膂力のせいだろう。あれだけの力があれば完全武装の重騎士だって吹き飛ばせるだろうし、相当耐久力がある魔物じゃなければ一撃だ。碌に武器すら持っていないところを見るに、彼の戦い方は恐らく素手のみ。それで魔物を薙ぎ倒していく姿を見られれば、喧嘩師なんて渾名が付くのも頷ける。
「何だ何だテメェら! 文句があんなら掛かって来いよ! 纏めて相手してやっからよ!」
訂正。それに加えてガラの悪さと声のでかさが原因だ。間違いない。
「しっかしよぉ、レナ。王都の探索者もレベルが落ちたもんだなぁ! 昔なら俺が暴れりゃ真っ向から張り合える奴が出てきたもんだがよぉ!」
「それは極々一部の、ほんの一握りの強者のみだったと伺っておりますが。それに、貴方と張り合える方が居なくなったのは他の探索者の方々が弱くなったのではなく、貴方が強くなり過ぎたせいだとも。大体、日々強くなる貴方が百五十年も衰えずに生きていればそうもなりましょう」
「そりゃお前、俺はエルフだから仕方ねぇだろ? 百年もすりゃ人間はおっ死んじまうがよ、俺らエルフは五百年は生きるんだし」
「⋯⋯それでも、貴方のように素手で戦うエルフは他には居ないでしょうに。魔法と叡智に長け、調和と自然を愛するエルフの要素が欠片も見当たりません」
今明かされる驚愕の新事実。彼はどうやらエルフだったようです。⋯⋯だが、レナさんの言う通り彼にはエルフっぽさの欠片も無い。強いて言うなら、金髪である事と耳が長い事だろうか。美形ではあるが眼の下に走る横一文字の傷跡とその表情で獰猛っぽさが先に眼に付くし、キセルを持ってるって事はタバコも吸っているのだろう。エルフって自然の物以外は口にしないんじゃなかったのか? 学校で人間以外の種族について習った時、教師はそう言ってたぞ。⋯⋯いや、化学合成された麻薬でもあるまいし、変な添加物が入っていなければタバコだって自然由来ではあるんだろうが。
「いやいや、そりゃ俺だって魔法も使えりゃ頭も良いぜ? それに自然だって嫌いじゃねーし、調和だって尊いもんだとは思ってる。⋯⋯だがよ、男はやっぱりコレだろ」
イズモは顔の前に握り拳を掲げる。今までの話で解っちゃいたが、やっぱりそんな感じなのな。アレか、お前が好きなのは江戸の華なのか。江戸に帰れ、喧嘩師。今ならまだ許してやらんでもない。ただし火事、お前は駄目だ。
「はぁ⋯⋯。そんな風だから、里を追い出されるのです。前ギルドマスターも嘆いていらっしゃったそうですよ。その粗暴さが無ければエルフの族長も目指せただろうに、と」
「ハッ! そんなんガラじゃねぇよ。ヨボヨボの爺になりゃそりゃ考えねぇでもねぇが、あんな退屈なとこで日々祝詞を上げながら静かに暮らせってか? 森よ大地よ神よ精霊よってやっててアイツらは何が楽しいんだか」
要するに、堅苦しいしきたりから飛び出してきた不良エルフな訳だ。だから逆に一般的に穏やかな気質のエルフとは真逆な性格をしている、と。⋯⋯ぐれた不良息子か。それならあの感じにも納得だ。
と言うか、レナさんちょっぴり口調が悪くなってるな。その不良エルフには雑な対応をすべきってマニュアルでもあるのか。
「ねぇ、そーちゃん。普通のエルフってあの人と真逆なのかな?」
「⋯⋯そうなんじゃないか?」
「ふーん。もっと好きに暮らせば良いのにね。あれはちょっとはっちゃけ過ぎだと思うけど」
「まぁな⋯⋯」
⋯⋯ちょっと、だろうか。『かなり』とか『凄く』とかと間違っちゃあいませんか、カスミさん。
「しっかし、どいつもこいつもしみったれた顔してやがんなぁ! 俺が思わず育てたくなるような奴が居ないたぁ、どういう──お?」
端から順に顔を見ていったのだろう。ゆっくりと回っていたエルフ、もといイズモの顔が止まった。何故そこで止まる!
そう思って睨む──のは怖かったので、見るだけに留めた。⋯⋯ヤバい。俺の中で完全に戦闘狂の判断を下されたイズモの眼が、トランペットを欲しがる子供みたいにキラッキラしてやがる。
「お、お、お、おおぉぉお⋯⋯!!」
「うひっ!?」
まるで神を見た聖職者、あるいは憧れのプロ選手を見たスポーツ少年のように興奮しながらこちらに向かってきたイズモに、カスミが短く悲鳴を上げて俺の背後で身を縮める。確かに怖い。だがカスミよ、俺の後ろに隠れるな。何か俺がもっと怖い。
「居るじゃねーか! 居るじゃねーかよ、レナ! いや、少年! それに少女! お前さんら幾つだ!?」
「に、二十歳だ」
「二十か! いや、十五、六だと思ったぜ! いやいや、それは良いんだ別に! 四十だっつーんなら困るけどよ、二十ならまだ全然平気だぜ!」
「は、はぁ⋯⋯」
バシバシと俺の肩を叩きながら上機嫌に笑うイズモ。そのやたら嬉しそうな顔から眼を逸らすと、レナさんの可哀想な物を見るような表情が眼に入った。
しかしと言うか、やはりと言うべきか。この男、その獣のような雰囲気と比例しているのか、やたら勘が鋭い。俺とカスミが若く見られるのには理由があるのだ。野性の勘でそれを見抜くか。
この世界は人種も含めて大体が西洋風なのでそもそも東洋人は若く見られがちなのだが、俺とカスミはこの世界で三年を過ごしたにも関わらず、全く老いるというか、外見が成長していないのだ。更に言えば、俺は髪は伸びるのに最悪伸びなくても不自然でない毛である髭すら伸びていないので、多分カスミも同じだと思われる。まあ、カスミはそうでなくても髭なんて生えないだろうけど。
「いやすまなかったなテメェら! 確かにテメェらは雑魚で鍛える価値も無ぇゴミ野郎ばっかだったけどよ、ちゃーんと良いのが居るじゃねーか! ぃよし! お前とそこの嬢ちゃん、名前は!?」
「ソ⋯⋯、ソータとカスミです」
「そうかそうか! 俺はイズモってんだ、よろしくな!」
知ってます。さっきレナさんが言ってたから。と言うか、嬉しそうに肩を叩くな。お前の力でやられると無茶苦茶痛い。
「そんじゃあな、レナ! 今度会うのは最低でも半年後ってとこだ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいイズモさん! いくら気に入ってもそれは誘拐──」
「じゃ!」
イズモがビシッと手を上げてレナさんに挨拶をした途端、不意に身体が浮いた。
「へ?」
「ふぁい?」
「行くぞ、若者! 強さの向こう側へ!」
訂正。身体が浮いたというのは間違いだった。どうやら、それに気づかない程の速さでイズモの肩に担がれたらしい。これでも結構自分の動体視力には自信があったんだが、突然の浮遊感とその後の高い位置からの視点でしか何が起こったのか解らなかったのだから、イズモの素早さは俺の常識では測れないレベルにあるらしい。
「お、おぉぉ!?」
「うひゃあぁぁぁ!?」
「ハハハハハ、今日はついてたぜ!」
あんまり高速過ぎて何が何だかよく解らなかったが、道に出てイズモが方向転換する一瞬の内に、屠殺場に運ばれる子牛を見るようなレナさんの顔が見えた気がした。
因みに、そのすぐ後に悲鳴を上げながら視界がブラックアウトした事に、起きてから気づいた。