第4話 頑張ったは良いものの
ある春の日。
アールディア王国の王都にほど近い森にて、俺とカスミは茂みに隠れて潜伏していた。ドクンドクンと煩い心臓を宥めつつ、ただひたすらに待つ。ガサガサという音と重量のある足音で、標的の接近を悟る。先程仕留めた鹿の魔物は、目の前の少し開けた場所に無造作に置かれている。当然そうなるようにしたのだが、血の匂いに惹かれて来たのだろう。それを見付けた奴は喜色満面といった風に無警戒で近付いていく。もう少し。後少し。──今だ!
「グァッ!?」
「そいやあぁぁっ!」
奴が俺たちが仕掛けた罠に嵌ったと同時に、俺は茂みから飛び出で剣を振りかざす。バランスを崩して倒れなかったの褒めてやろう。仕掛けた罠は囮の周囲から半径・深さ共に二メートル程の円。奴は三メートルを超える巨体だが、地上に出ているのは一メートルと少し。首筋が狙い放題だぜ。
いきなりの高低差の変化と、食事を目前にした油断。それに漬け込んで振るわれた俺の刀は奴の首に走る大動脈を断ち切ったのか、凄まじい勢いで血が吹き出してくる。だが奴もさる者、ここいら一帯の頂点捕食者のプライドでもあるのか、失われる血液を物ともせず、悲鳴を上げながらも殴り掛かって来る。
「そーちゃん!」
「おうよ!」
共に何度も苦境を乗り越えてきた相棒の声が聞こえ、俺は暴風のように迫り来る拳をバックステップで回避する。
「風よ、幾重もの刃となりて我が敵を切り裂け。風刃!」
AIに貰った本や学校で習った知識によると、魔法は現象を説明する詠唱をした方が威力が出るらしい。最後のキーワードだけでも発動出来るが、要するにスピード重視か威力重視かという話だ。そして、今回は威力重視である。
空気を圧縮した不可視の刃が奴を襲う。顔と言わず首と言わず突き刺さったそれは、奴の身体から更に血を奪っていく。恐らくこれで決まるだろうが、俺は油断無く構えつつ落とし穴を見詰める。激しい痛みに耐えられなかったのか、奴は仰け反った後に倒れ傷口を押さえてのたうち回るが、次第に動きが鈍っていって、遂には動かなくなった。
「⋯⋯ふぅ」
「やっつけた⋯⋯よね?」
「⋯⋯だろうな」
服や頭に着いた葉っぱを落としながら近寄って来る相棒の言葉に肯定を返して、俺は落とし穴を覗き込む。半分とは言わないが、身体に比べて穴が小さかったのだろう。横になってやや丸まった状態で奴が倒れている。俺は腰に下げた袋から石を取り出し、そこそこの力を入れて奴の頭に投げつける。結構な鈍い音がしたが、奴はノーリアクションである。これが芸人だったら失格だが、今の俺たちにとっては好都合だ。つまりは、息絶えている。
「よし、討伐完了だな」
「うん。オーガの討伐、成功!」
疲れたー、と横で伸びをする相棒の声を聞きながら、俺はオーガの討伐証明部位はどこだったかと考えていた。
「⋯⋯確か角だったか。さっさと剥ぎ取って帰るぞ、カスミ」
「うん! 帰って甘い物食べよう!」
三年と少し前までなら一目見ただけで胃の中身を全て吐き出していただろう惨劇を見てもニコニコと笑っている幼馴染を見て、良くも悪くも俺たちは探索者になったものだと思った。
◆◇◆◇◆
俺とカスミがこの世界で死んでも現実の肉体は死なないだろうと結論を出し、後日『逞しく生きようの会』と名付けた出来事があったあの夜から、既に三ヶ月が経っていた。
俺たちは以前より危険度と報酬が高い依頼を受けるようになり、実力に見合った活躍が出来るようになった。他の探索者たちからは『腹を括った』とか『覚醒した』とか『何か目標が出来た』とか言われているらしいが、まさしくその通りである。俺たちは現実の死という悪夢から覚醒し、この世界での死後どうなるか解らないがとりあえずは腹を括り、毎日を探索者として精一杯生きていこうという目標が出来たのだから。今の所、短期的な目標は良い装備を手に入れる事と、少しずつでも更に強くなる事だった。
そんな俺たちは、オーガの討伐を終えて、探索者ギルドで夕飯にありついている所である。
「しかし何と言うかアレだな。心配事が減ると、それだけで前より飯が美味いな」
「そうだねぇ。このパフェも尚更格別だよ」
俺が今日三枚目の剣牛のステーキを食べながら言うと、カスミが同意してくれる。そんなカスミは本日二杯目の苺パフェを口に運んでいた。
俺たちの意識が居るこの『アルテニア・サガ』の舞台は何の捻りも無くアルテニアという名前なのだが、この世界は実に歪な発展をしている。
まず、見た感じ中世っぽいのに、食文化に関しては殆ど現実と同じ物が食べられるくらいに進んでいる。カスミが食べているパフェには当然のように生クリームが使われているし、チョコレートも掛かっている。ステーキの付け合わせは何故か人参とジャガイモとブロッコリーだし、剣牛は高級和牛のような味と食感である。和洋中という区括りで考えると、俺はまだ洋食っぽいものしか食べた事がないが、大抵の料理屋でパンとご飯の選択が出来るし、白米はどうにも食べた事がある品種のような気がする。中華や和食っぽいものはあるらしいのだが、残念ながら俺たちが行った事のある地域にはなかったので、まだお目に掛かってはいない。
「しかしアレだよな。結局カスミの持ってくるのは厄介事だったな。当たり前のように体感で三年以上経ってる訳で、考えてみれば日給ならぬ年給が百万を下回ってるぞ」
「うぅ、それは言わないお約束だよー⋯⋯」
「いやまあ、そう気にしちゃいないんだが。⋯⋯しっかしイベント的な物に欠けてるよな」
「イベント?」
「ああ。例えば魔王が世界征服に乗り出すとか、街にドラゴンが来襲するとか、辺り一帯を埋め尽くす魔物の群れとか。普通ゲームだとそんなのがあるだろ」
世界征服をしようとしてる魔王を倒そうと勇者が旅立つのがお約束なのに、そもそもその魔王が居ない。ドラゴンに攫われたお姫様を救おうにも、そのどちらも滅多に見ない。その上、ここら一帯では魔物の数が増えている気配すらない。まあ、そうなってもらっても困るんだが。
「まあそれは仕方ないよ。確かに私たちはゲーム中だけど、この世界はこの世界で安定してるからね。例えるんなら、この時代はそういうイベントが頻発するような時代の間の時期なんだと思うよ。主人公の祖先の人が魔王を倒して、その子孫の主人公が活躍するようになるまでの平和な期間みたいな」
「まあ、そんなにポンポン魔王が出てきても有り難みが薄れるしな」
魔王を倒して一月で別の魔王が出てきてたら、勇者の戦いは死ぬまで続くだろう。その内、魔王を何体倒したかが勇者のステイタスになったりする訳だ。一番凄い勇者は弱い魔王を倒しまくった勇者です。でも実は一番強かったのは初代の勇者です、みたいな。
「でも、そーちゃんの言う事も解らないじゃないよ。そーちゃんが言いたいのは、今の私たちにはこれといった目標が無いって事でしょ?」
「ああ。確かに俺たちは日々強くなってると思うし、金も増えてきてる。でも、何のためにそうしているのかが解らなくなってきてるんだよなぁ」
強くなって装備を変えていくのは短期目標ではあるが、その後どうするかが思いつかないんだよなぁ。
「うーん。でもこう言うのはなんだけど、現実でもそれは同じだと思うよ。高校を出て、そうしたければ大学に行って、就職して。それから懸命に働いても、いつかふとそんな事を思うものだと思う」
働いて金を貯めるのは良い。だが、そこから先が見えてこない。結婚して子供を作って、そしていつか子供や孫に囲まれて死んでいく。一般的に幸せとされるそんな生活をするには金が必要だが、しかし誰もがそれだけで満足だとは必ずしも言い切れない。そして、俺は俺できっとその時になってみないと満足だったかは解らない。
「うむむ⋯⋯」
人生に刺激が足りないと思う事はよくあった。だが、その刺激とは何なのか、何があれば満足なのか。恐らく、それを明確に理解して生きている人間はほんの一握りだ。
「あんまり考え過ぎない方がいいよ、そーちゃん」
「そうか?」
「だって、そーちゃんってば中学生の時生きる意味とかそういうのを考え過ぎて鬱病っぽかったもん」
「⋯⋯そうか」
そういえばそんな事もあった気がする。鬱病というよりは哲学者っぽかったんだろうが。まあ、哲学って何なのかはよく解らんが。きっと現実が娯楽に満ち満ちているのは、生きる意味だのを考え過ぎないようなのだろう。
「きっと、難しい事を考えない方が楽しく生きていけると思うよ。生きる意味なんてどうでもいいし、遠い未来の事なんか考えない方が精神的にグッドだと思う。もちろん、今の自分の行動がどういう事態を引き起こすのかは考えた方が良いけど」
つまり、仮に俺がその辺の人にいきなり斬り掛かったとして、いずれは牢獄か処刑台に行き着くだろうという事は考えないといけないが、強くなった結果何をどうするかは考えなくていいって事か。
「⋯⋯それもそうだな。じゃあ一先ず、飯を食って寝るとするか」
「さんせーい」
考えてみれば、俺たちは今日も今日とて依頼帰りで疲れているはずなのだ。明日何が起ころうとも、体調を万全にしておく事に否やは無い。魔王が復活しても、魔物の大群やドラゴンに襲われても、何らかの陰謀に巻き込まれても、体調の悪さが良い結果に結び付く事はあるまい。
◆◇◆◇◆
俺が走りながら投げナイフを投擲しまくっている間に、カスミは杖を構え、言霊を紡ぐ。今日の獲物は翼竜である。飛竜とも言う。前脚が翼に進化した全長五メートル位のトカゲで、イメージ的にはプテラノドンの親戚だ。ただ、後脚は掴んで握り締める事で人間を殺せる位には強靭だし、飛び立つのに助走も要らないし、長い尻尾は一般人がくらえば即死する。当然、ワニっぽい顎の力も非常に強い。ただ、ドラゴンと違って息吹を吐かないからまだ幸いである。
そういえば俺も最近実感として解ってきた事だが、どうも魔法の詠唱は適当で良いらしい。重要なのはキーワードを明確な意思と共に言う事で、詠唱はその魔法の細部の変化を齎すための補助なのだ。一般的に魔法が詠唱によって威力が上がるのは、その補助によって対象により効果的に攻撃出来るからだ。詠唱による補助が必要無い位にイメージ力が半端ない奴は、キーワードのみと詠唱付きの魔法に差が無い事になる。まあ、そんな奴は殆ど居ないから皆詠唱をして威力を上げるのだが。
そして逆に、その気になれば『周囲に当たれ』とか、『直撃するな』といった文言を入れて威力を下げる事も出来る。まあ、色んな魔法が使える奴なら、魔法のランクを下げれば良いのでそんな事をする奴は居ないが。
例えば火球の魔法は火に球の形を取らせて発射する物だが、その事象を言葉にする事でイメージし易くするのが詠唱である。極論を言えば『火よ、飛んでけ。火球』でも、一応は詠唱をした事になり、無詠唱より威力は上がる。ただし、詠唱が短く適当過ぎるためにその上昇幅はほんの僅かでしかない。だから俺みたいな前衛なら、キーワードのみで発動速度を優先するのが一般的だ。そもそも、自分の顔の三十センチ横で魔物の顎が大きな音を立てて閉じられているのに詠唱なんかしてられない。余計な事を考えてたら死ぬ。
「風よ、唸り、逆巻き、引き千切れ。空行く羽虫の翼を毟り、我が敵を地に落とせ。逆さ竜巻!」
『逆さ竜巻』の魔法は、空を飛んでいる奴を地上に落とすのによく使われる魔法だ。竜巻は地上の物を巻き上げるが、これは逆さなのでその逆。それでいて効果範囲外に強い風が吹かないのが実に魔法っぽい。
「ハァッ!」
地面に投げ出された翼竜の噛みつきを頭を飛び越える事で避け、背中を足場にして横に跳躍。右翼の根元に剣を振るう。不安定な足場ながら十分に加速された刃は若干の抵抗を残しながらも地面に突き刺さる。恐らく腱を断った。これでコイツはもう飛べない。チラリと見えた翼竜の顔がこちらに迫って来るのを見て、俺は前方に飛び出す。投げナイフが並んだような口で美味しく頂かれるのは勘弁!
「カスミ!」
「うん! 土よ、強固に結びつき岩をなし、我が敵を打ち据えよ。岩石弾!」
カスミが俺の合図に応えて詠唱をすると、杖の先に直径三十センチ程の岩が出現。まるでプロ野球選手の全力投球もかくやという速度で翼竜の顔に向かって突き進む。
当然当たると思われた岩塊は、翼竜が不意に頭を下げた事で背中に当たる。
「げっ!?」
顔に当たればとどめになっただろう岩石弾だったが、背中に当たった事で即死とはいかなかった。だがダメージは大きかったらしく、翼竜は大きくのたうち回って暴れる。俺はひとまず距離を取ろうと翼の後ろで右斜め前に向かって再度跳躍したが、そこは不運にも唸りをあげて迫る尻尾の軌跡上だった。
「そーちゃん!?」
咄嗟に剣の腹と左腕をクロスして構える事で致命傷は避けられたが、俺はカスミの居る方に向かって吹き飛んでいく。しかも、腕からミシリと嫌な音がした。多分内臓にはダメージは無いが、左腕は折れてるなこりゃ。心なしか剣も少し曲がっている気がする。
左腕を胸に抱き、右手を少し離して転がる。空中浮遊からの不時着時にかなり痛んだが、それでも動けない程じゃない。回転が止まった所で声を上げる。
「大丈夫だ! それより翼竜を!」
「う、うん! つ、土よ、固まり、岩を、強固に、あぁもう無理! 岩石弾、岩石弾、岩石弾、岩石弾!」
⋯⋯うわぁ。魔法使いってあれがあるから怖いよなぁ。
詠唱を諦めたカスミがやけくそで撃ちまくった四つの岩石弾は翼竜の腹に二発、首と頭に一発ずつ当たった。詠唱をしなかった事により速度も岩の大きさも先程より劣っていたが、流石の翼竜でも四連の岩石弾は耐えられなかったのだろう。出会った時に比べて実にか細い悲鳴をあげて、動かなくなった。
「そぉい!」
きっと死んでるんだろうけど、明確に死んだと思えるまで攻撃しろと学校の教官に教え込まれたので、ピクリとも動かない翼竜の喉を右手一本で剣を振るって掻っ捌く。⋯⋯やっぱり何の反応も見せなかったが、これはこちらの被害を抑えるために必要な事なのだ。
現実世界でも、動けないと思っていた捕虜にかなりの痛手を貰ったケースもあるらしいし、カスミが隣に居る状態で翼竜が暴れたら多分助からない。死体に鞭打つようで良い気分はしないが、仕方ない。使わなかったとはいえ左腕が痛んだが、それも仕方のない事なのだ。
「⋯⋯死んだな?」
「⋯⋯そーだね」
「ふぅ、疲れた。と言うか、左腕。えー⋯⋯、光よ、長きに渡り戦い続け、傷ついた我が身を癒せ。──治癒」
翼竜の死亡を目視で確認し、俺は折れた腕の治療に移る。仮に翼竜が死んでなかったとしても、腕は今治しておくべきだ。正直な所、今回は別としても痛みを軽減出来るシステムがあって本当に良かったと思う。万が一腕と剣が間に合わなかったら内臓破裂だったかもしれないし、それが軽減無しの痛みで襲ってきたら、きっと自己治療すらままならなかっただろう。
「ごめんねぇ、そーちゃん。最初の岩石弾が頭に当たってれば即死だったんだけど⋯⋯」
「いや、いいさ。あの尻尾は事故みたいなもんだ。平坦な道で転んだとでも思って諦めるさ」
実際、予想外としか言いようが無かったと思う。もう二回治癒を重ね掛けして、左腕を動かす。うん、問題無いな。
「やっぱり僧侶型の人を仲間に入れた方が良いのかなぁ。そうすれば今回だって耐久上昇の魔法を使って貰えただろうし」
「うーん。まあ、そうかもしれないけどさ。でも言っちゃ悪いけどあんまり当てに出来ないだろ?」
「それはそうなんだけど⋯⋯」
基本的に、俺たち二人のステータスは多分かなり高い。個人的に魔法が苦手なのもあって、俺の使える補助魔法は一種類のみだが、それでも信仰が低い訳ではないはずだ。そこにこの世界の人間の僧侶を入れても、雀の涙程の改善しか見られない可能性が高い。それは、俺やカスミが剣士や魔法使いという枠の中でかなり上の方に位置している事からも解る。
もちろんこの世界には俺たちが見ても化け物かと思うような奴は居るが、そういう奴らはそういう奴ら同士で固まっていたり、頭のネジがぶっとんでいたりする。そんな奴らを仲間として迎えるのは、正直かなり怖い。
「⋯⋯でも、そうだな。帰ったら募集掛けてみるか?」
「うんうん! 変な人でも悪い人じゃなきゃ大丈夫だよ。私、レナさんに相談してみるね!」
カスミが言っているレナさんというのは王都のギルドに居る上級受付嬢だ。上級受付嬢とは、普通の受付嬢とは違い、受ける依頼やパーティー構成などにアドバイスが出来るだけの知識と経験を持った受付嬢の事である。彼女らのアドバイスを聞いて動いていれば、新人の死亡率が半分程になるとかならないとか。
だが、そのアドバイスは安全を重視するあまり、新人に長い期間街中の依頼をしながら訓練をする事を勧めるので、実は新人には不評である。俺たちみたいな一人前程度になるとそのアドバイスのありがたみが身に染みて解ってくるので、女神の如く崇める人も居るのだが。
「さて、とりあえずは翼竜の解体といきますか」
「おー! 頑張れそーちゃん!」
「お前もやるんだよ!」
「えぇー」
翼竜は危険度の割にその報酬額が高い傾向にあるのだが、解体が辛くて臭いのが珠に傷なのだった。