第1話 夏休み初日の襲撃者
どうも、倉谷真司です。
久しぶりに小説を書くので至らない点が多いと思いますが、それでもよければどうぞ。後々ハーレム系になるかもしれません。
刺さるような日光と、陽炎すら見える程の気温。抜けるような青い空には、積乱雲が浮いている。鳥や蝉の鳴き声がそこら中からして、遠くからは電車の音や喧騒が聞こえてくる。
いつも仲良くしている友人達は学校に居るはずだ。彼らには一週間程補習があるらしいが、俺には無い。どうせだったら俺も補習だった方が楽しかったんじゃないかとも思う。
さっき起きて見てみると、携帯には母さんからの帰省しなくても良いという旨のメールが届いていた。どうも父さんが忙しいらしく、母さんもそれに伴い忙しいらしい。要するに、帰って来られても構ってやる暇がないとの事。流石に、高校生と社会人は違う。社会人には一月半にも及ぶ大型すぎる連休がある訳でも無いし、父さんは今日も朝から仕事に追われているらしい。もっとも、自営業の父さんの手伝いをしていても、俺の体感的には母さんはほぼ専業主婦なのだけれど。その辺は疑問だが、別に帰省しなくても良いんならそれで良い。
そんな今日は7月某日。昨日終業式があったので、端的に言えば、俺は今日から夏休みなのである。
高校2年生の俺は、比較的家賃の安いアパートを借りて、地元から遠く離れた私立高校に通っている。成績は中の下で、部活は入っていない。お世辞にもかっこいいとは言えないし、背も特別高くなければ運動も得意ではない。その上勉強も普通のやや下とくれば、クラス内でのポジションは、居ても居なくても変わらない程度の男子生徒である。まあ、動体視力だけには自信があるけれど。
正直どう表現しても田舎としか言えない地元の高校に通うのがが嫌で、都会に対しての漠然とした憧れから渋る両親を説得して今通っている高校を受験したのだが、最近は別に都会も殊更良いものでも無いと考えている。人は多いし、暑いし、煩いし、何だか臭い所も多い。
特にクラスの人気者たちがよく行く辺りなんかは、顔が良い訳でも身長が高い訳でもない上に、全く流行を無視したファッションの俺が歩いていると、まるで場違いのように思えてしまうので、なんだかなぁと思う。
しかし、それは憧れとは違ったというだけで、俺は故郷に帰る気は無い。何処もゴミゴミしていて不快になる事は多いけど、やっぱり都会は便利なのだ。実家のある街なんか、夜になったらコンビニしか開いてないし、遊ぶ所も少ない。そりゃあ自然には溢れているし、夏休みの定番でもある海水浴場だってこの辺りのそれと比べれば綺麗だ。中学までの友達だって居るし、両親だって居る。
だがそれでも、地元に帰れば奴が居る。
思えば俺がこう、若干捻くれた性格になったのも、アイツのせいではないかと思う。別にアイツが嫌かと言われれば、俺はそうでもないと答えるしかないだろう。散々振り回され続けているものの、実の所、俺にはアイツに対して嫌いという感情は全く無い。いや、むしろ好きだと断言して良いくらいだ。何だかんだでアイツは俺に無理難題を押し付けた事は無いし、外見だけ見ればパーフェクトだとも言える。
ただ、もう少しだけで良いからまともな思考回路を搭載して欲しいとは思うのだけれど。
──ピンポーン。
唐突に、俺の部屋のチャイムが鳴る。きっとこないだ頼んだゲームが届いたのだろう。俺は今までの無意味な思考を振り払い、名残惜しいベッドの感触に別れを告げ、玄関に向かう。
印鑑はどこにやったか解らないので、サインでも良いだろう。正直サインで品物の受け渡しが出来るのはどうかと思うが、こういう時は便利だ。運送会社のお兄さんを無駄に待たせる事も無いし、俺は印鑑を探さずに済む。きっとこれが一石二鳥──いや、ウィンウィンの関係という奴だろう。こちらとあちらの両者が得をする。素晴らしい事だ。
俺は玄関まで歩き、ドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開く。
俯きがちな俺の視界にまず入ってきたのは、個人的には品の良いと思える黒いサンダルと白い脚。
ハイヒールじゃない所がポイントだ。ハイヒールを履いた女性は背が高くなるからあまり好きじゃない。俺はそんなに背が高くないから、なんとなく忌避してしまう。別にハイヒールには罪は無いはずなのだが。見えているサンダルの材質も値段も解らないが、恐らくは高くもなく、安くもなくと言った所なのだろう。
そのまま視界を上にずらしていくと、細くて綺麗な脚と白いワンピース。脚の向こうには空色のキャリーバッグが見える。そのキャリーバッグはどこかで見た気もするが、どうやら今日は運送会社のお兄さんは休みらしい。まさかお兄さんが知らぬ内にお姉さんになったという事もあるまい。
腰の辺りまで目線を上昇させると、身体のやや後ろにあるキャリーバッグの取っ手を握る小さな右手が見えた。しかしこの人は腰が細い。思い切り抱きしめたら折れてしまうのではないかとすら思える。まあ、俺にはそんな事をする相手は居ないのだけれども。
そろそろ顔を見ないと失礼に当たるかもしれん。だが、俺の眼はそんな俺の気持ちとは裏腹にゆっくりとしか動かない。
俺の眼はするすると、平均よりやや大きめかもしれない二つの魅惑の膨らみらしきものを通り抜け、形の良いあごのラインに魅了されつつ上へ向かう。
正直堪らんと言いたくなるような健康的な唇に一瞬見とれ、やや小さめで可愛い鼻を通り過ぎ、期待と愉快の感情で彩られた大きな双眸を捉えた所で、俺の眼と思考と時が止まった。
ドアノブに手を掛けたまま、半歩、一歩と後ずさる俺。
「――お……、おま……」
「やはー、そーちゃん。久しぶりだね。それにしても都会は暑くて暑くて……」
顔、声、眼。その三つが俺の記憶の中のアイツとほぼ完全に一致。それを俺の脳が受け入れた瞬間、俺は徐にドアを閉め、静かに鍵を掛けた。
夢だ。きっと。これは夢だ。
──うん。寝よう。夢からは覚めなくてはならないからな。
だが現実とは非常に非情で、振り返った俺の背後でガチャンと鍵が回り、再びドアが開くのだった。
「酷いよ、そーちゃん。いくら私に会えて嬉しかったからって、鍵を閉める事はないと思うよ」
既に反転していた俺は、その声に惹きつけられるかのように、ゆっくりと振り返った。そしてやはり、そこには頬を膨らませた美少女──俺の幼馴染みである、霞が立っていた。
⋯⋯そのリゾート地でしか見ないような麦わら帽子を被ったままここまで来たのか! そんな事を、思った気がする。
◆◇◆◇◆
渋々と。そう、俺は渋々と霞を部屋に上げ、ゴミだの学校プリントだのゲームだの漫画だので埋め尽くされていたテーブルに空きを作り、ストックされていた麦茶をコップに注ぎ、予期せぬ訪問者に出してやった。訪問者はそれを実に美味そうに一気に飲み干し、ようやく一息吐いたのか、人懐っこい笑みを浮かべて口を開いた。
「ひっさしぶりだねー、そーちゃんと会うのは」
「……お前、何しに来たんだよ。そもそも、何でお前が俺の部屋の鍵を持ってるんだ」
「え? ……あー、鍵とかの事だね。こないだおばさんに『夏休みの間そーちゃんのとこに行きたいんですけど』って言ったら、地図と一緒にくれたよ」
「敵は身内に居たか……」
立花霞。それがコイツの名前である。俺とコイツは色々と筆舌に尽くしがたい間柄ではある。
歳は17。家が近所で、昔からついこの間まで──と、同じく17歳のガキでしかない俺が言うのもおかしいかもしれないが、中学卒業まではずっと一緒に居た、いわゆる幼馴染みという奴だ。
正直、顔はタイプだ。というか、コイツのせいで同じクラスの女子があまり可愛く見えない。そのくらいには可愛いと思う。
小さく、それでいて瑞瑞しい、どこかアンバランスさを感じさせる唇。碌に手入れもしていない癖に完璧なキューティクルを誇る、肩に掛からないくらいの長さの黒髪。これまた手入れをしていないはずなのに、理解不能な位に整っている薄目の眉。長く細い手足に、大きめの胸。
──だが、コイツの一番の魅力は何処でも無く、そのくりくりとした眼だ。俺たちが生まれた時には既に故人だった霞の曽祖母が外人だったらしく、何故か隔世遺伝した黒でもなく茶でもなく、外人を彷彿とさせるような青い瞳。
いやいや、落ち着け俺。確かにコイツの瞳は綺麗だし、日本人離れしていて他人の眼を引く。だがそれ自体が魅力なのではなく、その瞳に映るストレートな感情、それが魅力的なのだ。いや、だから違う。
日本には『眼は口ほどに物を言う』という諺がある。それがコイツの場合、明らかに逆転しているのだ。楽しんでいる時は凄く嬉しそうな色をしているし、悲しい色をしている時は慰めてやりたい気持ちに駆られる。
そんな所がまた可愛いと俺は──いや、だから違うだろう。しっかりしろよ、俺。何で霞の良い所ばかり考えてるんだ。
「⋯⋯で? 今度はお前、どんな厄介事を運んできたんだ?」
「うぅ、酷いなぁそーちゃんは。私はそーちゃんに厄介事なんて持って来た事無いじゃないか」
「⋯⋯はぁ」
いつも──とは言わないが、結構な確率で運んで来ているだろうが。大体、二年前の冬だって散々あちこち駆け回るはめになったのを忘れたのか。あの時俺は決意したんだぞ。もうお前の厄介事は背負い込まないと。
「⋯⋯ふふ。溜息とはらしくないね、そーちゃん。そーちゃんは疲れた笑みを浮かべてるのが一番似合うのに」
「はっ倒すぞお前」
「おぉ、怖い怖い。でも私、怒ったそーちゃんは別に怖くないよ。結局、何だかんだ言ってもそーちゃんは私に酷い事はしないもん」
「⋯⋯そうかい」
全く。その自信はどこから出て来るんだ。俺だってその気になればお前に酷い事の一つや二つ──
「出来ないよ」
「思考を読むな、思考を!」
ああ、忘れてた。本気で掛からないと、俺はコイツには隠し事も出来ないんだった。コイツに搭載されている対俺センサーの性能は半端じゃない。正直、魔法でも使ってるのかとすら思うくらいだ。
「まあまあ落ち着いてよ、そーちゃん。今日は夏休みで暇してるだろうそーちゃんにバイトを持って来たんだから」
「⋯⋯バイト?」
「そ、バイト」
バイトってなぁアレですかい? 働いて金を得る、正社員じゃないアレですかい?
「⋯⋯バイトって何なんだ? まさか、またあちこち駆けずり回るような事になるのか?」
「安心して、今回は大丈夫だよ。⋯⋯多分」
「多分って何だ多分って!? お前の『多分』がどんだけ信用できないかは俺が一番良く知ってるんだからな!」
その多分に惑わされてどれだけ被害を被った事か。
多分大丈夫って言われて学校の中庭でキャッチボールしたら窓ガラスを割って怒られるし、多分平気って言われて腐った木の橋を渡ろうとしたら崩れるし。とにかく、コイツの『多分』には全く信頼性が無い。
「⋯⋯へへ。でも、今回は大丈夫だよそーちゃん。何たって、今回のバイトはこの部屋から出ないからね」
「部屋から出ない?」
「そうなのだよ、明智君」
明智君て、金田一かよ。
そんな霞の言葉に、俺は思わず部屋を見回す。テレビ、パソコン、ゲーム、炬燵を兼ねたテーブル、勉強机、本棚。見えない所では、キッチンには白物家電やら何やら。ついでに、風呂とトイレ。
⋯⋯まあ、確かにこれなら大丈夫そうだ。仮にそのバイトとやらがお菓子作りだったとしても、霞は料理も得意だし、小火が出る心配は無い。本を読んで書評なんかを書く訳でも無いだろうし、まさか風呂にマット敷いていかがわしい事をする訳もあるまい。第一、その場合俺はどうすれば良いんだ。
──そうなると、怪しいのはパソコンくらいか。ううむ、微妙な線だ。
「もしかしなくても、それってパソコン関係か?」
「そうだけどさ、そーちゃん。今時の高校生が『パソコン関係』なんて言わないと思うよ」
「やかましいわ! お前と違って俺はあの謎の箱には疎いんだよ!」
「⋯⋯そーちゃん。そーちゃんのパソコンはノート型だからあんまり箱って感じじゃないよ」
「揚げ足取らない!」
仕方ないだろ。俺は全く以てパソコンというか電子機器全般に疎いんだから。電化製品の話をするならば、俺は電球の交換が精々の男なんだぞ。
「まあ、そーちゃんの機械音痴は今関係無いから横に置いとくよ。それでだよ、そーちゃん。パソコンは起動が精々の、伝説的機械音痴のそーちゃんにオススメなバイトがあるんだ」
伝説的は言い過ぎだ! せめて、学校一くらいにしといてくれ。
そんな事を考えている俺を余所に、霞はキャリーバッグを開ける。中に入っていたのは、一枚のディスクと謎の物体。見たとこ、ヘルメットの親戚みたいな何かだ。それ以上は俺には解らん。
「それがこれなのだよ!」
霞は満面の笑みでディスクと謎の物体を突き出して来るが、全く以て正体が解らない俺にとっては、正直意味不明である。まだエジソンやらベルやらに携帯電話を見せた方が──いや、これは流石に言い過ぎか。そこまで自分を卑下する事はない。
「⋯⋯で? 何それ?」
「反応薄っ!? 反応薄いよ、そーちゃん!」
「いや、だからな? そっちのディスクはまだパソコンに入れて使う何か的な物だという事は解るさ。だが、そっちのヘルメットは何だ? 頭に被る事以外は皆目見当も付かん」
「それだからそーちゃんは機械音痴伯爵って呼ばれるのさ⋯⋯」
「伯爵って何だよ!?」
伯爵。それは貴族の位で上から三番目。中々偉い。
⋯⋯ではなく、流石の俺もそんな名前で呼ばれた事は無い。でもちょっと良いかもしれない。伯爵。
「や、伯爵は良いから。伯爵云々は忘れて」
「⋯⋯そうかい」
世の中は、理不尽だ。興味を持った物が尽く否定されていく。ああ、無情。
「とにかく、これはとある企業が何年も前に開発した商品なんだけど、詳しい事言ってもそーちゃんには全く⋯⋯、全く解らないだろうから割愛するね」
「二度も言った!」
「はいはい、押さえて押さえて。⋯⋯まあとりあえず、端的に言うとだね、そーちゃん。これを被ると、ゲームが出来ます」
「何だ、簡単じゃん」
期待して損した。いや、損はしてないし期待もしてないけど。俺の中で、ヘルメット擬きが未知の物体から既知の物体に進化した。
「うーん。まあ、何か釈然としないけど許してあげよう。実際はこれを使うには細かい設定やら何やらがあるんだけど、聞きたい?」
「ごめんなさい」
すいません、パソコンの設定とかも電気屋の人に頼り切りでした。俺は精々インターネットでサイトを見るのが精一杯です。
「⋯⋯だよね、知ってた。まあそれで、だよ。今回そーちゃんに紹介するのは、この機械を使ってゲームをするバイトなの。ここまではオーケィ?」
「OK」
やや巻き舌っぽいのはスルーだ。きっと霞の中に流れる外人さんの血が騒ぐんだろう。
「よろしい。バイト代は三百万で、私の口座に前払い済みだから」
「へぇ、三百万か。三百万ねぇ。⋯⋯三百万!?」
「うん、三百万。二人一組の申し込みだったから、そーちゃんに断られたら泣いちゃうとこだったよー」
あははと笑う霞。いや、問題はそこじゃ無くてだな。
「三百万ってどういう事だよ!? 何かそれヤバい仕事なんじゃねぇの!?」
「だいじょぶだよ。散々調べたけど、特に違法性や問題は無さそうだったから」
「⋯⋯因みに、どうやって調べたんだ?」
「もち、ネットで」
「偶には紙媒体に頼りなさい!」
パソコン関係の話なのにネットのみで調べる奴があるか!
「⋯⋯なあ、それって本当に大丈夫なのか? どうも怪しいと俺は思うぞ」
「大丈夫だと思うけどなぁ⋯⋯」
「だってそれ、絶対普通じゃないぞ。三百万って言ったら普通の社会人の一年分の給料だろ。ネットって、金持ちに都合の悪い事は消して回ってるんだろ?」
「うーん、まあそれはそうなんだけど⋯⋯」
「俺、インターネットで『貴方はネットを使いますか?』ってアンケート取って、『ネットの普及率百パーセント』って話聞いた事あるぞ」
テレビでその調査結果とやらを見た時、あれ程馬鹿馬鹿しいと思ったのは初めてだった。そんなの、プロ野球選手に『貴方は日常的に野球をしますか?』って聞くようなもんだろうに。
「でも、もうお金貰っちゃってるんだよねぇ」
「しかしなぁ⋯⋯」
金を受け取ったなら返せば良い。まさか霞だって三百万もの大金を既に使い果たしている訳でもないだろう。仮に少し使っていたとしても霞の実家は病院なので、最悪親に頭を下げればどうにでもなるはずだ。
そんな俺の考えを読み取ったのか、まるで叱られた犬のように俯いていた霞が頭を上げ、顔の前でパチンと手を合わせた。
「お願い、そーちゃん。私と一緒にゲームやって!」
「むぅ⋯⋯」
「いいじゃない、どうせ夏休みなんだから。暇でしょ?」
「⋯⋯俺にも予定がある」
「そこをなんとか! 私を助けると思って! ね、お願い」
力無く、へにゃりとした笑みと困った顔の中間の表情を浮かべる霞に、俺は深い溜息を吐いた。
「⋯⋯解った。今回は許してやる」
「わぁ! ありがとう、そーちゃん!」
俺がそう言った瞬間、さっきまでとは打って変わって満面の笑みを浮かべた霞は、そのまま俺に飛び付いて来た!
「な、馬鹿! 抱きつくなアホ!」
「えへへー、喜びと感謝の気持ちを表しているのだ!」
「犬かお前は! えぇい、離れろ!」
俺たちは結果的に、そんな、まるでコントのようなやり取りをする。俺はくっ付かれた事に慌てながらも、努めて冷静に霞を引っぺがす。昔から、霞は感動したり嬉しかったりするとやたらと抱きつく癖があった。それは霞の家で飼っていたゴールデンレトリバーも何故か同じで、子供の頃の俺はよく、自分より大きな犬に覆い被さられて顔を舐めまくられていたのだ。
結局の所、俺はいつも最終的に霞の『お願い』を断れない。あの懇々と言い聞かされた犬みたいな霞の顔を見ていると、それでも良いかと思ってしまうのだ。要するに、これが惚れた弱みって奴なんだろう。
腕を剥がし顔を押しのけ、どうにかこうにか霞を引き離した俺に、霞は仁王立ちして宣言した。
「行くよ、アルテニア・サガ!」
◆◇◆◇◆
『行くよ!』と意気込んだは良いものの、実際にゲームを始めるのは翌日という事になった。何故ならば、あのヘルメット擬きが一つしか無かったからだ。あれだけ二人でやるのだと言っていた霞が、その本質はおっちょこちょいだったのを俺は忘れていた。まあ、もしかするとヘルメット擬きを持っていなかった俺が悪いのかもしれないが。
ともあれ、家電屋に行ってヘルメット擬きとその周辺機器などを買って帰り、ゲームのインストールやら何やらを済ませるともう夕食の時間で、更にはそのあと朝早く起きて田舎から出て来た霞が眠ってしまったので、じゃあ翌日からにしようという結論を俺は出したのだ。
翌日。早朝から霞に叩き起こされた俺が朝食を作り、二人してそれをさっさと食べ終えると、また昨日の様に仁王立ちして霞が『行くよ!』と言ったのだった。
「夕飯も朝飯も俺に作らせといて良いご身分だな」
「それはそうだけど、じゃあ代わりに設定やら何やらをそーちゃんが出来るの?」
「実に適材適所だったな、うん」
「でしょ?」
人には得意不得意がある。霞は料理が出来ないが、俺は出来る。俺は電子機器に弱いが、霞はそうでもない。つまりは、そういう事なのだ。
「それで、『アルバート・ノア』だったか?」
「いや、『アルテニア・サガ』だから。アルしか合ってないよ、そーちゃん」
ゲームのタイトルを間違えたのが気に食わなかったのか、霞がジト目でこっちを向いて溜息を吐く。そんな顔をされても罪悪感は浮かばないが、少しは覚えようという気持ちにはなる。
「済まん済まん。で、それは一体どんなゲームなんだ?」
「うーん⋯⋯。そもそもさ、そーちゃんはこのガジェットが何だか知ってる?」
「ガジェットって?」
「そこからかー⋯⋯。まあいいや、そーちゃんだもんね。仕方ないか。それで、ガジェットっていうのはこのヘッドギア──ヘルメットの事だよ」
「ほうほう」
そこはかとなく馬鹿にされた気がするが、許そう。流石にヘッドギアでも被るものだってのは解るっつーの。ヘッドギアとヘルメットの違いは解らないがな。
「これを被ると、ゲームの中の世界に行けるんだ」
「な、何だと⋯⋯!?」
それは衝撃だった。まさか昨今の科学がそこまで進化していたとは⋯⋯!!
「これが作れたのは七十年前に一人の脳科学者が脳の機能をほぼ完全に解明したからなんだけど、その辺は詰まらないから割愛するね。何にしろ、これと根本が同じ物が作られたのは五十年くらい前で、それから暫くはVR──俗にヴァーチャル・リアリティって呼ばれる物そのものを作るのに、色んな人が頑張ってきた訳です。ガジェットで動く、ゲームって分類のソフトが発売されたのが三十年くらい前で、その時は家電屋に行列が出来たらしいよ」
「⋯⋯ふーん。ところで、その初期のゲームは何だったんだ? 昔のゲームみたいに、上から降りてくる宇宙人倒す奴か?」
「やっぱり気になる? でも外れ。そもそも、そんなゲーム出したってマニアとか以外には売れないのは解ってたからね。そんなのだったら、普通のテレビゲームやってた方が楽しいし」
「じゃあ何だ? ⋯⋯もしかしてアレか、世界の絶景を楽しめる奴」
昔、ゲームの映像が現実とに迫るくらいに綺麗になった頃に、そんなゲームが出たって鈴木が言ってた気がする。
「おしい! 確かに初期の頃にそういうゲームはあったけど、違うんだ。正解はね、恋愛ゲームだよ。しかも、十八禁ものと同時発売。一説によると、開発者は独身の人たちばっかだったらしいよ。現実で恋愛できないなら、VRゲームで恋愛しようと執念を燃やしまくったとか何とか」
「⋯⋯前から思ってたけど、凄い奴って変人が多いよな」
多分そのゲームの開発者たちの多くは一生独身だったりしたんだろうな⋯⋯。それでも幸せだったんだろうけど。
「だね。ま、それは良いとして。それからも、ガジェットでは色んなソフトが出たんだ。現実にある色んなスポーツ、職業体験ゲーム、古代の戦争ゲーム、近代の戦争ゲーム、宇宙での戦争ゲーム。凄いのになると、色んな時代を再現したゲームなんかもあったんだ」
「うん? 何でその、時代を再現したゲームが凄い奴なんだ?」
普通、近代とか宇宙での戦争ゲームとかの方が凄いと思うんだが。だって近代の奴は銃とかミサイルとか撃ちまくれるんだろうし、宇宙での奴はきっとビームとかワープとかあるんだろうし。
「まあ、それも物によるって言えば物によるんだけどさ。⋯⋯例えば、日本の戦国時代を再現したゲームって言ったら、そーちゃんはどんなのを思い浮かべる?」
「そりゃあ、天下統一するゲームだろ。それか、兵士になって戦う奴」
「うん、普通はそう思うよね。でもこのいわゆる再現系のゲームではね、凄い奴になるとその時代に存在したありとあらゆる人間、日本だけじゃなくて世界中の国々のどこのどんな人にもなれたんだ。つまり、一定期間の年代の地球を、そこに住んでいる人や自然まで丸ごと再現したって訳。だから、凄いんだ」
「なるほどなぁ⋯⋯」
確かに、それは凄い。昔の話だが、地球の雲の動きを予測するだけでビルの一階層を埋め尽くす程のコンピューターが必要だったのだ。それを、獣や人、その他の自然まで再現するのだ。個々の生物に、種類や立場や環境まで考慮してAIを作ったのだろう。スケールが壮大過ぎてよく解らないが、並大抵の努力ではなかったはずだ。
そもそも、人間が見て違和感を覚えない程に人と変わらない動きをするAIを作った人がまず凄い。以前誰かに聞いた所によると、それは俺達が生まれる前に成し遂げられた偉業だったらしい。
「流石に、虫とか微生物の再現はしてないらしいけどね。それでも当時行われていた事の大半は可能で、発酵とかも出来るらしいよ。まあ、虫の件は『蚊に刺されて喜ぶ奴は居ないだろ』って言葉と技術的・労力的な問題が原因で導入を見送られたとか聞いたよ」
「確かに」
暑さじゃなくて蚊に刺されて夏を感じるのは嫌だしな。それに、黒くて速いあの虫も嫌いだ。他にも、放っておいた傷に蛆虫が沸くのも勘弁願いたい。
「ともかく、そんな感じで発展してきたVRゲームだけど、十年くらい前にある革新が起きた。それが何だか解る?」
「⋯⋯お手上げだ。今でも話についていくのがやっとなのに、その上を行かれてもサッパリだ」
「まあ、そーちゃんはそうだろうね。その革新っていうのはね、魔法だよ」
「魔法?」
魔法っていうとあれか、火の玉を飛ばしたり、風を巻き起こしたりする奴。
「そう、魔法だよ。既存の物理学をすっ飛ばして現象を起こす手段。場合によっては複雑な魔法陣を描いたり、詠唱が必要だけどね」
「そうかい」
何というか、一気に難しそうに聞こえてきた。大体、俺は頭を使うのが苦手なんだ。魔法くらい気合いで発動しても良いじゃないか。
「まあ、このゲームではそう難しくはなさそうだけどね。魔法とかは、普通なら念じてキーワードを言えば発動出来るってさ」
そう言って、霞は『アルテニア・サガ』のパッケージを手に持つ。なんだ、そうか。俄然やる気出てきた。
「じゃ、そろそろ始めよっか。ほい、これ被って」
俺はガジェットを受け取って、頭に被る。
「普通、VRゲームはベッドに寝ながらやるんだ。ゲームを止めて、起きるまでは身体は動かない。脳の電気信号がどうたらこうたらで何とかかんとかだから、呼吸とかの生命維持に必要な事以外は起こらない。ゲームの中で腕を振っても、現実の身体は動かないって事だね」
「そういうもんか」
「うん。だから、ゲームの中で恐怖からおしっこ漏らしても大丈夫だよ」
「漏らさねえって」
俺の言葉に霞はそっか、と言って笑った。
「ほらほら、寝て寝て」
「へいへい」
言葉に従ってベッドに寝転がる俺を尻目に、霞は何やらコードを取り出して自分のガジェットに差し込み、それを俺のものにも繋いだ。
「これ何だ?」
「ゲームの中に入った後、近くに出現するためのコードだよ。これが無いと、凄く離れた場所に出ちゃうかもしれないから、最初から二人でやる場合には必須だってさ。来る途中に電気屋で買って来たの」
「ふーん」
まあ、技術的な事はよく解らん。霞がそう言うんならそうなんだろう。
「後は、『ダイブ』って言うとゲームが始まるよ。私も被って横になるからちょっと待ってね」
霞はガジェットを被り、フローリングに敷いてあった布団に潜り込み、こちらを見る。ベッドと床で少し高低差があるが、さっきのコードには十分に余裕があった。思えば男同士でやる可能性もある訳で、それなのに同じ布団に入らなきゃいけないような大惨事にはならないよう、開発者が気を配ったんだろう。
「じゃあ、せーのっ、で始めるからね。良い?」
「あ、ああ⋯⋯」
正直、今の言葉でキーワードを言いそうになったのは秘密だ。危なかった。いや、危ないって程危なくもないのか?
「玄関の鍵は閉めてあるし、電気も消してある。エアコンも熱中症にならない温度で稼働中。⋯⋯大丈夫だね」
「ああ」
「じゃあ行くよ? ⋯⋯せーのっ」
「「ダイブ」」
そう言った瞬間、少しずつ眠気が襲って来る。最後に、今の科学力って凄いなと思った気がする。