僕と彼女の会話
勉強会が終わると、僕はすぐに後ろをふり返って彼女に話しかけた。
彼女はやはり普通の服を着ており、頬杖をつきながら遠くをみるような目をしていた。
「さっきはごめん」
「さっき?」
「ほら、勉強会が始まる前。県議がきて、話が終わっちゃったから」
「あなたが謝ることじゃないわ」
僕は彼女の口調が気になった。丁寧な言葉を使えば、人とコミュニケーションをとるときに壁ができてしまう。そのため『あなた』という言葉を、同年代の少女が口にすることはほとんどない。
もしかしたら、僕と話すのが嫌で『あなた』という表現を使っているのかと思ったが、みたところ彼女は僕を避けている風ではない。
きっと、元から丁寧な表現を使うのが癖になっているのだろう。
「ところで、早くここからでた方がいいんじゃないかしら」
勉強会の終わりごろ、県議はこの部屋の使用時間が決まっていること、勉強会が終わるとすぐに鍵をかけなければならないことを口にしていた。
「そうだね。そうしようか」
僕はそういうと鞄を持って立ち上がった。
先ほどの言葉は、もしや僕との会話を打ち切るためにいったのではないかと疑ったが、どうやら違ったようだった。荷物を持った彼女が、僕と同じ速度で歩いてくれたから、間違いないだろう。
「今日のこと、入り口でしったんだっけ?」
「ええ」
「ふうん。たまたまここを通りがかったんだ」
「それは――ええ」
僕の質問から答えまで、若干の時間がかかっていた。それだけではなく『ええ』という言葉は短かったのに震えていたし、彼女は視線を逸らしていた。
そのため僕は、彼女の話が嘘だと気づき、彼女の言葉の裏について考えた。
どうやら今日のことを入り口のボードでしった、というのは嘘らしい。
では一体、どこでしったのだろう。
そう考えた僕は、兄と図書館であった際、ここで県議会議員の勉強会に参加する、と話したことを思いだした。
もしや彼女は、あの時にここのことをしったのだろうか?
「ところで」
僕の思考は、彼女によって中断された。
「あなたは、あの議員のブログでしったのよね」
そんな嘘をついていたな――僕はそう思いながら頷いた。
「まあね」
「それで、お兄さんを誘ってきたんだ」
「そんなとこかな」
無理に話を訂正する必要はない。僕はそう思った。彼女に好意を抱いている以上、当然のことだ。
そのため僕はなにもいわず、彼女をみた。
ナチにみえない人間は久しぶりだったし、話していてストレスが溜まらない相手も久しぶりだった。今日はじめてあった相手だからぎこちなさはあったものの、彼女といれば気が休まりそうだった。
それに彼女といることができれば、社会全体への怒りがなくなっていくような気がした。
そう考え、またどこかであえないかと誘おうと考えたものの、うまく口を開けなかった。緊張で舌が張りついてしまったのだ。
そのため深呼吸をしてリラックスしようとしていると
「ねえ、図書館にはよくくるの?」
ときかれた。
「いや。たまたまだよ」
「そう。私、よくあそこにいるのよ。特に土日は」
「へえ。友達と遊びにいったりしないんだ」
「一人で過ごす方が楽なのよ」
僕は彼女の顔をみつめた。その顔は全体的に引き締まっていたし、口は堅く閉じられている。
また、目は細く、眉毛の位置は低い。
優秀な人間の特徴を、すべてかねそろえた顔つきだった。
偏見かもしれないが、人は有能になるにつれ孤独を好んでいくものだ。
恐らく、彼女も他人といることが嫌なのだろう。そういえば彼女は図書館で一人きりだったし、今日の勉強会にも一人で参加していた。
「遊ばないわけじゃないわ」
僕は彼女の言葉をきき、いつの間にか落としていた視線をあげた。
「たまには、遊びにいきたいと思うもの。あなただってそうでしょ?」
「まあね」
僕はそう答えながら、内心で首を捻った。急に僕に話題をふる理由がわからなかったのだ。
ただ、話をふってくれたのはありがたかった。人と近づくためには、相手の話をきくのが一番だからだ。
「社会派な映画をみにいくときとか、誘える相手がいなくて困ったりしない? 同い年くらいの子って、政治に興味がないから」
僕は彼女をじっとみつめた。
すぐに目を逸らされたものの、彼女の頬が赤かったことと、先ほどの言葉がどもっていたことから、彼女がなにをいいたいのか、話をどこに持っていこうとしているのかに気づいた。
「まあね。政治の話をすると、ひかれちゃうから」
「そうよね」
彼女はそういうと、口を閉じて僕をみつめてきた。
やはり、と僕は思った。
彼女は、僕と一緒に遊びにいきたいのだ。『映画をみにいこう』と率直にいわないのは、奥手な性格なのだろう。
僕はそう考え、自分の考えに間違いがないかと、深く考えてみた。
彼女が僕をからかっている可能性はゼロではないが、初めてあった相手にそんなことをする理由が思いつかない。
「俺、政治には興味あるからさ。今度、社会派映画でもみにいこうか」
僕は勇気をだしていった。
「ええ」
「じゃあ、連絡先をしりたいから、メルアド教えてよ」
「わかったわ」
僕は携帯をとりだしながら、これが白昼夢である可能性について考えた。
女性に好意を抱いていた所、その女性も僕に好意を抱いていたのだ。それに、その女性と一日に二度もあった。偶然にしてはできすぎている。
そこまで考えた時、僕はすべてを悟った。
彼女は、図書館で僕が兄に噛みついた時、隣にいた。その時、僕が素直な感情を吐きだしたことで気になったのだろう。
そして、僕がこの建物で県議会議員の勉強会に参加する、と口にしたことを思いだし、ここにきたのだ。
彼女が『欺瞞だわ』と呟いた理由もわかった。僕が『欺瞞だ』と呟いたのをきき、シンパシーを感じさせるために口にしたのだ。
「あの――」
「なに?」
「なんでもない」
僕は、途中まででかかった言葉を飲みこんだ。
僕の考えに確証はなかったし、考えがあたっていたとしても、彼女を嫌いにはなれなかったのだ。
普通の男であれば、女性に同じことをされればストーカーだと思って気味悪がるかもしれない。
だが僕は、僕の率直な感情を受け止め、理解してくれた彼女をいとしいと思った。
そしてそれ以上に、孤独を埋めさせてくれ、僕を止めてくれる相手が欲しくてたまらなかったのだ。




