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僕と彼女と市議会議員


 彼女はしばらくすると、県議に向けられていた瞳を僕の視線に合わせた。

「なに?」

「あ、いや――」

 僕はためらった。なんといえばいいのか、わからなかったのだ。

 先ほどの言葉にシンパシーを感じた、といったところで、怪訝な顔をされるだけだろう。

「こういうところに若い子がくるなんて、珍しいと思って」

「あなただって若いじゃない。さっきの、あなたの友達も」

 彼女は吐き捨てるようにいった。

「友達?」

「携帯が鳴ってでていった人。あなた、図書館で一緒にいたじゃないの」

「ああ、あれは友達じゃないよ。アニキ」

「そう。図書館で話をしてたから、てっきり――」

「どうも。いやー、今日は若い人が大勢きてますね」

 僕は前を向いた。

 ホワイトボードの前にたった県議が、笑顔を浮かべて机に手を置いているところだった。

「始まるみたいね」

 彼女はそういうと、視線をわずかながらにずらした。

 どうやら、話をうちきるつもりらしい。

 そう気づいた僕は、話しかけたい気持ちを抑え、県議をみた。

「いつもは四十とか五十の若い人が大勢来られてますが、今日は十代のすごく若い人が来られてますね」

 県議がそういうと、座っていたナチの兵士たちから小さな笑い声が漏れた。

「特に、そこの女の子。入り口でボードをみて、興味を持ったっていって、今日の許可を貰ったんですよ。若い人でそんなエネルギーを持っている人、滅多にいませんね」

 県議は、僕の後ろの席に座った少女を手で差しながら、そういった。

 僕は後ろを向きながら、彼女は僕と同じだと確信した。

「そこの男の子。君は今日のこと、どこでしったんですか?」

 突然そういわれ、僕は驚いた。

 他の誰かのことかと考え周囲をみまわしたが、主婦や老人ばかりで『男の子』は僕しかいない。兄はまだ席に戻っていなかったのだ。

 周囲は、僕に視線を向けていた。更には県議までが僕を向いていることに気づき、僕は軽く赤面してしまった。

「もしかして、ブログをみてくれたんですか?」

「はい」

 僕は一瞬だけ迷ってから、そういった。周囲の視線から一刻も早く解放されたかったのだ。

 本当は、兄に誘われてきたのだった。

 兄はまじめで控えめな、自分に反抗しない女性を好いていた。そういった女性は政治に興味があることが多いから、兄は目当ての女性がいるときだけ政治に関心を持ち、関わろうとするのだ。

 すでにつきあっている女性の気をひくために政治について調べることはないから、先ほどの彼女は、遠くないうちに捨てられるのだろう。いや、もしかしたら二股をかけられるのかもしれない。

「反対の署名はしてくれました?」

「いや。まだです」

 僕はそういった。署名をしたといった後、もしも僕の名前を調べられて署名がないことがばれたら、問題になってしまうためだ。

「そっか。署名用紙あるから、後で署名してください」

「はい」

「それにしても嬉しいですね。政治に興味のある若い人がきてくれて。――あ、みなさん若いですけど。五十とか六十とかですもん。不老不死の仙人に比べるとまだ子供ですよ」

 県議はそういって、再び笑いを誘うと、表情をやや引き締めた。

「じゃあ、そろそろ始めましょうか」

 県議は手に持っていた紙の束を、最前列の机に置き始めた。

「これ、後ろの人に回してください」

 県議会議員の言葉に従い、列の最前列にいた人々が、次々に後ろに書類を渡していった。

 書類は少しずつ後ろにいき、遂には僕の手元まできたので、僕は後ろにいた少女に書類を渡した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 少女は短くいうと、素早く署名用紙を手にとった。

 えらくぶっきら棒ないい方だった。先ほどまで普通の口調で話していたから、彼女の物いいが奇妙に感じられたこともあるのだろう。

 その時、やや大きな音がきこえ、髪を掻きながら兄が部屋にはいってきた。

「すいません。ちょっと、彼女から電話があったんで」

「いいですよ。別に」

 県議はそういって笑い、ホワイトボードを使いながら、書類の説明を始めた。

 県議の話はわかりやすかった。

 病院を民営化した場合、小児科や救急といった不採算な部門が廃止される可能性があること、経営を改善すれば病院が黒字になる可能性があること、といったことをいい淀むことなく、ユーモアを交えながら説明していたためだ。

 僕は感心した。

 その一方で、県議から本気が感じられないことに、苛立ちを覚えていた。

 県議の話はゆったりとしたもので、まるで情熱が感じられなかったのだ。目の前に幾らでも問題点が挙げられているのに、そのことに対する怒りが微塵もなかった。

 そのため僕は、県議が本気で病院の民営化を止めようとしているのか、それとも票を稼ぐために行動しているのかがわからなくなってしまった。

「ま、今のままじゃ絶対に民営化されてしまいますから。みなさん、できるだけ多くの人に署名をお願いしてください。知事の暴走を止めるには、民意の後押しがいりますから」

 県議が笑いながらそういったとき、僕は彼が、本気ではないと悟った。

 恐らく彼は、病院の民営化に反対しているし、県民のために戦おうともしているのだろう。だが、命と引き換えにしてでも民営化を阻止するという気概はないのだ。

 勿論、なにもしていない僕に比べれば随分とマシなのだろうが、僕には彼の存在が欺瞞に満ちたものに思えて仕方がなかった。

 所詮はナチの兵士で、僕の味方になってくれるわけではない、そう思ったのだ。

「あ、そうだ。署名の紙を渡しますから。よければ家族の人とか職場のしりあいとかに頼んで、署名してもらってください」

 県議はそういうと、名前の欄が空白になった署名用紙を回しはじめた。

 先ほどと同様、前から後ろへと送られる形だったため、署名は僕の元にきた。

 署名を受けとった僕は、先ほどの少女に渡そうとして、一部だけを手に持って後ろをふり返った。

 その時、僕は驚いた。

 彼女はナチの軍服ではなく、青いチュニックを着ていたのだ。


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