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図書館のなかで


「欺瞞だ」

 僕は低い声で呟いた。自分の限界が近づいていることがわかった。

 なにかストッパーになるものがなければ、いずれ僕は胸に抱いた怒りを外に吐きだし、社会にぶつけてしまうだろう。社会そのものに、なんらかの報復的な行動をとってしまうことだろう。

 その行動は、恐らく大声で叫ぶような生易しいものではない。凶器を持って凶行に及ぶという、圧倒的な破壊を行ってしまうに違いない。先ほど抱いた殺意があふれかえり、人を殺してしまうに違いない。

 そんな確信があった。

 どうすれば自分を抑えられるのだろう――。僕はそう考えながら手を顔から離し、いつの間にか流れていた涙を拭いた。

 その時、兄の座っていた席の一つ向こうにいた少女と目があった。

 ナチの親衛隊女性補助員の黒い制服を着た、十四、五歳の少女だった。つまり僕と同い年くらいだが、僕の学校で彼女をみたことはなかった。多分、別の中学の子だろう。

 僕はそんなことを考えながら壁を向き、なんとなく彼女を横目で眺め続けた。

 肩幅は狭く、肌は白い。髪は腰まで届きそうだった上に、黒毛のままで染めていなかった。

 それだけだといつも図書室にいるような、華奢で繊細な女性に思ってしまう。だが、目の前の少女はまったく違うタイプだろう。

 彼女は右ひじで頬杖をつき、左の足を右の足に乗せるという、大きな態度をとっていたのだ。

 また、僕をみる目は細く、猜疑心に満ちた性格の持ち主であることが一目でわかった。

 僕は彼女の目が怖くなった。兄との話をきき、少女を追い詰めてしまった僕を軽蔑しているのだろうと思ったのだ。

 だから僕は、逃げるように席をたった。


 僕は図書館からでると、自動販売機の前で彼女と一緒にジュースを飲んでいた兄に声をかけることなく、隣の建物に入った。県議会議員の学習会にいこうと思ったからだ。

 本当は兄と一緒にいたくなかったが、約束したことを反故にするわけにはいかなかった。

 そのため僕は、受付側のロビーにある椅子に座り、置いてあったパンフレットを眺めるという、くだらない行為を繰り返すことにした。

 しばらくすると兄が一人で現れた。兄の彼女の姿はみえなかったから、先ほどの兄の姿をみて一緒にいるのが嫌になったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、兄は僕をみて目を逸らし、階段を上っていった。

 しばらくして、僕も階段を上った。

 三階につくと、僕は周囲をみまわしながら、塵一つない廊下を歩いた。

 汚れがまったくない、清潔感の溢れる壁をみながら歩いていると、探していた場所はすぐにみつかった。

 エレベーターの出口から右手に歩いていると、県議会議員の名前と県立病院民営化の反対の勉強会と書かれた垂れ幕が、白い壁に張られていたのだ。

 僕は垂れ幕のすぐ左にある出入り口から、なかに入った。

 部屋のなかには、三人掛けの机が四つずつ、二列に別れて置かれていた。

 部屋の前方にはアナログの壁掛け時計とホワイトボード、そして机があった。恐らくここで県議が講演をするのだろう。

 僕はそう思いながら、兄の姿を探した。

 椅子がほとんど埋まっていたので人の数は多かったものの、兄は最前列右の机の中央という目立ついちにいたため、すぐにみつかった。

 僕は兄を素通りすると、最後尾から二番目の、右の机の右端に座った。

 県議会議員らしき人物が現れたのは、それからほどなくしてのことだ。

 ヘルメットをかぶって銃を担いだ、ナチの男性兵士だった。その容姿だけなら講演をききにきた人間のように思うだろうが、他のナチの兵士が頭を下げたり『先生』と呼んでいることから、彼が県議会議員だとわかった。

 県立病院の民営化に反対し勉強会まで開いているときき、社会の変革に燃える、エネルギーに満ちた熱い人間を想像していたが、目の前の男性からはまるで闘争心が感じられなかった。にこにこと笑顔を浮かべていたためだろう。

 そのため軽い失望を覚えていた僕は、議員の後に部屋に入ってきた少女をみて、目を細めた。

 先ほど図書館で僕をみていた、態度の大きな少女だったのだ。

 こんな偶然があるものなのか――僕はそう考えながらも、どこか心のなかで納得していた。この建物は、図書館の隣にある。待つまでの時間を潰すなら、誰だって図書館にいくだろう。

 そんなことを思っていると、兄の携帯が大きな音で鳴った。

「あ、やべ」

 兄はそういうとたちあがり、県議会議員に頭を下げてから、部屋をでていった。

 へらへらと笑顔を浮かべていたから、病院の民営化に反対しようとか、空気を読もうといった考えは、例によってまるで頭にないのだろう。

 僕はそう考え『欺瞞だ』と呟こうとした。

 だが、口は発音する途中で止められてしまった。

「欺瞞だわ」

 そんな、僕が思っていた通りの言葉が後ろからきこえ、驚いてしまったためだ。

 僕は後ろをふり返った。

 先ほどの少女が座り、右手で頬杖をついていた。

 窓の側だったため、高い日の光が彼女の顔の左側を照らしていた。

 そのため、彼女がここではないどこかをみつめるような、遠い目をしていることは容易にわかった。


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