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最終章


 気づいた時、僕はまた牢屋のなかにいた。

 前回、前々回と同じく、コンクリで周りを固められた狭い牢屋で、壁の一面は格子になっている。

 それだけならばこれまでと同じだが、今回は大きな違いがあった。

 誰一人として、格子の前を通らなかったのだ。最初は時間の遅れかと思ったが、どれだけ時間が過ぎても人が現れず、足音がきこえなかったこともあり、僕は困り果てた。

 誰も通りがからなければ、僕はこの牢屋からでられない。そう思ったのだ。

 そこでため息をついて下を向くと、服の袖口が濃い緑であることに気づいた。

 先ほどまで来ていたジャケットは黒色だった。もしや、暗闇のせいで色が違ってみえるのだろうか。

 そう思ったものの、服そのものが違ってみえる。

 そこでたちあがって自分がどんな服を着ているかを確認すると、服には襟章や鷲章がつき、腰をベルトで締めていることに気づいた。下は、服と同色のズボンを履いている。驚いたことに、いつの間にか軍帽までかぶっていた。

 ナチの軍服だった。

 また、右の胸ポケットになにかが入っていることに気づいた。取りだしたところ、手のひらに収まるほど小さなものだった。

 右手を広げ、暗がりのなかで目を凝らすと、僕が握っているのが鍵であることに気づいた。

 自転車や家の鍵のような、みなれたものではない。

 解錠用のギザギザとした金属と、鍵かけにつけるためと思しき穴の開いた円がそれぞれ両端についた、錆びついた鍵だった。

 僕はその鍵をじっとみつめ、これまでみた夢のなかでも、服に鍵があったのだろうかと思った。だとすれば、なんでこんなことに気づかなかったのだろうと思った。

 僕は格子をみた。

 錠は格子の向こう側にあったので、手を伸ばして鍵を差しこんだところ、鍵は簡単に外れ、僕は牢屋からでた。

 あまりにあっけなかったので、自分でも驚いたほどだった。

 しかし、もしかしたらこれは第一の関門で、第二第三の関門が残っているのかもしれない。そう思って、牢屋をでると周りをみまわした。

 僕の入っていた牢の両隣は、コンクリの壁だった。

 右側も同様にコンクリで固められていたので、道は横幅一メートル近くあるのに、みていて窮屈に感じられた。

 道は左右に別れていた。どちらを進んだものかと悩んでいると、左側から、女性がすすり泣くような声がきこえることに気づいた。

 非常に小さな声だったし、コンクリで反響していたため誰の声かはわからなかったが、無視を決めこむわけにはいかなかったので、僕は左に向かって進んだ。

 しかしいくら歩いたところで、なにも現れない。暗いためはっきりみえるのが十メートルほど先であることを差し置いても、この先になにかがあるようにはみえない。

 道の両側にあるコンクリの壁に、なにかないかと思って目を凝らしても、特筆すべきものはみつからなかった。僕の牢屋の前にあったように、テレビがはめられていることはなかったし、落書きが書かれていることもなかったのだ。

 コケもなかったから、誰かが手入れをしているのだろうか。そう考えていると、暗闇の先になにかがみえた。

 道の中央にある。かすかに動いているからどうやら生き物であるらしいが、それがなんなのかはよくわからない。

 そのため目を凝らしながら近寄っていると、生物の輪郭が次第にはっきりとしてきた。

 犬だ。

 後ろ脚を床に置き、前足で上体をたたせるという姿勢になって僕をみている。

 顔や四本の足、腹部といった、僕からみえる部分は総じて白かったものの、鼻の上や耳、尻尾はくすんだきつね色だった。

 僕はその犬に覚えがあった。僕が拾い、母の手によって保健所に送られ、ガス室で処刑された愛犬だったためだ。

「チウネ」

 僕はそう叫んで駆け寄ると、しゃがんでチウネを抱きしめようとした。

 だが、チウネは素早く後ろに走り去ってしまった。

「待ってくれ! チウネ! いかないでくれ! 俺のしたことを謝らせてくれ!」

 僕は叫びながら走ったが、チウネの足は速い。そのためチウネの輪郭はすぐに曖昧になっていき、遂にはみえなくなってしまった。

 それでも反響音のするなかを走っていると、僕は息が切れ、壁に右手をついた。

 なにをしているのだろうと思った。

 チウネはもういない。これは夢のなかだ。それなのに、チウネを追ってなんになるのだ。

 彼を助けることは、もう不可能だ。謝罪することはできるしこの気持ちを忘れるわけにはいかないが、夢のなかでチウネに謝ったところで、自己満足にすぎないだろう。

 そう思う一方で、チウネの死や社会への怒り、そういった感情が胸にうずくまっていた。この感情をどこにぶちまければいいのか、どうやって苦しみから逃れればいいのか、僕にはわからなかったのだ。

「誰か来てよ」

 その声をきき、僕は顔をあげた。

 コンクリに囲まれていたため、その声は反響してきこえたが、アンネの声であること、道の先からきこえることは、はっきりとわかった。

 だから僕は、狭い道を歩き続けた。

 二十メートルほど歩くと、左側のコンクリが消え、代わりに格子がはめられた部屋にでた。

 部屋は狭く、三平方メートルほどしかない。

 その中央で、ぼろぼろになった灰色の服を着た少女が、体育座りをしていた。

 僕は最初、彼女が誰かわからなかった。顔が膝にうずめられているため顔がみえなかったのだ。

 しかし長い髪が床についていることから、僕は彼女がアンネであることに気づいた。

「アンネ」

 僕がそういうと、アンネは泣き腫らした顔を上げた。

 最初に浮かんだ表情は困惑だった。僕に助けを求めていいのか、救いの言葉を期待していいのかと悩んだのだろう。

 だが、その悩みはすぐになくなったらしく、彼女はぼろぼろになった服で涙をぬぐうと、格子の手前まで歩み寄ってきた。

 そして節くれだった指を格子の向こう側から、僕に伸ばしてきた。

「ねえ、助けてよ。わけわかんないの。気づいたらここにいたのよ」

 彼女の手が、僕の手を握りしめた。

 その時、彼女の顔に、僕と牢格子の影がかかった。なにに照らされたのだろうと思って後ろをみると、壁にはめこまれたテレビが、道端にたつアンネの映像を映している所だった。

 これは一体、なんだろう。

 そう思ってアンネをみると、彼女は目を大きく開き、口をわななわせていた。

「あのテレビ、なんなんだ」

「あれは――いや、いいたくない」

 アンネからはなんの情報もききだせそうにない。

 そのため僕は、ふり返ってテレビをみた。

 映像はいつの間にか、アンネが周囲の人びとに手を伸ばし、拒絶されるものに変わっていた。

 そこに僕が現れ、彼女と話を始めた。場所は僕の部屋だった。音がないためどれくらいの大きさの声で話をしているのかはわからないが、二人とも真剣な顔になって唾を飛ばしていたから、恐らくは怒鳴り合っていたのだろう。

 本音で語り合えることが嬉しいらしく、アンネの顔には笑顔が浮かんでいた。

 すると、画面の手前から第三の人物が現れた。

 僕の兄だ。

 彼は僕をみると攻撃的な表情に変わり、アンネに向かってなにごとかを口にし始めた。

 アンネはそれをきくと、部屋から逃げだした。

 場面が変わり、アンネが僕の家の前でバッグを持っている映像が映った。

 そこに兄が現れ、アンネがバッグから包丁をとりだすのをみて、僕は今日、アンネが僕の家の前にいた理由を悟った。

「あいつを刺そうとしていたのか」

 ふり返ってそういったものの、アンネはなにもいわず、首をふることもなかった。

 そのことで、僕は予想が当たっていたことをしった。

 僕は、アンネの怒りを目の当たりにした時のことを思いだした。

 あの時、僕は怒り狂ったアンネをみて嫌悪感を覚えたが、あれは僕の姿でもあったのだ。

 そう思うと、僕があんなに醜い表情を浮かべていたことが恥ずかしくなった。

 あんなに感情を剥きだしにしたのに、彼女は僕を受け止めてくれたのだろうか。そう思うと恥ずかしくなるのと同時に、僕は彼女をいとおしいと思った。

 その時、僕は気づいた。

 感情を抑えて訴えれば、なにかが変わったのではないか。すべてとはいわないし、半分ともいわないが、百回に一回ほどは、世界を変えられたのではないか。

 そう思うと、また世界と戦おうという気になった。また負け続ける可能性はあったけれど、なにかを変えられる気がした。

 そして、最初に訴える相手は決まっている。

「泣くなよ」

 僕は、泣き続けるアンネにいった。


 目が覚めたら、アンネに電話をかけよう。

 僕はそう思った。


疲れた

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