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暗殺の前に


 僕は社会大衆へのありとあらゆる憎悪を、県議に向けるようになった。

 その内に県議が、なにも変わらない、真面目な人間を潰すことだけを目的としたこの世界そのもののように思えてきた。

 とはいえ、今までは刃を向けることはなかった。

 僕は県議の住所や講演先をしらなかったし、県議会は僕の家から離れたところにある。そのため僕の胸が社会への怒りで一杯になっても、県議は側におらず、怒りを向けることができなかった。

 県議のホームページで予定を調べるようになったのは、彼が独裁者の姿にみえてから二週間後のことだった。

 県議のことを思いだしていると、彼が自分のブログについて言及していたことを思いだしたのだ。

 ブログを覗いてみると、四日後に県政の報告会があることをしった。報告会の場所は、僕が参加した勉強会のあった建物だった。

 それをしった僕は、激しく動揺した。

 彼を殺さなければならない。そう思ったのだ。

 そのため、心のどこかで、誰かが僕を止めてくれることを願ったが、僕の心の内をしっている者は誰一人としていない。そもそも、まともに口をきくのは母くらいだったが、彼女は意見を押しつけることに忙しいらしく僕の異変に気づいていない。

 アンネは僕の前に現れなかった。兄は家の前でみた、といっていたが二階の窓からいくら玄関先をみても、アンネが現れることはなかった。

 兄の言葉は恐らく、僕をからかうための嘘だったのだろう。そう思った僕は、アンネにメールや電話で助けを求めはしなかった。

 僕は怒りをためこみ続けた。

 そして不意に、それが限界を超えた。

『あの独裁者を殺さなければならない』

 僕はそんな思いに囚われたのだ。きっかけとなる出来事や、苦悩があったわけではない。

 ただ突然、そう思ったのだ。

 まずいことに、その日は県議の報告会がある日だった。

 そこに怒りや憎悪といった激情はなかった。あったのは、ひたすらに淡々とした感情だった。今日は晴れだと思うように、殺さなければならないと思ったのだ。

 僕は自分でも、なぜ県議を殺そうとしているのかがわからず困惑した。僕は自分の動作のなかで、完全な傍観者となっていたのだ。

 そのためキッチンから包丁をとった時も、自分を抑えられなかった。

 真新しいステンレス製のキッチンは広く、場所が広く冷蔵庫や炊飯器、ガス台や流し、食器洗い機といったものが並んでいる。

 しかし綺麗に整頓されていた上に、十本が収納可能な白い包丁差しは壁際という目立つ位置にある。

 そのため包丁をみつけることは簡単だったし、鍵がかかっていないので包丁を握ることも簡単だった。

 僕は包丁差しに入れてあった包丁を一本とると、しげしげと眺めた。

 内心、誰かにみつかって止められたいと思っていたため、キッチンとダイニングの照明はつけてある。

 そのためよく研がれていた包丁は、よく光った。

 野菜を切る時に使う洋包丁で、アゴが広くて刃はやや短い。柄は黒く、銀色の鋲が三つあった。

 洋包丁は切るのではなく押し切るようにして使う、ときいた事があるが、別の包丁に変えた方がいいだろうか。

 僕はそう考えたものの、止めた。洋包丁の方が県議が助かる可能性がある、そう思ったのだ。

 だから僕はリビングに移動して新聞を手にとり、三重にして包丁に巻き、更にセロハンテープをした。その後、包丁は僕が愛用している小さな、やや薄いショルダーバッグにいれた。

 人の姿はなかった。父は医院、母は買い物、兄は遊びにいっているから当然なのだが、僕は誰かがこないかとしばらく待った。

 だが、誰もいない。

 僕は残念な気持ちになると、家をでて自転車を漕ぎ始めた。包丁が新聞を破いて外にでて、ショルダーバッグを突き破るのではないかという心配があったが、そうはならなかった。

 報告会のある建物の前まで来て、自転車を止めてバッグのなかを覗いたが、包丁は未だに新聞に巻かれていたのだ。

「すいません」

 建物に入った僕は、受付に座っていたナチの女性兵士に向かっていった。

 受付は横半円状に広がっており、女性兵士が二人いる。僕が話しかけたのは、左手にいた兵士だった。

「今日、県議会議員の報告会があるじゃないですか。それに参加したいんですけど」

「参加ですか? そういったことは、主催者の方に直接いっていただけないと」

「どこにいけばいいですか?」

 僕がそうきくと、女性兵士は地図の描かれたプラカードをとりだした。

「ここです」

 彼女の白い人差し指が指したのは、二階の西側にある部屋で、前回の勉強会があった部屋に比べてやや広かった。大体、一・五倍だ。

「もう県議たちはいますかね」

「そうですね。先ほど、鍵をとりにこられましたから。利用まではあと少しですから、主催者の方が外されているとしても、誰かしらはいると思います」

「ありがとうございます」

 僕はそういうと、階段を上り、二階に向かった。

 報告会のあるという部屋に入ると、例のごとく大勢の兵士が座っていた。

 三人掛けの机が五つづつ、三列に別れて置かれており、その三分の二ほどが埋まっている。大半は常連のようで、前に来たときにみた顔ばかりだった。また、随分と打ち解けているらしく、皆大声で話し合っていた。

 西日が差しこむためか、壁際はすべて白いカーテンが引かれている。

 それでも暑さは防げていないようで、入り口側にあるクーラーのコントロールパネルは二十五度に設定してあった。

 僕は県議の姿を探した。だが、どこにもいない。独裁者の顔ではなく本来の姿に戻っているのではないかと思い、目を皿のようにして人々をみまわしたが、やはりいない。

 僕は迷った。

 県議の姿がなかったのだ。そのため、僕はバッグにいれた包丁を意識しながら、どうしたものかと悩でしまった。

 県議が来るまで待つことはできるが、僕が参加することを事前にいっていないから、不審に思われるかもしれない。そのため許可を貰おうにも、出席者のなかには責任者らしき人物の姿はない。

 誰かに話しかけようにも、皆しりあいらしく話ができあがっており、話しかける雰囲気にはない。

 そのため困っていた僕は、苦笑した。

 どうせ、県議が来るなり刺殺するのだ。それまで隠れていられればいい。そう思ったのだ。

 それに、入り口のすぐ側にある、ホワイトボードの上の壁掛け時計をみると、三時六分前を差していた。

 報告会は三時からだから、間もなくだろう。そんな短時間を待つことなど、造作もない

 そのため僕は、窓側の一番後ろの席に座り、包丁の入ったバッグを膝の上に置いた。

 そしてバッグのファスナーをわずかだけ開け、両手を入れて、包丁にまいていた包帯をほどき始めた。

 緊張しているのが、自分でもわかった。背中は汗でぬれていたし、額から溢れた汗が、鼻にたれた。

 呼吸は荒い。また、包帯をほどく手は震えており、下手をすれば指を切りかねない。

 そう思った僕は、必至で自分を抑えた。

 同時に、僕を助けてくれる者を探した。前回、ここにはアンネがいた。

 また彼女がいないか、たとえいなくても誰か声をかけ、僕を止めてくれないかと思ったのだ。


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