ショッピングモールを抜けて
三十分ほど怒鳴りあうと僕らは疲れ果て、どちらともなく話題を変えた。
映画をみに着たのだと思いだしたのはそれからで、僕らは二人で映画館に向かった。とはいえ観る予定だった映画はとっくに始まっている。
仕方なしに僕らは、たまたま上映していたテレビドラマの映画版をみた。しかし元となるテレビドラマをみていないので、登場人物が誰かわからない。
その上、肝心の内容もつまらない。そう感じたのはアンネも同じだったらしく、僕らは彼女の提案で上映開始三十分で劇場をでた。
その後はやることがないので喫茶店でお茶を飲んだが、それもすぐに終わり、僕らはショッピングモールをでて帰宅することになった。
「さっきの映画、つまらなかったわね」
「まあね」
スピードを落としていたとはいえ、横に並んでいた自転車で長々と話はできない。僕らのテンションが下がっていたこともあり、話題は弾まなかった。
ショッピングモールで怒鳴りあっていたときとは、えらい違いだった。
かといって、女性と二人きりなのに黙っているわけにはいかない。そのため信号待ちになると、僕は彼女を向いて口を開いた。
「そろそろ俺の家だ。そっちの家は?」
「もうちょっとかな」
「どうする? まだ昼時だけど、俺の家に寄ってく?」
そういうと、彼女はしばらく考えた。
「家の前までは寄ってくけど。用事があるから、なかには入らないかな」
「そっか」
アンネの表情は、やや硬かった。
考えてもみれば、あって二日目の男の家に寄る女性はほとんどいないだろう。用事があるというのは口実で、実際は僕の家に行くことを警戒しているだけだろう。
そんなことを考えていると、信号が青になったので、僕らはふたたび自転車に乗った。
そして僕の家の前までいくと、黒光りする軍服を着た兄が、黒い軽自動車を洗車しているところに遭遇した。軽自動車は兄の私物で、大学に受かった際、両親に買ってもらったものだった。車庫が全開になっているのは、自分の自動車をみせびらかすためだろう。
「お前か」
兄は僕に気づくなり、顔に浮かべていた笑顔を消し、そういった。
図書館での一件以来、兄は僕に厳しかった。僕がふたたび反抗したことで、敵意をむきだしにしていたのだ。
同様に、僕も兄を毛嫌いしていた。
いつもはアンネの存在によって、兄と余裕を持って接せられるようになっていたのだが時折、兄を殺したくなるのだ。
今もそうで、僕の心のなかでは兄という存在をこの世から消し去ってしまいたいという、醜い感情がうずめいていた。
「彼女か?」
頭が殺意で一色になっていたため、僕は一瞬、兄がなにについてきいたのかわからなかった。アンネのことを思いだしたのは、それからのことだった。
「違うよ」
「どこでしりあったんだ?」
兄は、図書館や県議のところでアンネとあったことを覚えていないらしかった。ものを覚えるということができず、他者に興味を持てないという愚かな存在だから、無理もない。
「ちょっとね」
僕はそういうと、自転車を押して家にはいろうとしたものの、足を止めた。
「どうも」
アンネがそういったからだ。
二人が話をするなか、一人で家に戻るわけにはいかない。そう思った僕は、アンネが去るまでここにいようと決めたが、彼女は自転車を横に置いたまま、歩きだす気配がない。
どうやら長引きそうだ。そう思っていると、アンネは僕をみてなぜか悲しそうな表情を浮かべた。
一体、どうしたのだろう。そう考えていると、アンネは僕の結論がでる前に、再び兄を向いた。
「どうも。弟が世話になってるみたいで。――政治のことばっか考えてる奴と一緒じゃ、疲れるだろ」
「別に。私も政治に興味、ありますから」
その言葉をきき、兄はアンネを自分より政治について詳しいらしいと思ったらしく、冷たい目を浮かべた。
兄はなにごとに関しても、自分より知識のある者や頭のいい者を妬み、嫌うのだ。
「あなたは違うんですか? 県議のとこに来てましたけど」
アンネのとげのある言葉をきくと、兄は目を細めた。
「県議のとこであった子?」
「ええ」
「へえ。あの時に仲良くなったんだ」
兄はアンネをじっとみつめた。その目は、兄が弱者をいたぶるときに浮かべる時の目だった。
おそらく、僕の過去に起こった不快な出来事を語ろうとしているのだろう。
そう気づいたときには、アンネが自転車を押し、僕の家に入ろうとしていた。
「いこ」
彼女の言葉は重たく、有無をいわせなかった。
「俺の家、入らないんじゃなかったのか」
アンネは鍵をかけながら、僕をみた。
「アンタ、爆発しそうな顔してたもん。一人にはできないわ」
どうやら、アンネは僕が兄に抱いていた殺意に気づいたらしい。そのため、放っておけなかったのだろう。
「よくわかったね」
アンネは沈黙し、僕に意味ありげな目を送った。内向的な小学生が、大人に自分のいいたいことを感づいて貰おうとするときの目に似ていた。
こういう場合は、僕の方から事情をきくのがいいのだろう。だが、僕は黙っていた。
僕たちが家のなかに入ったためだ。アンネのプライバシーにかかわる話だった場合、迂闊に話せば母などにきかれる可能性がある。
それにもうすぐ、僕らは部屋につく。僕らは部屋に入ると、互いに率直な会話を交わすことになっている。部屋に入ればアンネは自分のいいたいことをいうだろう。そう思ったのだ。
「人をみる目はあるつもりよ。あなたの兄さんがろくでもない人間だってことも、十分わかるわ」
僕の部屋に入り、僕が鍵を閉めると、アンネはそういった。
「まあ、あなたの兄さんみたいな人でも、信じたいけどね」
「信じる? あんな奴を?」
「ええ」
「あいつをしらないからいえるんだよ」
「しっててもいうわ」
「狂ってるね」
「狂ってなんかないわ。なにかのきっかけで、変われるかもしれないじゃない」
「無理だよ。あいつには人の話を理解する能力なんてないんだ!」
僕は記憶にある限り、一番大きな声でいった。
アンネは僕をじっとみつめていた。先ほどと同様に、なにかをいいたそうな表情をしていた。
「どうしてそう決めつけるのよ」
「人のことを考えろって、俺がなんどいったと思ってるんだよ。彼女を殴ってるのを止めろっていっても、きいてくれないんだよ。ああいう奴は、話をするだけ無駄なんだ」
「でも、次は違うかもしれないじゃない。丁寧な口調でいえば、伝わるかもしれないじゃない」
「伝わらないよ」
「わからずや」
「じゃあ、お前はどうなんだよ。人を変えられたことはあるのかよ」
「ないわ。でも、これまでは自分にも問題があったと思ってるわ。だから、丁寧に話をするようにしてるのよ」
態度の大きさに反し、アンネの口調が丁寧なのはそのためらしい。
「ものすごく疲れるわよ。でも、逃げてちゃいけないじゃない。相手に理解してもらわなきゃならないじゃない」
「無駄だよ」
「そう?」
彼女はいった。蔑むような口調だったから、僕を軽蔑していたのだろう。
だがその一方で、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
彼女にとっては、映画をみるより議論をする方が楽しいのだろう。
僕は、不意に嫌な予感を覚えた。アンネとあうたびに怒鳴り合うのではないか、そう思ったのだ。




