図書室の先輩
やや時間が経って彼は音量を落とした声で訊ねた。
「きみって、どんな作家が好み?」
「ああ…―――とか…――――ですね」
少し顎に指をかけて考え込み数人の小説家の名前を上げたが、秋月は困った顔で首を傾げた。
「僕はたぶんこの図書館にある蔵書のほとんどを知ってるはずなんだけど…君の言う名前は聞いた事が無いな…」
彼女は腰掛けたいた椅子を蹴倒して立ち上がった。
「嘘だ」
自分が例にあげたのはメジャーな小説家ばかりで本当にファンの作家ではない。本当に好きな作家はあまり名も知られてない人ばかりで、あくまで書き方や趣向として挙げただけだ。
それなのに、ひとりも知られていない?
そんな馬鹿な。
「――――は?―――?――――?―――も?――――もいないっていうの?」
「残念ながら、ひとりも聞き覚えが無いな。そこそこ人気の作家なら貸出が多いはずだから蔵書も多いはずだ」
机の上の本を腕で振り払った。
「夏目漱石は?太宰治は?中島敦は?森鴎外、三島由紀夫、川端康成、松本清張、宮沢賢治、谷崎純一郎、司馬遼太郎、カールブッセ、モンゴメリ、ドフトエスキー…んんっ」
悲痛な叫びにも似た文豪の名前の羅列を秋月の手のひらが塞いだ。
「ここはまあ、設定上は東京のどっかの街であるのだからそこまで深刻なことにはなってないはずだ…教科書だってあるんだしね…にしてもそんなに必死になるとは思わなかったよ」
指先で気分の急激な高揚のために滲んだ涙をすくう少女を見て、クスリと笑った。
「ヒロインさん、きみって想像してたよりずっと可愛いね」
「はあ?!」
「僕の個人的な趣味と偏見を加味しても君は〝前〟のルックスよりずっと好みだし、何より中身がイイ…うん、シナリオなんて鬱陶しい小姑みたいな決まりは無視して君を効率的に、戦略的に手中におさめてみることを真剣にかんがっ……うぐうぐぐ」
延々話し続ける秋月を問答無用で口に手を押し当てて物理的に黙らせてやった。
「ちょっと黙ってもらってもいいですか、わたし、けっこう混乱してるんでっ」
もうこの人をしゃべらせてはいけない、背筋がぞくぞくするのに熱くて熱くてしかたが無い。
私が?かわいい?かわいい?この人何言ってんの?!
眼鏡の奥の瞳と一瞬視線が交わったのが分かると耳まで熱くなった。
ああああああああああああああああああああああやめてえええええええええええええええ!
耳まで赤く染まるヒロインは自己申告通り「混乱して」いるのだろう、目が会った瞬間に意固地に逸らす姿が何というかいじらしい、そのうえ自分の口を押さえる指先は震えていて、でもこれ以上どうすればいいのか分からない。
無知で初で、男慣れしていない、嗜虐心と庇護欲をかきたてて煽ってばかりの
(ほんとうに…〝ヒロイン〟はおバカさんで困る)
眼鏡の奥の瞳が愉快そうに細まって……秋月はイツキの指をくわえた。
「きゃあああっ!!!!」
なにすんのなにすんのなにすんのなにすんのおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
「や、止めてください!っていうか!やめろ!!このっ」
「ほくがへんらいはっへいいはいの?(僕が変態だって言いたいの?)」
「っっぅっっっっ!!!!」
人の指をくわえたまましゃべるな!この変態!変人!
この瞬間、イツキの脳はいたずらに空回ってばかりだった理性と思考回路を捨てた。
そして
「うっらあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「ぐっは」
イツキは秋月の腰にハイキックを見舞った。
「君…机とか椅子とか…本棚とかがあるのちゃんと考えて蹴った?」
「いえ、まったく考…ていませ…でした」
秋月はもちろん机に頭からダイブして椅子や本を蹴散らしてぶっ倒れた。ヒロインにいたずらするのがこんなにハイリスクだなんて…おい誰もそんな事言ってなかったよな?!
仮に、仮にキスしたとすると自分はいったいどんな代償を払わなければいけないのだろうか………。考えて彼は少し顔を青くした。
イツキも無事では済まなかった。
蹴ったは良いが後先考えずにやったものだから体勢を崩してじぶんも秋月同様に頭に派手にたんこぶを作った。
痛い、痛いよ…。
「立てる?」
「あ、はい」
普通に立とうとしたイツキの腕をぐいっと引っ張って立たせ、不愉快そうに眉を歪ませた。
「…変な意地張ってどうすんの、ひねったんじゃない?」
「あ、いや、これは、あの」
指摘されたとおり蹴った後に体勢を崩して足首をひねった。無様である。
「君に手を出すためのリスクがいかに高いか…学習したよ」
「いや、あのですね、私だってそんな…ああいうことをホイホイするわけじゃないですから」
「ホイホイされたらたまったもんじゃない…僕の身にもなってくれ…」
イツキはサッと顔を曇らせて俯いた。
「…私、ふつうの子です、そういうことしたいなら私じゃなくて風俗でもどこでも行ってください、触らせてくれるコの所に行ってください…ゲームでも、私にはゲームじゃないんです」
我知らず涙がこぼれた。
「顔がいいだけの尻軽女だったら何してもいいだろうって、自分がキスした次の日には別の男と手を繋いで歩いてるようなポジションの女の子だったらきっと、きっと軽く許してくれるって…心のどっかで思ってませんか?」
イツキはヒロインには相応しいとは思えないほど初で純情すぎた。
完璧な配役ミスだと言ってもいい。
誰が彼女をヒロインに選んだのか、見れるものならそいつの顔を見てみたい。
「ごめん…やりすぎた…のは反省する」
でも、と秋月は続けた。
「でも、僕のこと、顔がよければヒロインだからって何でもするような軽い男に見てほしくはない。風俗なんか絶対に行かないから、君がほかの誰とキスしてようとしたくなったら君にキスをするし、誰でもいいとか思ってないから」
ほら行くよ、と秋月は両手を差し出した。
「そこのシーツ被って、保健室まで行くから」
え?え?と戸惑っている間にシーツでくるまれて膝の裏に腕を回されて体が宙に浮いた。
「やっ!」
怖くてしがみついたのは、彼の体だったとしか思えないが…イツキは途中で深く考え込まないようにした。
「あらあ、あなたまた来たの?」
「毎度すみません…」
保健室の先生は呆れ顔だ、そりゃそうだ、こんなに頻繁にとっかえひっかえ別の男の子に連れて来られちゃあ顔を覚えない方がおかしい。
「どうした?」
「足ひねりました」
先生が足首を回したり押えたりして痛みの度合いを見るが、さほど悪くは無いようだ。
「先生、彼女は…大丈夫ですか」
「ええ、湿布を張って大人しくしてたら大丈夫よ、秋月君はおおげさねえ抱えてくるなんて」
明るく笑う先生の言葉に思わずくわっと目を剥いて秋月を睨みつけた。
「先輩…?」
「得点…いまのうちに稼いでおこうかなあ…と……」
先生は若いっていいわねえ、などと笑っているが、が!そんな事じゃ済まされないんですよ!わかりますかっ?わかりますか!!!わからないでしょうね!!
「まあそんなにむくれないで」
「あ、先輩…すみませんさっき蹴ったせいで眼鏡のフレームちょっと歪んでるかも…」
「イツキさんそれはだめよ!」
「やめるんだ!!!!!」
「イツキいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい?!」
タイミング良く保健室の扉を開け放ったメグが悲鳴を上げていた。
ひょいっと彼の眼鏡を取り上げて歪みをチェックして、外れかけていたレンズを押し込めて秋月の顔をはじめて直視した。
なぜそんな悲鳴が上がったのか、顔を見てからなんとなく理解した。
ぶっちゃけ超絶かっこいい、線の細いイケメン、なんであんたこんなだっさい眼鏡なんかかけてんの、コンタクトにでも変えれば?素材がいいのにこんな風に扱ってると神様から罰があたりますよ、ほんとに。
「はい、先輩」
イツキが眼鏡を元の位置に掛け直すと、周りの方が呆気にとられた。
「先輩、コンタクトにした方がもっとモテると思いますよ?」
イツキを凝視し続ける秋月からめぐるが有無を言わさずイツキを剥がした。
「スミマセン!この子ちょっと用事があるので失礼しますっっ!!!!!!!!!!」
呆けたように虚空を見つめ続けて業務の邪魔になっている秋月を保健室の先生は頭痛そうに揺さぶって我に帰させようと努力した。
よりによってこの子を本気にさせるなんて……ヒロインってとんでもない疫病神だわ。
すみませんすみませんすみません、こんなに更新ほったらかしてすみません!!!
乙女ゲームやったこと無いんで!思考錯誤しているうちにこんな!こんなことになってしまって!
プロット練り直してたらこんなことになってました!
次はもっと早く、もっと早く更新します!
もしもこの小説をみはなしていない読者様がいたら…とねがいながら
では次話も乞うご期待☆