ヒロインとヒロインが嫌いなヒト
今回は痴漢行為の描写があります
読み進める場合あらかじめご了承のうえお願いします
そして生理的に無理!という方は今すぐ回れ右!でお願いします
それではどうぞ!
「あの、帰ってもいいですか…」
「え?なあに?どうしたの?お腹痛いの?」
「え、ええっとですね…私は―ちゃんに髪を切っていただくのは丁重に辞退したいと申しますか…何と言いますか…」
「え?はーちゃんガンつけたの?目が合って怖かったの?怯えちゃったの?ごめんなさいねぇ、躾がなってなくって」
「い、いえ」
「でもはーちゃん、予約が入ってからとっても張り切ってたの、さっきまで鋏磨いであなたが来るの待ってたの」
「そうなの?!」
「…本人の前ではーちゃんはーちゃん言うの止めてくれませんかね?!」
「だめよぉ、はーちゃん、目つきが悪いの自分でも気にしてるのに、こんな可愛いお客さまにガン飛ばしたりしちゃぁ」
あ、目つき悪いのって気にしてたんだ…。
「まあとにかく、気持ちが落ち着くまで座っててよ」
というわけで、私はココアを差しだされて鏡の前のカウンターに座っている。
後ろには如月君がスタンバっていて、とてもじゃないが脱兎のごとく逃げたとしても十中八九、連れ戻されるだろう……店長に。
「お客様、今日はどうされますか?」
「あ、あのですね…えっと、髪型は変えないで…梳いて揃えて前髪作ってもらいたいんですが…」
「前髪は…結構伸びてますね…」
鏡の向こうから腕が伸びて額から耳にかけてスーッと指先が流れていく感触に思わず「ひゃぁっ」と声が上がった。
ええ、超絶怖いっす。
「あのなあ…変な声出すなよ」
「だ、だってぇ」
「上目づかいも涙目も禁止、おっかないからいちいちビクついてんじゃね…びくびくしないでください」
「キャラ違うね?」
「ヒロイン限定で」
「私限定に怖いの?」
「今のところ」
「でも今は?」
「お客様は神様だから仏の心で接客してます」
神も仏も公私も混合しているが、今は少なくともいきなりどつかれたりしないだろう。
少しほっとして椅子に座りなおした。
「ああ、その方が楽っすね、前髪作るって言ってましたけど…もうちょっと伸ばして流してみませんか?」
そう言って如月はヘアカタログを開いてモデルを指差した。
「雰囲気的には…ショートのワンレイボブが似合うと思いますけど…」
胸のあたりまで伸びた髪を見て「抵抗ありますか?」と聞かれると、少し迷ってしまった。
「あんまり…髪の手入れ気にしてなかったから痛んでるかも」
「そうっすね…じゃあ今日のところはヘアトリートメントしときますか、気が変わったら言うってください」
そう言って洗面台に連れていかれて丁寧に髪を洗ってもらった。
「かゆいところありますか?」
「だいじょ、ぶです」
「気持ちいいからって寝ちゃうお客さん多いですよ」
「ばれました?」
「ろんもちです」
こんな風に会話してると、あんな怖い顔ですごまれた事が嘘みたいに思えてしまう。
ヒロインのことなんか大嫌いだって言われた事も…ぜんぶ。
「はーちゃん、この髪型に合うんじゃね?とか言ってくれて実はちょっとびっくりした。」
「お客様は神様だからな、でもは―ちゃんつったら遠慮なく髪切るからな」
「髪切ると小まめにここに通う事になるけど?」
「の、望むところだ」
「今ちょっとヤだなって思ったでしょ」
「思ってねーし」
「素が出ますねえ」
「うっせ…お客様気が散るので黙っててもらっていいですか」
タオルで髪を拭いてもらうのも、ドライヤーで乾かしてもらうのも、正直文句なしに気持ちが良かった。
髪を切ってもらうのも、なんだかよくわかんないけどいい匂いのするいつもと違う自分の髪も。
「せっかくだから、はーちゃんその子の髪セットしてあげたら?」
「えー?まじっすか」
「まじまじ、その子なんか凡庸ねえとか思ってたけど違うわ、磨くと化けるわ、手入れすれば美女になる」
「店長それは言いすぎです、おだてても何も出ませんよ?」
「ノーノー!きれいになれるのに努力を怠るのは罪なのよ!オンナノコは無限大の可能性を持ってるの!私は開花させてみせるわ!は―ちゃんよこしなさい!」
「駄目っすよ!おれを指名したんスから!やるならおれっしょ!?」
「は―ちゃんが?!」
「サラッとはーちゃん定着してんな?!」
「んん?なにか御不満が?」
「大ありだよ!!」
「でもねえ、はーちゃんはヘアアレンジは出来てもメイクできないじゃない?やっぱり今日のところはやっぱりアタシに腕を振わせてもらうわ!オトナの階段を昇らせてあげるわっ!」
「きゃーーーーーっ♪」
「おい!嬉しそうな悲鳴を上げんな!そんでもって店長も後半部分卑猥に聞こえるんですけど!!」
「は―ちゃんは片づけててねっ!」
その後小一時間で店長は如月君に止められ「今日はこの辺で満足してあげるんだからっ」と悔しそうにしぶしぶ筆を置いた。
「お肌ぴちぴち!おめめぱっちり!睫毛長ーい!これで毎日お化粧できないだなんて…!高校生という縛りが憎い!」
「わ!私じゃないみたい!」
「ほらあ、やっぱり化けたでしょっ?でもつけまとかはつけちゃだめよ?まぶたに負荷がかかってしわの元になるから~」
ふわぁあわわ…!と形容しがたい悲鳴を上げながら信じられないとでもいうように自分の頬をぺたぺた触りながら鏡に釘付けになっていた。
「うっふふー、気に入ってくれたかしら」
「いえ!これが自分だと思わなければ惚れますね!自分だと思ったが最後、二度と外に出たくないです!」
「ちなみにそれは他の女の子の耳に入ると抹殺されちゃうからお口チャックよ?」
「はい!自分でも吐き気がするほど自意識過剰だったので以後気をつけます!」
「まあ、アタシが手掛けて可愛くならないなんてありえないんだけどね」
はーちゃん!と店の奥に引っ込んでいた如月を呼びつけて店長が「お家まで送ってあげなさい!」と命じる。
「何でっすか!店の中ならおれは店長の奴隷ですけど!他で指図されるいわれはないですよ?!」
「アタシの手掛けた可愛い作品に汚いオトナの手あかをつけたくないの!」
「理不尽!」
「この可愛さ見なさいよ!もはや犯罪よ?!わかんない?!」
イツキはおずおずと手を上げて「一人で帰れます」と主張するも店長は有無を言わさず却下。
「だめよ、は―ちゃん…ここは聞いてくれなきゃ困るの」
「……今回だけっすよ、おれはレンタル彼氏とかじゃないですからね」
駅へ向かう道はこんなに長かったっけ?と思うほど重苦しい空気に足取りが鈍った。
それだけではなくひと目が気になって仕方なかったというのもあるが。如月君は半径一メートル以上は絶対に近づかないとでもいうように距離を保っている。
おかげで一言も話しかけられない。
は―ちゃんと呼んだが最後、きっとこの世から抹消されるに違いない。
しかし、あれほど縮まった距離がいとも簡単に離れることが胸を締め付けた。
ない胸の分際で痛みをもたらすな!!と強く自分を戒める。
「で?電車は乗れんのか?」
私は誇らしげに一日乗車券を掲げた。
「今日はこのようなものを持っています!」
「あん?いまどきICカード使えねーとかチート乙です」
「喧嘩売ってるんですかはーちゃん」
「外では―ちゃんはやめろ」
改札を通った時小さくガッツポーズする。
一度通れても二度通れるとは限らないし、次回も利用できるという確証はない、けれどこの世界に許された存在であるという証明はイツキにとってはとても意味のあるものだった。
そんな姿を一瞥してさっさと階段を上がっていく。
胸糞が悪い、視界から失せろ、イエス……意志疎通余裕です。
しかしまあそんなガン飛ばしてくる割にきちんと送ってくれるのがおかしくもある。
電車の到着メロディが流れるとどっと人が押し寄せてきて押し込まれるように電車に乗り込む。ふと得も言われぬ不安感に襲われて如月の背中を探す。
背中は見えないが、背の高い所に金髪の頭が見えてひと安心。
がったんごっとん電車に揺られていると元いた世界の自分の生活を思い起こさせる。
遠い昔のようにも思えるが、家と塾と学校の往復の毎日はたしかに存在していて、志望する大学に行くために無茶苦茶な勉強をして、他愛のない友人の馬鹿話を聞いていたあの日常。
楽しい事は今の方が多い。
けれどあんな日常でも今より輝いて見えるのは、まだ自分の置かれた立場を受け入れられないからだろうか。不条理を目の当たりにしたからだろうか。
それが訪れたのは唐突だった。
そもそも前触れがあるものなのかは知らないが、気付いた時には遅いものだというのが…精一杯で。
太ももに何度も鬱陶しく当たっていたのは誰かのカバンではなくてスマホの画面だった。
視界に入った瞬間、一切の感覚が麻痺して柄にもなく思考も停止してしまった。
「…は?え?」
ど、どうして私?じゃなくって、どどどどどうしたらいいの、こういうとき、どうしたらいいの、スマホって普通当たらないしこういうのって…教科書に載っていないことはどうしたらいいのか分からない自分の柔軟のかけらもない脳みそが混乱で沸騰する。
「ッ…ひっ…」
見ちゃだめだ見ちゃだめだ見ちゃだめだ、視界で混乱するな、声を上げろ、隣の人の裾を引っ張れ…恐怖のふた文字でしか言い表せないものが、人に触ることを許していない部分を無遠慮に犯していく感触に吐き気を催す。
吊革につかまった指が強張って外れない。
怖くて怖くて、対処法が分からなくて、そのうえ何をすればいいというのだ、耐えながら人に助けを求めるなんてそんな……。
隣にイヤホンをして両手吊革につかまったサラリーマン、目の前で無表情でスマホをいじっている女子大生、たむろしている中学生…誰だ、誰に頼ればいい。
吸い寄せられるように、黒山の人だかりの奥の、金髪の青年の瞳とかち合った。
不審そうに眉をひそめて人の合間を縫って近づいてくるその人の姿が安堵の涙で歪んでしまう。
ケータイを取り出して数文字を打ち込んで、如月に差しだすと、一瞬で般若の如く怒り狂った顔に変わって不快な手を体から引き剥がしたかと思うと。
「てめぇ何しやがってんだ!!ああ?!」
「ひっひぇぇっ!!!」
男の腕をねじり上げて「この人痴漢です!」と言うと隣にいたサラリーマンが取り押さえて、女子大生が「サイテ―」と吐き捨てる。その光景に目をぱちくりさせるほかなかった。
次の駅で有無を言わさず駅員に突き出す。
如月が当たり前とでもいうように手を引いて警察に事情を話して被害届を出すところにもずっと付き添ってもらい。
言葉で補完できない時はなだめるように背中をさすって、その手の持ち主があんなに怖い、自分を嫌悪していた人のものだとは思いだせないほど、疲れきって精神が削がれてやせ細っていた。
「落ち着いたか?」
「…気付いてくれてありがとう」
「いや、目を離したおれが馬鹿だった、店長のメイクの腕が神がかってる事を忘れてた」
「………はじめてだった…吐き気がするほど気持ち悪かった、死ねばいいのにってずっと思ってた、社会的に抹殺されればいいのに、一生痴漢って言うレッテルを貼られて後悔の中生き、更生したとしても二、三度死ねばいい」
「お、おう…」
物騒な言葉がマシンガンのようにイツキの口から流れ出てくることに戸惑いながらも如月は穏便に相槌をはさむ。
「だからは―ちゃんが来てくれたときほっとして涙が出た、誰に頼ればいいのか分からなかったから……神様じゃないかと思った」
「は―ちゃんは外で使うな……家まで送る、今度はちゃんと」
如月が手を引いた。
数歩たじろいた私を振り返って「今は、気持ち悪いか?」とほどこうとした手を、握り返した。
それだけで今は十分なはずだった。
がったんごっとん揺れる電車はぎゅうぎゅうの鮨詰めになっていた。今はとてもじゃないがそんな中に突き進んでいく勇気が無かった。
ついさっきの出来事が脳からはなれない。はがれてくれない。
こみあげてきた吐き気にうっと口元を押さえてえずいて…すわりこんだイツキを如月は笑ったりしなかった。馬鹿にもせず、軽口も叩かず、暴言も投げつけなかった。
膝を抱えてえずきながら泣いたってみっともないと言わないその美貌が今は少しだけ憎たらしかった。
数本あとの電車になんとか乗り込んで、開いたドアのなるべく近く人と接さないように壁に背中をつけてもぐりこむと、他の人間と隔絶するかのように壁になってくれてほっと一息。
「どっかつかまっとけ」
「うん」
しかしつかまる、というのは今の状況では若干…無理だなと判断する。
「ん」
と体を差しだされて「は?」と見上げて、つかまれという意味だと理解するのに時間がかかったのは疲れているせいだろう。
ありがたいありがたい、がったんごっとん揺れているのはかかとの高い靴にはツラいのだ。
腕をまわしてぎゅっとつかまる。
「いやー、たすかりますー」
「おれが掴まればって言いたかったのは胴体じゃなかったんだけどな」
「何か言いましたかは―ちゃん」
如月肇はせいぜい怯えて震えあがるように恐ろしげに声にどすを聞かせた。
「…今上を見上げたらコロス」
「ほほーう」
おでこをくっつけるように〝つかまって〟いたイツキが顎をくっつけるように頭を動かした。
「なるほど、見られたくない理由が分かった」
「あんたは人の神経を逆なでするのがうまいな!見るなっつったろうが!!」
頬を一刷け朱く染め上げて、片手で顔を隠しながら、どこか苦しげに眉根を寄せて………
「はーちゃん、もしかして体調悪い?風邪引いた?」
「あんたが鈍感で心底助かったと安心したさ」
「その調子で、学校でも仲良くやっていこうよはーちゃん」
その瞬間星が煌めいて彼の胸にともるのが見えた。
目を見張ると形容しがたい、ガラスの破片が砕け散るような、グラスを触れ合せたような幸せな音色を耳が聞き届ける。
ぎゅっと如月の背中で組んでいた指が強張った。
「あ、あ、あの…はーちゃん?はーちゃん?」
「は―ちゃん連呼するな!わーってる!好感度アップくらいどうってことねえ!!」
「何でイベントでもないのに好感度アップするんですか!!」
「は、はあ?人の好感度上げておいて、その言い草は無いだろっ!?だいたい反則なんだよ!こ、こんなっ」
「え?待って?好感度って、がちで人の好感度とイコールなの?」
「寝惚けた事言ってっと…」
ぎんと凍てつかせた眼差しで察した。あ、これ奥歯がたがた言わせっぞコルァって言われる奴だ。素寒貧で東京湾に沈めっぞって脅される奴だ。
「ご、ごめなさ…っ」
「強制的にルート固定して、べろちゅーすっぞ?」
「………ん?」
書きためている話がここまでとなっているので、また完結済みという形にしておいて書き溜まったら再び更新します
詳しくは活動報告の方でお話しますのでどうぞよろしくお願いします