合格祈願の巫女は元クラスメイト
この地方では珍しく、数日前に大雪が降り、その残雪も残りわずかとなった二月のある日の昼下がり。
都会のビルの谷間にひっそりと社を構える、小さな神社の境内。
「すみませーん」
社務所の前で、受験生の矢場真備は店番中の巫女に尋ねた。
「はい、なんでしょうか」
目当てのお守りがどれか訊こうとした矢先、
(この声、どこかで……?)
真備は違和感を覚えた。
お守りや護符の並ぶ売り場を挟んで応える巫女の声がちょっと気になり、真備はバッと巫女を見る。
「…………」
「…………?」
彼の詮索するような視線を受けて、巫女が怪訝な顔をする。
(もしや……「あいつ」か?)
自信はないが、ある人にそっくりだと真備は思った。
高校のクラスでも一、二を争うほど「彼女」は影が薄かった。薄かったけども、女子としてはちょっと短めなその髪と、世の中すべてを疑ってかかるようなそのジト目と、抑揚が少なくトーンも低いその声質を兼ね備えた人物を、真備は彼女をもって他に知らない。
「もしかして……戸牧?」
意を決して巫女に名前を訊いてみる。
「だったらどうするのですか」
「いやどうするも何も……」
無機質、無表情で素っ気ない、突き返すような返答。
(やっぱりこの雰囲気……絶対戸牧だ。間違いない)
卒業して以来ほぼ一年ぶりに得た感触によって、真備の疑惑は確信に変わった。
「……俺のこと覚えてない? ほら高三の時同じクラスにいたじゃん」
「すみません、どちら様でしょうか」
「やっぱり一年も経ってたら忘れ――」
「矢場真備。桜通高校出身。一浪」
「――てる訳ないよな。部活も一緒だったし」
瞬間、真備はさらに鮮明に思い出した。
クラスも部活も同じだったこの戸牧弥生が、口数が異様に少なく、何を考えているのかよく分からない人物だということを。
「高校では『そげ部』に所属」
「お前と同じ漫研だったんだが? てか何、その幻想を殺して回るような部活」
「『受験なんてなんとかなるさ』という根拠のない甘い幻想を、去年の冬に派手に壊されて浪人となり今に至る」
「そうだよ。そういう意味ではそげ部だよ認めてやんよ」
投げやり気味に真備は肯定した。
「今だって、明日の試験会場の下見に行った帰りにこの神社を見つけて寄ってる最中だし」
ちなみに試験というのは、自宅から一番近い(といってもバスと電車を乗り継いだ先にある)国立大学の入試のことである。
「二の腕フェチで、弱点は乳首。主な『隠し場所』はベッドと壁の隙間」
真備の近況報告を無視して、弥生の「真備のことを知っているアピール」はまだ続く。弥生の空気の読めなさは真備もよく理解しているから別に今更気にすることでもない。
「な、何故だ!? 何故お前は俺の超トップシークレットを知っていやがる!?」
「クラスメイトだったから。それくらい当然」
「ま、マジかよ……。すげえなクラスメイトって……」
「……………………」
「……ってなるかい! でたらめ言うな!」
「ナイス、ノリツッコミ」
「戸牧が俺を覚えてることがよく分かったのはともかく、合格祈願のお守りはどれだよ? 偶然ここを見つけたから、せっかくだし買っていこうと思うんだけど」
「ここからこっちが全部そう」
弥生は売り場の右半分を指で示した。
「結構種類あるのな。いろんな色があるけど、何か違いとかあんの?」
「左から順に1Pから12P用」
「格ゲーの色替えかいな」
「間違えた」
「だよな? 正しくはどうなんよ?」
「本当は右から順だった」
「そういう間違い!?」
「実際のところは、色によって宿る神が微妙に異なっている」
「へー、そうなんだ」
「これがホントの色神」
「適当なことばっか言いやがって。今売り場の端見たら『色は好みに合わせてお選びください』って書いてあったぞ」
「……………………」
「急に黙るのだけはやめてくれない? 地雷踏んだのかと思っちゃうから」
「この神社、意外と適当」
「お前の接客態度も大概だけどな」
「数年前、学業成就のお守りを買っていった女子校生が妊娠してしまって、後にそのお守りをここに返した時に中身を調べてみると、御神体が安産祈願のものだったらしい」
「シャレにならん適当さだなおい!」
「そのお守りに神主が間違って水子の霊を入れたのが、これ」
「そんなただの曰く付きアイテムを、さも自然な流れで懐から取り出して見せたお前の気が知れねえよ」
「これあげる」
「いるかンなもん! この歳でまだ過ちだけは犯したくないっての。てか戸牧はそんなもの持っててなんとも思わないのか?」
「大丈夫……除霊済み」
弥生は反対側の懐からお札を出して見せた。
「それ先言えっての。それでもいらんけどな」
除霊に使った道具だろうか。そのお札には真備の見知らぬ文字が記されていた。
「あれ? 戸牧の家って神社やってたっけ?」
高校時代、無口ながら結構熱心に漫画家を目指していた弥生に、隠れた霊能力があったなんて驚きだ。
「違う。わたしはここでバイトしてるだけ。このお札はまやかし。除霊も神主がやっただけ」
違った。その驚きはただの誤解だった。
「水子の霊を弄んだだけの、神主のまさかの自演!」
「ここのバイト、かなり高給」
「急に話が飛ぶなあ」
「時給千四百円」
弥生が身を乗り出し、建物の外側の貼り紙を示す。
「ホントだっ! 深夜のコンビニも顔負けの超高給バイトじゃん!」
「ただし未婚女性に限る」
「ですよねっ! 別にここで働きたいなんて、まして戸牧が羨ましいなんて、これっぽっちも思ってないんだからねっ!」
「…………見苦しい」
「…………すまん」
「でも女装すれば大丈夫」
「そこまでしてここで働きたくはないって」
「神主は痴○が始まっているから絶対ばれない」
「いや、神主にはばれないかもしれないけども、他の巫女さんや参拝客にはばれるって絶対」
「あっちで掃除している二人の巫女も、実は男」
「マジかよ!? 境内に入った時に挨拶されたけど、立ち振舞いとかまんま女性だったぞ」
「――というもっぱらの噂」
「また適当なことを」
「あの二人はデキてるというもっぱらの噂」
「……マジ?」
「マジ。今朝だって、更衣室にレスリングパンツが落ちていたし、部屋も妙に汗臭かった」
「……かなりガチでヤバいんじゃねこの職場?」
「でも大丈夫」
「まあ戸牧なら大丈夫だろうな」
「それはどういう意味?」
「すごいしっかり者って意味」
周りがどんなに混沌としていても、決して自分のペースを崩さない弥生を、真備は前から偉大だと感心している。
「……漫画で思い出したけど――」
「今の会話に漫画関係なくね?」
「――これ、この間の『冬』のわたしの作品」
よかったら、と弥生はどこからともなく薄い本を引っ張ってきて真備に渡した。
「まだ描いてたんだ。すごい熱意だな」
「お遊びで適当に描いていた誰かとはまるで大違い」
「自分で言うなし」
その同人誌には、最近流行りの魔法少女が、線の細い弥生独特の画風で描かれていた。ちなみに全年齢対象だった。
「そういえば戸牧は、高三の夏にスカウトされたんだっけ? 即売会で」
「そう。ゲーム会社に拾ってもらた」
現在ある有名な原画家のもとで見習い中らしい。まだ大学生にすらなれず社会的に宙ぶらりんな立ち位置の真備からすれば、弥生が自分より一歩も二歩も先を進んでいるように見えた。
「見習いとはいえ社員なんだろ? こんな場所でバイトなんてしてる余裕あんの?」
「まだそんなに仕事もないし、先輩も『いろんなバイトして社会勉強しろ』って言っていた。資格だって、取れるものは何でも取りたい」
「ふ、ふーん……色々と頑張ってんだな……」
真備はとっさに目を逸らした。
眩しすぎる。
道路に面した鳥居以外の三方をマンションや雑居ビルで囲まれて、ピーカンの真昼だというのにちょっと薄暗いことになっているこの神社にいながら、真備は弥生の輝かしさとか、熱意とかに目がくらんで彼女をまともに見られなくなっていた。
「……っ……」
先程弥生に取られた台詞が無言のうちに脳内に響き渡る。
ただ大学に入りたい一心で一年がむしゃらに努力したはいいが、そこで何をしたいかとかいう将来の見通しがそれほどない真備と、才能を世間から評価されながらも、それに満足しておごることなくなおも貪欲に自己を磨き続けている弥生。
まさに雲泥の差、それこそ「誰かとはまるで大違い」だった。
「…………」
地雷を踏んで自爆した形となってしまい、今度は弥生だけでなく、真備までもが黙り込む。
「…………」
いたたまれなくなり、居心地が悪くなる。今こうして弥生と向かい合っていることに苦痛すら覚える。
さてどうしたものか、と真備は苦し紛れに辺りを見回す。
そして、
「ダァーーーッ!!」
何を思ったか、彼は突然天を仰いで大音声をあげたのだった。
「っ!?」
真備の奇行に、マイペースな弥生ですら目を丸くしてびっくりした。
ビルの谷間で十分それがこだましたのを聞き届けると、真備は上げていた面をゆっくりと下げ、弥生に向けて満面の笑みを浮かべた。
ただただ、彼の理性は崩壊していた。
「げ、元気です、か?」
旧友に対して、驚きを通り越して恐怖すら感じた弥生が、今までと打って変わってまさかのツッコミに回る瞬間だった。
「元気? そうだよ!」
真備はバンッ、と売り場の台を両手で叩き、
「元気があればなんだってできるっ!」
ズイッ、と弥生へ顔を近づけた。
「受験だって、絶対成功して見せ――」
対する弥生は、眼前五センチに迫ってきた真備の顔面にお札をペタッ、と貼ると、
「キモい。元に戻って」
ドグシャアッ、とそのお札目がけて渾身のグーパンチを見舞った。
メキョッ、と日常生活で頭部から鳴ってはいけない音を伴って派手に仰け反り、その勢いで真備は境内の石畳に後頭部やその他全身を叩きつけられた。
「す、すまん。俺は、何を……?」
満身創痍の真備が正気を取り戻してかすれ声で言った。
社務所から出てきた巫女装束の弥生が真備に歩み寄り、彼を起こすために手をさしのべてくる。
「あなたがおかしくなったのは、多分これの仕業」
なんとか立ち上がった真備の肩に付いていた糸くずを取って、弥生は彼にそれを見せた。
「お札貼って除霊しておいた」
「除霊で顔を殴るなんて、すごい斬新だな」
「神主によると、これが霊力のないわたしにも除霊できる唯一の方法らしい」
「物理で殴ればいいってか? 明日の試験で本人確認のときに困りそうなんだけどこっちとしては」
キョンシーのように額に貼られていたお札を剥がして弥生に返しながら真備は文句を垂れた。
「てへぺろ」
「反省する気なしとかひでえ……」
今さらながら、ちょっと泣けてきた。
でも、弥生の人となりについてとやかく言うのは意味がないと理解しているから、真備は話を進めることにする。
「それよりも、それただの糸くずじゃないみたいだけど?」
「この土地には昔、情緒不安定の人を閉じ籠めておく牢があったらしい」
そして今回真備に付着したこの糸くずは、かつての患者の怨霊が籠もったもので、時折この神社にポッと現れるのだそうだ。
「怖えーなこの神社!」
「それで、取り憑かれたときの記憶はある?」
「え……っと……確か無言が続いて……気が付いたら顔中心にズタボロになって倒れてたな」
「記憶はなかった、と」
「ああ、そうみたいだな。俺、何か言ってたのか?」
「『好きだ! 付き合え!』って」
「え……ちょ……あ……?」
「…………?」
なぜか急に挙動不審になる真備。
「そ……それなんて俺の本――」
「嘘」
「嘘かい! じゃあホントは何て?」
「『不合格ウソダドンド――』」
「戸牧弥生さん? ここだけの話、世間にはついていい嘘と悪い嘘があるんですって」
「『合格とったどー!』」
「まだそっちの方が嘘としてうまいけど……この流れ的に露骨すぎやしないかその嘘?」
「『あの日見た空――』」
「有史以来使われ続けている強力な自白剤を知ってるかい? 暴力という名の」
「暴力、ダメ、ゼッタイ。特に女性相手には」
「どの口が言うか、この武闘派巫女が。それで何て言ってたんだ俺?」
「『元気があればなんだってできるっ! 受験だって、絶対成功して見せる』って」
「何、その闘魂丸出しな直球発言」
自分の無意識がそんなことを言っていたなんて。真備は身ぐるみを剥がされたような気持ちになった。
「でも事実」
くるっと真備に背を向け、弥生は社務所の売り場から青いお守りを取り、
「あなたが本気なら、ここの神様もきっとその思いに答えてくれるはず」
また戻ってきてそれを彼に渡した。
弥生がふざけていないのは、彼女の目を見れば分かった。普通の人の目には、いつもと何ら変わらないジト目にしか映らないが、真備には、その瞳の奥の「真の心」が垣間見えた。
「そっか。ありがとな」
お守りには「合格祈願」の文字が刺繍で縫いつけられていた。わりとどこでも手に入りそうな、ありきたりなそれだが、弥生のくれたというだけで、あっという間に特別なアイテムに思えてくる。
「本番の試験が始まるまであと二十四時間を切ったし、あとはこのお守りを信じて全力を出し切るだけだな」
「お守りより自分の学力を信じるべき」
「おっ……とそうだった」
弥生には弥生の道があるし、真備にも真備の道がある。人は人、自分は自分とはよく言うが、他人と自分とを比べて落ち込むくらいなら、一歩先の未来をいく自分の背中を追い続けた方がいいに決まっている。
神社で弥生と再会して、そのことを痛感した。
「ありがと、マジでありがとな」
思い切り感謝の気持ちを伝え、真備が神社をあとにしようと回れ右したその瞬間、
「待って」
弥生が真備の袖をつかんで彼を引き留めた。
「お守り代、払って」
「ですよねー。泥棒は犯罪ですよねー」
「二千円」
「高えっ!」
「うち七割はマージン」
「俺戸牧に何かさせた?」
「わたしに持ってこさせた」
「そんだけで千四百円増し!? おまえの時給と一緒だな」
「『偶然だぞ』」
「そして返しがちょっと古い!」
「どうせなら絵馬も描いていって」
「『書く』じゃなくて『描く』ってあたりにお前らしさを感じるぜ」
「なぜ分かったし」
「絵馬と一緒にGペン渡されたら誰でも分かるわい!」
「一番いい萌絵馬を頼む」
「たしなみ程度にしか漫画描いてなかった俺にとっての無茶ぶり!」
「これ、作成例」
「すっごくリアルな侍二人の絵だな!」
「描いたのはわたし」
「さっきの同人誌と画風が別物すぎる! ……ん? なんか台詞書いてある……『拙者達浪人でござる』?」
「浪人が二人で二ろ――」
「笑えねえよ!」
「あとこれもよかったら」
「何これ? ああ、合格鉛筆か、五角形の」
「あ、手が滑って落ちた」
「お前わざとだろ! 絶対わざと受験生の禁句を言っただろ!」
「つかもうとした合格が、するりと手を抜けて逃げていった」
「もういい加減にしろ!」
「わたしはあなたの合格を信じている」
「今となってはその言葉からはまったく重みが感じられん! もういいって!」
神社に行ってるのにお参りしてませんね、この主人公。
バチが当たらないといいですが……。