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水鏡の姫  作者: 夜天 虹
後編
1/3

前編

 みなみなさま、お聞きくださいませ。

 これから人間のルールを学びに行く猿のおぼっちゃまも、歌い手を夢見るヒキガエルのお嬢様も、

 はたまた働き過ぎてくたびれたキリギリスの旦那さまも、どんなに着飾っても満たされないカラスのご婦人がたも!

 足を止めて、お聞きあそばせ。

 わたくしの名は、さじと申します。

 この世で最も愚かな、道化でございます!

 そう、この世で最も愚かで、最も己の分をわきまえている者でございます。


 これから話すは、過去に心囚われた少年と、未来にがんじがらめにされた女の物語。

 この物語の舞台は遠い昔、我らのご先祖様が『海はどこへでも繋がっており、その先に自分達の知らない大陸が広がっている』など露知らず、海の果てには世界の終わりがあると本気で信じていた時代のこと。

 わたくしたちの住む大陸の最果てにある、風の国という小国が大陸で一等勢いのある水の国に宣戦布告をされ、戦争が始まろうかという不穏な空気が民の心をむしばみ始めたときのことでございます。

 ささ、どうぞどうぞ気を楽になさってお聞き下さいませ!



 蟲惑的な青白い光を放つ月明かりは、冷え冷えとした地下牢の天窓をくぐって、柔らかに少年の輪郭を照らし出す。

 粗末な麻の服を一枚まとった少年は、石畳にほんの慰み程度に敷かれた藁に座り込み、壁に背を預けてぼんやりと空を見ていた。

 年は15,6歳といったところ。まだ大人になるには少し早い。

 両の手首は枷がはめられ、足枷にも鉛でできた赤ん坊の頭ほどもあるおもりがつけられ、ただでさえ細身の体であるというのに、なぜ世の中をまだ知らない子どもがこのような目に会うのかと、見る者の痛々しさを増幅させていた。

 腰まで垂らした黒髪は真っすぐでとても美しく、囚人には不釣り合いなほどつややかだった。

 そんな美しい髪の持ち主であっても、性別を間違いようがないのは、彼の放つ鋭利なオーラのせいだろう。

 目鼻立ちもくっきりとした美少年の瞳は、ただその美貌を背負うのにふさわしくないまでに生気が失われていた。

 この謎の美少年は、俗人の立ち入りを禁じられている魔の森にいるところを風の国の兵に見つかり、捕まったのだと言う。

 一体何者なのか誰もわからず、また本人も口を開かないために看守たちの間では、この美少年に対する憶測|(どこそこの貴族の落胤であるとか、人の形をした魔物であるなど)がいくつも飛び交っていた。


 この美少年が牢獄に入れられてから、6度目の満月を迎えたある日のこと。

 雑居房の粗忽な住人の声も届かぬ、静かに隔離された牢獄に一人の女があらわれた。

 礼儀を知らない看守ですら、なんとかおべっかを使おうとしているその女は、どう見ても一般人にはみえず、高貴な立ち振る舞いで、開け放たれた牢獄の中へつかつかと入ってきた。

 白銀に近い、金色の髪を束ねた女は身軽な軽装に茶っぽいマントをはおった旅人のような格好であったが、しかし腰には穏やかでないひとふりの剣を佩いていた。

 意志の強ような光を湛えたうぐいす色の瞳は、美少年の仄暗い黒い瞳の奥にある心の中まで見透かすように鋭かった。

「お前、私と一緒についてきなさい。一度捨てた『人としての尊厳』を取り戻すのです」

 張りのあるけれども、どこか優しさを含んだその声で一方的にそう言い放つと、女は腰の剣を抜いて少年の足枷とおもりを繋ぐ鎖の一つの輪の中に剣先をつきつけ、懇親の力で剣先を輪の中にねじ込み、鎖を断ち切った。


「水の国の姫の心を奪った魔の水晶を探しています」

 それが、禁忌の森に臆することなく踏み行った女の目的だった。

 重々しい鎖から解放された少年は、別室で旅の身支度を整えさせられた。

 ぼろぼろだった囚人服から、まともな旅のいでたちに着替えさせられ、端正な姿を現わした。

 くすんだ原石が磨きあげられて、素人の目にも本当の価値を思い知らせることができそうなほどにりりしい少年だった。

 ただひとつ、生気を失った瞳を除いてだが。

 少年をこぎれいにして満足げな女は夜が明けるのを待ち、牢獄から解放されて喜びも嫌がりもしない無感動な少年を連れて、魔の森の中へと踏み込んだ。

 牢獄があった要塞を出てから一日中歩き通しだったが、日も暮れたところで魔の森の中で野宿をすることになった。

 無関心、無頓着な少年は女の言われるがままについてきたが、ここにきて初めて口を開いた。

「なぜ、こんな森に僕を連れてきたの?」

 女は少年が初めて口を開いたことに驚いたが、先に述べた目的の詳細を少年に語った。


「風の国は痩せた土地ながら、根気強い農牧民のおかげでほそぼそと生活しています。わたくしたちは毎日の恵みを与えてくれる自然に感謝し、多くを望まない国です。しかし、隣にある水の国が因縁を吹っ掛けて戦争を仕掛けようとしているのです」

 ここまで話して女は少年の反応を待ったが、疑問を投げかけた本人はうんともすんとも言わず、だまっているばかりだった。

 中途半端に話を切るのも釈然としないので、女は最後まで話を続けることにした。

「水の国の王には、たった一人の娘がいます。その王女が愚かにも好奇心で魔の森に立ち入ったさい、心を抜き取られてしまったのです。心を抜き取られた王女は、まるであなたのように感情も関心もなにもないただの人形のようになってしまわれた」


 ただ押し黙って聞いているだけの少年に嫌みのつもりで言ったようだったが、少年はじろりと女の方を見たが、またつっと視線を何もない空間へ放り出した。

「水の国の王は大層悲しみ、三日三晩城の奥でふさぎ込み続け、泣き明かした4日目の朝に王女の心が抜き取られたのは私たち風の国の陰謀だと決めつけて、戦線布告をしたのです」

 そこまで言うと、女から怒りが滲みでてきた。ふるふると肩を震わせて、女は続きを述べた。

「とんでもない言いがかりです。王女の心を奪い、王の怒りを買ったところで私たちに何の得があるというのです?憔悴した王の国を攻め立てる軍備など、風の国にはこれっぽっちもありはしないというのに…!」

 込められた感情の力によって、声が大きくなっていた。


 ここまできてようやく、少年は動きを示した。

 まずは、人差し指を立てて口元にやり「静かにしたら」と女に注意を促した。

「目的を果たす前に、森に住む魔物に食べられちゃうよ。心を落ち着かせないと」

 少年に指摘され、女は頬を朱に染めたが正論であることに間違いはないので、女は握ったこぶしをゆっくりとほどいた。

「それで、風の国の王女であるあなたが、水の国の王女の心をもとに戻そうと危険を承知でここまできたっていうの?」

 年相応に見えない、落ち着いた声で少年は言った。

 女はぎょっとして少年を見たが、少年は涼しげな顔をして、正体を見破ったからくりを説明した。

「鎖を断ち切った剣のつかに、風の王家の紋章があったよ。王家以外にあの紋章を持つことはゆるされないんでしょう?」

 女は居心地の悪そうに腕をくんだり、目線を逸らしたりしていたが、ひとつの嘆息をつき、しぶしぶと話した。

「お前の言った通り、私は自分の国を守る為にここに来ました。風の国の潔白を証明するために、人の心を絡め取る水晶の存在を証明するために…!」

 今度は感情はこもっていても、声量は抑えられていた。

「なぜ、そこまでするの?王女であるあなたが」

「王女だからこそ、国を守りたい。王家に連なる私には、その義務があるのです」

 少年は心底冷めた目で、女を見た。

「僕には理解できないな。あなた一人で成し遂げればいいでしょう?僕の力なんて必要ないんじゃない?」

 今まで無感情だった少年にあらわれた初めての感情は、軽蔑だった。

「そうはいきません。お前にも協力してもらわなければならないのです。王女の心が奪われたのと時を同じくして、魔の森にあらわれたお前なら、何かを知っているはず。だから私は、わざわざ牢に繋がれたお前を連れ出したのです」

 そういうなり、女は少年の手をつかんだ。

「何かを知っているはずのお前の力が、私には必要なのです。」

 女は切迫した眼差しで、少年の瞳を真っすぐ射抜いた。

 射抜かれた少年はバツが悪そうに目線を逸らすとぽそりとつぶやいた。

「きっと、みつからない。みつかりっこないよ」


 女は顔をしかめたが、さっと平常心を取り戻したかのような振る舞いで、腰に下げた皮袋から大人の手の指の先から手首までの長さを二つ分並べたような長さの木の小箱を取り出した。

 落ち着いたこげ茶色の小箱は、角という角がまぁるく削り取られ、植物のツタが絡み合う装飾が施された、シンプルながらも品のある物だった。

 少年はその小箱を見るなり、動揺が隠せなかったようで、顔色が変わった。

「この小箱が欲しかったら、私に協力なさい。水の国の誤解が解けたら、お前に返してやります」

「脅しのつもり?」

「もちろん。私にはもう後がないのです」

 少年はとても困惑した表情を浮かべた。

「その箱の中身は僕にとって、とても大事なものだ。でも僕はあなたの望みは叶えられない。叶うものではないから」

「それはどういう意味…」

 不穏な空気が流れたのを二人は感じ取り、女は話すのを中断した。

 近くはないが遠くもない物陰から、獣の気配がしたのだ。

 それは四足で地を歩き、とても大きい陰を持っていたので、距離を置いている二人の人間を戦慄させるには十分だった。


「森の番人ですね…」

 女が低い声で囁いた。

「ねぇ、その小箱を渡して?そうしたら、僕はこの状況を打破してあげるよ」

「だめです、私の願いを聞き入れてもらうまでは…」

「そんなことを言ってる場合じゃないんじゃないの?」

 二人がもめている間に、獣はじわりじわりと距離を詰め、詳細が視認できるほどまで来た。

 どうやら、人を二人はまる呑みできそうなほどに大きい銀狼のようである。

「お前はここから離れていなさい」

「そんな細身のあなたが戦うつもり?」

「一応、奥の手はもっています」

「僕、逃げたら帰ってこないかもしれないよ?」

「この箱は大事なものなのでしょう?なら、あなたは私の前から消え失せることができないのは知っています」

「大人のそういうところ、僕は嫌いだよ」

 少年は言い捨てると、走り出して姿が見えなくなった。


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