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入江・2

 沈んでいく夕陽に照らされながらユーノと確認すると、放棄された野営地には食料も水もたっぷりと用意されていた。天幕は一つだけだったけれど毛布は何枚も積まれていたし、焚火用の薪は火を点けるばかりの状態に組まれていて、ご丁寧にディレクターズチェアのような持ち運び用の椅子がいくつか置かれている。キャンプとしては随分恵まれていると言えるだろう。さすが王族さま御一行ってことだろうか。

 天幕の中にあった日用品の入った箱にブラシがあったので、私は自分とユーノの服を丁寧に払った。もちろん手と拾って来た宝石は海水でよく洗い流した上で、箱の中の石鹸で洗って樽に入っていた真水で濯いだ。

「この宝石、どうすればいい?」

 ユーノに指示を仰ぐと、あっさりした答えが返ってきた。

「キーネさまがお持ちください。キーネさまが拾ったものですから」

「私、宝石なんか持ってても仕方ないけど」

 こんなもの、あちらに持って帰っても豪華すぎて身につけることも換金することもできない。

「それでもキーネさまのものですから。国に帰ったらきちんとした値で引き取らせていただきます」

 そう言われてもとは思ったけれど、ユーノは忙しそうだし、ハーヌは鞄なんか持っていないから、結局私が持っていることにした。リュックから化粧ポーチを取り出して、中を入れ替える。化粧品はあまり使わないことにしているから大して量はないので、鞄の底に直接入れておくことにした。

 私がそんなことをしている傍らで、ユーノは手際よく辺りを整え、薪に火をつけた。火打ち石で火を熾し、焚きつけから本格的な薪に炎を広げていく作業はなかなか難しそうなのに、ユーノは戸惑った様子もなく着々と進めていく。王子さまでも私より余程生活力があるようだ。ライターどころかマッチもない状況では私には火は熾せない。

 ハーヌはというと、焚火のあちら側にある色々なものをかなり強引な方法で撤去していた。程なくハーヌの巨体が寛げるだけの空間が現れる。少し離れれば開けた場所はいくらもあるのだが、私たちの傍にいるつもりらしい。それが義務感からなのか、あるいは社交的な性格からなのかは不明だ。

 ちなみに火をつけようとしているユーノに、ハーヌに頼んだら、と提案したら、ユーノが何か言う前にハーヌに断られた。曰く「一瞬で灰にするならできるが」だそうだ。訊いた私が莫迦だった。

 ユーノはそんな大技には頼らなくても全く困らないようで、いよいよ日が沈んで手元が暗くなる頃には空に向かって明々と火が燃え上がった。ハーヌと私もちょうどよくそれぞれの用事を済ませて火の周囲に集まる。周囲を闇に包まれた中で見る炎は安心感に満ちて、私は改めて火を熾してくれたユーノに感謝した。

 炎が安定すると、次にユーノは薪の山は挟むように立てられていたY字型の金属の棒にやはり金属の棒を渡しそこから水を入れた鍋を下げた。今度は食事の支度らしい。本当に何でもできる王子様だ。

 一旦手を止めたユーノは困ったようにハーヌに尋ねた。

「ハーヌさまの食事はどうしましょう? 材料はたくさんあるのですが……」

 確かに、竜って何を食べるんだろう? 何であれ尋常な量ではないだろうなと思う間もなく、ハーヌは簡単に答えた。

「俺には構わなくていい」

「ハーヌは食べなくていいの?」

「まったく食べないわけじゃないが、今は必要ないな」

「わかりました。それでは私たちの分だけ用意いたします」

 言ったものの、ユーノは立ち上がると脇に置かれていた樽を一つ抱えてハーヌの横にどさりと置いた。

「ワインは飲まれますよね?」

「ああ、もらおう」

 答えてハーヌは樽の蓋になっている木に爪を掛け、ぱきりと割った。

「キーネさまも飲まれますか?」

 どうしよう。お酒はあまり好きじゃない。あまり強くないこともあるし、それ以上にお酒の席にあまりいい思い出がないからだけど。でも食べるものがとんでもなく強烈な味だった場合、飲むものがあったほうがまだ何とかなるかもしれない。

 迷った私が答える前にユーノはさっさと別の樽から二つのカップにワインを注いで、片方を私の横にあるテーブル代わりの木箱に置いた。

「よろしければどうぞ。お嫌でしたらそのまま置いておいてください」

 ――まったく、一々配慮がいいなぁ。

 ユーノは自分のカップから一口飲んで、今度はナイフと野菜を手に取った。手早く切って鍋に放り込む。どうやらスープを作るらしい。

「ユーノは王子さまって言ってたよね」

「ええ。現国王の第一王子です」

「王子さまなら、料理なんてする必要がないんじゃないの?」

 先程からの疑問をぶつけてみる。

「ええ。王宮ではまずしませんね」

 ユーノはあっさりと頷いた。よかった。これで毎日しているとか言われたら王宮のイメージが崩れるところだった。

「それにしては手際がいいよね」

「ありがとうございます」

 律儀にお礼を言って、ユーノは理由を続けた。

「私は士官学校におりましたので、野営に伴う雑用は一通り訓練を受けました。あくまでも訓練だけでしたのであまり上手ではありませんが、最低限のことはできます」

「王子さまが学校に?」

「ええ。貴族の子弟の多くが士官学校に通うのが慣例ですから。軍の掌握と共に同世代の貴族に知己を得るのは将来の治世に必要なことです」

 なるほど、将来国を治めるとすれば、王宮でのほほんとしているばかりではいけないのだろう。

「雑用もするなんて、王子さまでも特別扱いされないんだね」

「特別扱いされると、仲間になれませんから」

 ユーノはさらりと答えて鍋をかき混ぜた。最低限しかできないと言いつつ、危なげのない動き。元々器用なのかもしれない。

 鍋に蓋をすると、ユーノは次に金属の横棒に網を水平にぶら下げて、茶色いたれに漬けこまれていた肉を乗せた。入江から聞こえる波の音に薪のはぜる音と鍋の煮えるぐつぐついう音が乗り、更に肉の焼けるじゅうっという音が加わった。いつもより音がよく聞こえる気がするのは、他の音がしない所為だろうか。

 夜空の下で、目の前には揺れる炎。隣には金髪美形の王子さま、向かい側には巨大な竜。どうしても現実とは思えないのに、何度手をつねっても目が覚めない不思議。

 ぼんやりしている私の横で、ユーノは手を休めることなく手早く使った道具を片づけ、物入れから木の器と金属スプーンを取り出して木箱の上に置いた。鍋を覗いて調味料らしきものを少し入れ、改めてかき混ぜる。ふわりと美味しそうな匂いが漂った。

 軽く味見をしてから、ユーノは素朴な木の器にスープを注いで渡してくれた。

「熱いですから気をつけてください」

「ありがとう」

 礼を言って受け取り、そっとスプーンでかき混ぜる。暖かい湯気が鼻腔をくすぐった。まずはスープだけをそっと掬う。色と匂いの感じからすると特別辛かったり酸っぱかったりといったことはなさそうだ。

 恐る恐る口に含むと、予想通り比較的穏やかな塩味のスープだった。先程ユーノが入れていた中によく分からない素材があったのだが、どうやら干した魚肉だったようで、微かに出汁のような味がする。次の一口は具も一緒に。ほろりとした歯触りと共に優しい味が口の中に広がった。

「美味しい」

 素直な感想を言うと、ユーノがにこりと笑った。

「お口に合ってよかったです」

 食べ始めると、お腹が空いていたことが改めて感じられた。そう言えばお昼から今までカフェオレ一杯しか口にしていない。身体は結構動かしたのに。

 思わず黙ってスープに集中していたら、視線を感じた。目を上げるとハーヌがこちらを見ている。何だろう。

――さっきは食べなくていいって言ってたけれど、他人が食べているのを見たら食べたくなることってあると思う。ハーヌもそうなのかな。

 そこまで考えて、唐突に昼間の会話を思い出した。

 ――女の子ってのはおやつにちょうどいい――。

「も、もしかして、私のこと、食べようとかって思ってる?」

 浮かんだままに口にしたら、ハーヌが怪訝そうに首を傾げた。

「は?」

「だって、昼間、女の子はおやつにちょうどいいって……」

 言いながら自分でも莫迦なことを言っていると思って声が小さくなる。だって、もしもハーヌが私を食べる気なら、とっくにそうしていただろう。今更訊くようなことではない。

 案の定、ハーヌは私の言葉を理解すると、身体を揺すってげらげらと笑いだした。

「冗談だ、冗談。キーネを食べたりなんかしないから安心しろ」

身体が大きいだけに笑い声も大きい。

 ひとしきり笑ったハーヌは、ふと意味不明なことを言った。

「いや、別の意味では食いたいかもな」

「え?」

「いや、ま、気にするな」

 ハーヌに説明する気はないらしい。

 黙って遣り取りを聞いていたユーノが、楕円形のパンに切れ目を入れながら尋ねた。

「キーネさまは、ハーヌさまといつからご一緒にいらっしゃるのですか?」

「ユーノに会う、少し前から」

 端的に答えると、ユーノは納得したように頷いた。

「ああ、そうなんですね。息が合っていらしたので、もっと前からご一緒だったのかと思っていました」

 ユーノはパンを網の端に乗せて肉をひっくり返した。肉の焼ける音と共に香ばしい匂いが漂った。あれ、この匂いは……。


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