小島・1
ハーヌの背に乗って飛んだ感覚は、一言でいえば「最高!」だった。
天気は上々、公害のない空と海は青く光っている。風は吹き付けてくるけれど寒くはなくて、むしろ気持ちがいい。
ハーヌの首の付け根に座り、手でたてがみを掴む。飛び立つ前に確認のためぎゅっと引っ張ってみたけれど、私の力くらいでは痛くないそうだ。
「ハーヌ! すごく気持ちがいいねっ」
風に飛ばされないように大きな声で言うと、長い首をくるりと曲げてこちらを向いたハーヌが笑った。顔自体が大きいのと竜なのとでわかりにくいけれど、楽しそうな表情をしている気がする。
「それはよかった。じゃあもう少し高く飛ぶぞ」
「うんっ」
答えた途端に、ぐっと高度があがる。ぽかりと浮かんだ雲が横に見えた。
「うわっ」
小さな叫びと共に、背負ったリュックが肩に食い込んだ。ユーノがしがみついたらしい。
ハーヌの背中に乗るときにユーノとどちらが前になるかモメた挙句、結局私が前になった。私は別にユーノの後でも構わなかったのだが、ユーノは自分が前になってハーヌを乗りこなす自信はないと言いきった。別に乗りこなすというほどのことではないんだけど。
私は前でも構わないけれど、ただ直接身体に抱きつかれるのは嫌だったので、ユーノが私のリュックに掴まることになった。いくらイケメンでも、いや、イケメンだからこそ、密着されるのは嫌だ。ユーノも直接私に掴まることにならなくてほっとしたらしい。さすが王子さまは品行方正だ。
結果的に私が前なのは正解だったと思う。とにかく視界が広い。ハーヌが上昇すると雲がぐんと近づいて、一瞬視野を白い霞みが覆い、そしてぱあっと青空が広がる。下降に転じるときらきら輝く海面が大きく広がる。次に見えるのは滑らかな回転に伴って傾く水平線。綺麗な弧を描いて視野を過るハーヌの長い尾。後ろではこうはいかない。
「わ、わっ」
背中でユーノの声がした。相当怖がっているようだ。
無理もないとは思う。服装から察するに、この世界にはまだ飛行機なんてないだろう。きっと空を飛ぶことができるなんて考えたこともなかったはずだ。それが急にこの状態では、怖くて当然だ。
頭では同情しつつ、私はハーヌに速度を落としてと頼むことはしなかった。だってこの心地よさは格別だ。吹き付ける強い風がちっぽけな悩みなど吹き飛ばしていく。どんなジェットコースターだって、この解放感には勝てない。
「大丈夫か?」
「うん。すっごく気持ちいい」
心の中でユーノにごめんと謝って、自分の気持ちだけを答える。ハーヌはまた笑ったようだった。うん、ハーヌなら万一私が落ちたとしても、きっと海面に叩きつけられる前に拾ってくれるだろう。――そう思えるからこそ、無邪気に楽しんでいられるんだってことは、私にだってわかっている。ついさっき出会ったばかりなのにね。
少々手荒い空の散歩をたっぷり楽しんだ後、ようやく私たちは目的の小島に向かった。
上から見下ろすと、本当に小さな島だった。崖の上の平たくなった部分はテニスコートくらいだろうか。横から見た島は茶色い岩だったのに上から見るとほとんどが白と黒と灰色だ。
「鴉はいないようだな」
ハーヌが言った。
「うん。周りにもいないよね」
「ああ」
「降りてみる?」
「お願いします」
ユーノが小さな声で答えた。
「鴉が来たら逃げるからな」
言ってハーヌが高度を下げる。
降り立った島は糞の臭いが漂っていた。上から白く見えていたのは糞と孵化した後の卵の殻だったらしい。黒が羽根と羽毛。灰色なのは藁か何かで、巣の形に丸くなっている。
糞はしっかりと固まっていて、歩くと靴の下で微かに砕ける感触がした。多分糞が固まっているからこの程度の臭いで済んでいるのだろう。べたべたしていたり、歩くたびに粉塵が舞い上がるようでは歩くこともできない。
ハーヌの背中から滑り降りると、ユーノは膝に手を当てて身体を支えた。
「大丈夫?」
「は、はい……」
「顔色悪いよ」
「ちょっと船酔いというか、竜酔いしたようです」
言って大きく息を吐いたユーノは、ようやく身体を起こした。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「ううん。無茶させてごめん」
青い顔を見ていると良心が疼いた。ハーヌの飛行が手荒かったのは私の所為だ。
「探すのは宝石だよね? 私、その辺を見てくるから」
罪悪感から積極的に協力を申し出て、ユーノから離れて歩きだした。とはいえ、こんな糞だの卵の殻だのばかりの島にとても宝石なんかあるとは思えな――あれ?
すぐそこの大きな巣の脇に、ピンポン玉くらいの真っ青なものが煌めいている。きっとサファイアか何かだろう。ガラス玉としか思えない大きさだけど、私のデコ携帯とは輝きの深さが違う。
「あった!」
声を上げて駆け寄る。いくら宝石でも糞のついた物を素手で触るのは嫌だったから、タオルハンカチで包むように拾い上げてみると、青い石は銀の指輪の一部分だった。こんなに大きな石のついた指輪なんて邪魔としか思えないけれど、高価なのは確かだ。
指輪を見せようとユーノに向かって振り向こうとしたときに、今度は目の端にピンク色の四角い物が映った。糞がべっとりとついていて、半分しか見えないけれど、でも、どうみてもあれも宝石なんじゃないだろうか。
駆け寄って持ち上げると、ピンク色の宝石がいくつも嵌められた金色のブレスレットらしきものがぶら下がった。石はさっきの青いのよりも小さいけれど、石の数が多くて金色の部分にはかなり細かな細工がしてある。これも間違いなく高価なものだろう。
改めて見回すと、あちらこちらで羽毛の隙間や藁の下からちかりと光るものが顔を覗かせていた。何かの道具らしい金属片やコインがほとんどだけれど、よく見れば宝石らしいものもちらほら混ざっている。鴉は光るものが好きというのは、世界が違っても同じらしい。
どれが国宝なのかはわからないまま、私は目についた物を拾うことにした。集めてからユーノに選んでもらえばいい。文字通りの宝探しは、臭いさえ我慢すればなかなか楽しかった。
タオルハンカチに小さな山ができたところでハーヌの声が掛かった。
「鴉が戻ってくる。乗れ」
「はぁい」
言いながら戻ろうとしたところで、私は少し離れた巣の陰に他のものよりもずっと巨大な赤い宝石を見つけた。どうして今まで気がつかなかったのかと不思議になるほどの強い輝き。
駆け寄って間近で見ると、石の中で炎が燃えているように光が揺らめいている。こんな光り方をする宝石があるなんて、聞いたこともない。きっとこれが国宝に違いない。
「キーネさま」
ユーノの声を聞きながら、私は宝石を素手で掴んだ。手が汚れるのなんて気にしていられない。今これを持ち帰らないと、次の機会はない気がする。
ぐっと力を込めたのに、宝石はびくともしなかった。
「キーネ、早く!」
ハーヌに急かされながら、渾身の力で押すと、やっと宝石がぐらりと揺れた。一度動いてしまえば後は早い。二度三度と揺らすと、握り拳大の宝石がぱかりと取れた。
炎のように光っているのに、手触りが冷たいのが奇妙に感じる。
「取れた!」
宝石を掴んで立ち上がり、振り向いた目に飛び込んできたのは、こちらに向かって飛んでくる黒い鳥の群れだった。