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宰相宮・10

 食事を終えて食器を下げるのを手伝った後は、することがなくなった。何しろ外に出るなと言われているのだ。

「貴族のお客様って、こういう時は何をしているの?」

 尋ねてみると、ライラは首を捻って前置きをした上で、考えながら答えた。

「貴族の方々とはあまりお会いする機会がないのであまり詳しくは知らないのですが、ご友人同士でお喋りを楽しまれることが多いと思います。お一人でしたら本を読まれたり、刺繍をなさったり、といったところでしょうか」

 折角答えてもらったものの、残念ながら参考にはならない。

「私にはこちらの文字は読めないし、刺繍なんてしたことないからな……」

 手芸や工芸品が好きならこの部屋の中を見て回るだけでかなり楽しめるんだろうけれど、私には無理だ。部屋の中は昨日ゆっくり見て綺麗な調度や見事な細工に感心はしたものの、それ以上どうこうという気にはならない。

「あ、後はゆっくりとご入浴を楽しまれる方もいらっしゃいます」

 思い出したようにライラが付け加えた。

「お風呂? 午前中から?」

「はい」

 一瞬貴族ってのはなんて怠惰なんだろうと思いかけたけれど、よく考えたら日本だって温泉旅館なら朝風呂は普通だ。西洋風な雰囲気に思考が引き摺られているのに気づいて思わず苦笑した。

「お風呂がよろしければ、すぐに準備させます」

 私の表情の変化を誤解したライラが今にもドアに向かおうとするのを慌てて止めた。

「ううん、お風呂は好きだけど、今はまだいい」

 私の反応にライラが困ったように眉尻を下げる。

「申し訳ありません。何かお楽しみをご用意できればいいのですが、私はそちらには疎くて……」

 私だって成績優秀で真面目な官吏に娯楽を求めるのが筋違いなことくらい分かっている。早く何かを始めないとライラが困るばかりだ。

 手掛かりを求めて見回すと窓が目に入った。近寄って見ると観音開きの掃き出し窓は中庭に向かって張り出したベランダに通じているらしい。ここは二階だから、髪さえ隠せばベランダに出るくらい構わないだろう。

「ねえ、ベランダに出たいんだけど、スカーフとか、帽子とか、髪が見えないようにするものってないかな? 景色を眺めるくらいいいよね?」

 ライラに尋ねると撃てば響くような答えが返ってきた。

「それならベールがあります。すぐに持ってきますね」

 


 待つほどもなく戻ってきたライラが持っていたのは、顔は隠さずに髪の部分だけを覆って肩の下まで垂らすタイプのベールだった。ロシアのマトリョーシカが被っているのがこんな形だった気がする。中東の女性が被っているような頭からすっぽり覆うタイプでなかったことにほっとした。偏見かもしれないけれど、顔を覆われるのは鬱陶しそうだ。

 早速身につけて、周囲に彫刻が刻まれた壁かけの鏡で確認する。うん、これなら宰相も文句は言わないだろう。

 一から十まで宰相の言いなりになるつもりはないけれど、無駄に怒らせる必要はない。ここは相手のホームだし、騒ぎなら最初に十分起こしたし、ね。

大体今の私には戻ってくるかどうかすらわからないハーヌの帰りを待つことしかできないのだ。

 ――ハーヌは今どうしているんだろう。きっと怒っているよね。いや、怒ることができる状態ならまだいいのだけれど。

ベランダに出て空を見上げる。昨日の雨などなかったような青空。柔らかな風が新緑の香りを漂わせながら頬を撫でていく。

 いくら見上げても、あの深緑の巨体が見えるはずがないのはわかっているけれど、それでも見上げずにはいられない。もう何度目だかわからない苦い後悔が胸を締めつけた。

 ライラは何も言わずに少し後ろに控えている。景色を眺めると言ったのに空ばかり見上げている私を不審に思わないはずはないのに。

 私だって、別に空を見るためにここに出てきたのではなかった。どちらかといえば、解放感を味わいたかったからだ。でも一度気になってしまうと視線を降ろせない。軽く溜息を吐いたのを機に、もうやめよう、と思った時だった。

「キーネ殿」

 突然呼びかけられた。呪縛が解けたように視線を降ろす。見ると中庭の小径でユーノが手を振っていた。横に騎士らしき人が二人いる。多分護衛の人だろう。

「キーネ殿、ライラ殿もおはようございます」

 私が視線を向けるとユーノが相変わらずの王子さまスマイルで挨拶をしてくれた。

 軽くおはよう、と返そうとして護衛の人の視線に気づく。特に敵意はないようだが、誰だろうという怪訝そうな表情。無理もない。

そういえば、昨日ユーノは私を「キーネさま」と呼んでいたけれど、今は「キーネ殿」だった。私が稀人であることを隠す以上、ユーノの臣下として振舞わなければ不敬罪になるだろう。

「おはようございます」

 なるべく丁寧に挨拶する。ライラみたいに殿下と呼びかけたほうがいいのかもしけないけれど、なんだかくすぐったい。慣れないことをして笑ってしまったらぶち壊しだから、余計なことは言わないほうがいいだろう。

「よく眠れましたか」

 私がおたおたしているというのに、ユーノは爽やかな笑顔で問いかけてくる。

「はい。お蔭ですっかり寝坊してしまったようです」

 上から見下ろして会話すること自体マズいのではないかと、今更のように疑問が浮かんだが、ユーノは気にした様子もなく話しかけてくる。

「それはよかった。朝食はもうお済みですか?」

「はい。先程いただきました」

「この後、何かご予定は」

 することがないことくらい知っているのではないかと言いたくなったが、これは護衛の人がいるからこその質問かもしれない。

「いえ、何もありません」

 余計なことを言ってはいけないのかもしれないから、簡潔に答える。なんだか初級英会話みたいでおかしな会話だ。

「後ほどそちらに伺ってもよろしいですか?」

「もちろんです。お待ちしております」

 今後のことも含めてユーノに相談したいと思っていたのだ。私は力を込めて頷いた。

「それでは汗を軽く流してから伺います」

 汗を流す、という言葉でよく見れば、ユーノはびっしょりと汗をかいていた。護衛の人も襟元を緩めている。

「汗? 何かあったのですか?」

 宰相側と何かあったのかと思わず物騒なことを想像したけれど、それは杞憂だった。

「いえ、朝の鍛錬に参加してきたのです。思い切り身体を動かしてすっきりしました」

「ああ、それで」

 納得した私にもう一度後で行くと言って、ユーノは護衛の人たちと去って行った。

 後姿を見送って、はああと大きく息を吐く。

「どうしました?」

ライラが顔を覗きこむ。

「敬語じゃないといけないと思ったら、肩が凝っちゃった。王子さま相手に親しげに話したら怒られるよね?」

「そうですね。本来はきちんと敬語を使わなくてはいけないと思います。でも、私も昨日初めてお話しさせていただきましたが、殿下はあまり気になさらないようにお見受けしました」

「ユーノは気にしていないだろうけど、お付きの人だか護衛の人だかが、いきなり怒り出したりしないかな?」

 私の疑問にライラは困った顔をした。

「その辺は何とも言えませんね。杓子定規な方だと煩く仰るかもしれません。殿下の近衛なら貴族の出身でしょうし……」

 確かにライラに訊いても分かるはずがない。ユーノが来たら直接尋ねようと思いつつ、私は改めて中庭の景色を楽しむことにした。


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