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宰相宮・5

 あらかた食べ終わったところでライラリアさんがお茶を淹れてくれた。淹れる手順や見た感じは紅茶とほぼ同じだ。ふんわり漂う香りが爽やかで、きっと高級なお茶なんだろうと思う。

 お茶くらいは一緒に飲もうと誘ったら、ライラリアさんは最初は遠慮していたものの、今度もユーノに促されて自分のカップも用意した。うん、このほうが落ち着く。

 お腹が満たされてお茶を飲みながらほっと息を入れると、やっと先程のことを振り返る余裕が出てきた。

「ごめんなさい。私が触ったのって『逆鱗』だったんだね」

 謝りつつ確認すると、ユーノが頷いた。

「その名前はご存知でしたか。竜のいない世界にいらしたと聞いていましたが」

「うん。名前と、触ると竜が怒るってことしか知らない。まさかあれがそうだとは思わなくて……。ごめんなさい」

 言っているうちに言い訳じみてしまったのが嫌でもう一度謝ると、ユーノは首を横に振った。

「謝ることではありませんよ、ご存知なかったんですから。きちんと伝えておかなかったハーヌさまが迂闊だったと思います」

 きっぱりと言い切った言葉は私には優しかったけれど、それでハーヌを責めるのは筋違いだろう。とはいえ、私は言葉尻を捕えるよりももっと気になっていたことを尋ねた。

「ハーヌが今どうしているのか、知ってる?」

「私も正確なところは知りませんが、言い伝えでは『逆鱗に触れられた竜は怒りのあまり周囲を破壊し尽くした後、地中に潜って深い眠りにつく』そうです」

「じゃあハーヌは今眠っているの?」

「ええ、多分」

「よかった」

 ほっとした。もしも竜の身体ごと破壊してしまうまで暴れ続けるのだとしたら、と不安だったのだ。少なくともこのことでハーヌが死んでしまうことはないらしい。

「よかった?」

 私の感想が不思議だったのか、ユーノが首を傾げた。

「うん、だってこのままハーヌが死んじゃったら、私の所為だから……」

 苦しげに暴れていたハーヌの姿が目に浮かぶ。縋りついているのがやっとで細かいことはわからなかったけれど、今思えばハーヌは相当苦しそうに見えた。

「竜は長寿な生き物ですから、そう簡単には亡くならないと思います。天に昇って行きましたから、あれで地上の破壊は終わりでしょう。ただ、地中での眠りがどのくらい続くのか私にはわかりません」

 そうか。竜だもんね、百年も眠るってことも有り得るわけだ。

「あの火事は竜が起こしたものなんですか?」

 ライラリアさんがおずおずと尋ねた。建物の中にいたのなら外の騒ぎの理由はわからなかっただろう。

「うん、そう。私が知らないで逆鱗に触ってしまって……」

「そうだったんですね。ますますご無事でよかったです」

 ライラリアさんは穏やかに微笑んだ。賢くて美人で控えめって、理想の奥さんだ。

「うん、まぁ、それはそうなんだけどね。ただ、竜がいないと帰れないから、ちょっと困ったかなって」

 なるべく軽く言ったつもりだったのに、語尾が軽く震えた。こら、深刻になるんじゃないぞ、私。ここで落ち込んだら目の前の二人が困るだろう。

「ハーヌさまはキーネさまのところに帰ってくるはずです。それがいつになるのかは私にもわかりませんが、それまでは私がキーネさまを客人として歓迎します」

 ユーノがきっぱりと言った。優しいなぁ。

「ありがと」

 しんみりしないように、軽く言ってみる。

「竜の眠りなら、三日三晩か、あるいは七日七晩ではないでしょうか」

 ライラリアさんが言った。

「三日?」

「はい。竜についての文献をいくつか見たことがあります。逆鱗との関係はよくわかりませんが、地中に潜って眠る期間が三日とか七日という記述があったのは覚えています。他には時を超えるといった表現もあるので、私たちの呼ぶ一日と必ず同じかどうかはちょっとはっきりしませんが」

 ライラリアさんが考えながら言う。私を元気づけるように、でも余分な期待を持たせないように気をつけていることが言葉の端から窺えた。

「わかった。あんまり期待しないで待ってみる。ハーヌの目が覚めたって、怒ってもう私のところには来ないって可能性だってあるんだしね」

 軽く肩を竦めて言いながら、窓の外に目を向ける。気がつけばいつの間にか雨が止んでした。

「あ、雨、止んだんだね」

 これ以上空気が重くなるのを避けるように窓に近づく。観音開きのガラス戸を押し開くと、湿った空気が流れ込んできた。

 この部屋は二階で、目の下は中庭になっている。この中庭はハーヌの暴走の被害を受けなかったようで、雨に洗われた葉っぱの上で水滴がいくつも光っているのが見えた。視線を上げると、先程の豪雨が嘘のように綺麗な青空が広がっている。

「凄い降りでしたが、このくらいの時間なら被害はあまり出ていないでしょう」

 ユーノも立って窓辺にやってきた。

「このところ雨が少なかったので、かえって助かりました」

 ライラリアさんも後ろからやってきてにっこりと笑った。

「それならいいんだけど。私の所為で洪水になったとか、寝覚めが悪すぎる」

「あのくらいなら大丈夫だと思います。火事もすぐ消えたはずですし、むしろ恵みの雨です」

 私がほっと肩の力を抜いたところで、ライラリアさんが悪戯っぽく笑った。

「ところで、キーネさまは温泉はご存知ですか?」

「温泉? 地面からお湯が沸く?」

 この西洋風の世界で聞くものとしては違和感がある言葉に、言わずもがなの確認をしてしまう。

「はい、そうです。やはりご存知なんですね。お好きですか?」

「うん。好きだけど。……それってお風呂に入る温泉だよね?」

 頷いておいてから心配になって更に確認する。西洋には飲む温泉があるらしいもの。

「はい。飲むこともできますが、我が国では温泉で入浴することが健康にいいとされていて、名物にもなっています」

「へぇぇ」

「そろそろ用意ができる頃ですので、いかがですか?」

「うん、是非入りたい」

 言われた途端に身体の汚れが気になった。昨日の晩はお風呂に入っていないし、今日にいたっては煙だの汗だのでどろどろだ。全身しっかり洗いたい。

「ちょっと見てまいりますね」

 ライラリアさんが一礼して出ていくと、ユーノが思い出したように言った。

「我が国の温泉は建国の稀人スズーキが拓いたとされているんですよ」

「稀人が?」

「ええ。我が国を建国する際にスズーキは初代の国王と共に国内を旅して回ったそうです。その時にスズーキが訪れた地のいくつかで温泉が沸き、そこを中心として都市が発展しました。このドゥエラもその一つです」

 行く先々で温泉が沸くって、確か弘法大師だっけ。温泉が大好きだったお祖母ちゃんがお湯に浸かりながら教えてくれたのを覚えている。少なくとも普通の日本人にはできないはずだけど、スズーキって何者だったんだろう?

「それ、あちらの人、誰にでもできることじゃないから。私に期待しないでね」

「そうなのですか」

 なんだか残念そうなユーノの口ぶり。どうしても稀人信仰から抜け出せないらしい。困ったなぁ。


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