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宰相宮・2

 いきなり話を振られて焦った私は、反応することもできずに固まった。下から見上げる衛兵さんたちの視線が痛い。

 固まったままの私の前で、宰相がわざとらしく驚いて見せた。

「これはこれは、殿下はこのような稀有なご友人をお二人もお持ちだったとは。さすがは王太子殿下、私めのような凡夫には思いもつかないご交友ですな」

 ――いや、あなた、さっきからハーヌと私のことが見えていたよね。

 白々しい台詞に呆れたのは私だけではなかったらしい。

「戯言はいらぬ。探し物を今すぐ差し出せばこの件は不問に付す。直ちに持ってこい」

 ユーノは宰相の反応を一言で切り捨てると、本題を逸らさずに続けた。

「知らぬと申し上げておりましょう。それともこの館のどこにあるか、その稀人さまがお導きいただけるのですかな」

 ユーノの言葉にも怯まず、宰相は冷ややかな目つきで私を見る。あれはできっこないと確信している目だ。

 私は黙って曖昧な笑みを浮かべた。下手なことは言えない。こんな時だけは、私はしっかり日本人だ。

「ほう、やはりこの館にあるのだな」

 ユーノが言葉尻を捕える。でもちょっと強引すぎないかな。

「そうは申しておりません。あくまでも稀人さまがあると仰ったとのことでしたので、どこにあるのかとお尋ねしたまで」

 うん、やっぱり宰相は誤魔化されない。

 もしや私に何か不思議な力でも宿っているんじゃないかと、じっと建物の方を見てみたけれど、残念なことに、というか、当然ながら、閃くものなど何もなかった。

 黙っている私の横でユーノと宰相はその後も押し問答を続けたけれど、膠着してしまった感は否めない。出せと言うユーノと、ないと言う宰相。竜と稀人の存在でなんとかユーノは踏み留まっているけれど、客観的に見れば証拠がない以上言いがかりと言われても仕方がない。しかもここは宰相宮。宰相にとってはホーム、ユーノにとってはアウェーだ。

 このままでは埒が明かないと思った私は、ハーヌの首筋を軽く叩いた。長い首がゆらりと曲り、大きな顔がこちらを向く。

「どうした?」

 この時点で私は、「ちょっと火でも吹いて脅したらどうかな」と言うつもりだった。大声で相談するのは憚られたから、ちょいちょいと手で合図して、ハーヌに顔を寄せてもらう。

 手を伸ばせば届く距離に近寄って来た大きな顔に向かって、そっと話しかけようとした時、私はふとあるものに視線を奪われた。

 ハーヌの顎のところ、堅そうな髭の下の部分。暗緑色の艶々した鱗が綺麗な波模様を描いて並んでいるところに一か所、色が薄くなっているところがある。いや、色が違うんじゃない、光の反射の方向が違うみたい……。

 一度目に留まると妙に気になってしまい、私は何気なく手を伸ばした。

「ハーヌ、ここ、どうしたの? なんだか色が――」

 最後まで言い切ることはできなかった。

 私が「それ」に触れた瞬間、ハーヌの目が光を放つかのようにカッっと見開かれた。大きな身体を波のように緊張が走り、背筋が空に向かって伸ばされる。次の瞬間、ハーヌの口から咆哮が轟いた。

「ぐおぉぉぉぉぉぉんんんんん」

 あまりの大音響に耳がきーんと鳴り、何も聞こえなくなった。それでも音が振動となってびりびりと伝わってくる。ハーヌの口から空に向かって炎が噴き上げられるのが見えた。巨大な火柱はまるで映画のようだ。

 あっけに取られる私とユーノを乗せたまま、ハーヌは大きくのたうつと、そのまま目の前の建物を飛び越えた。

「な、何が……」

 言葉を失った私の頭に、今更のように一つの単語が浮かんだ。

 ――逆鱗。

 ――そう、あれは逆さに生えた鱗だったんだ――。



 建物を飛び越えてもハーヌの暴走は止まらなかった。隣の中庭でぐるぐると渦を巻く。目の前を窓や壁が溶けるように流れて見えた。時折立木がぶつかってくるのを必死に伏せてやり過ごす。

 ばきりとかぐしゃりという音の合間に、ガラスの割れる音がするのは、ハーヌの咆哮の音圧か、はたまた渦巻く空気の風圧か。あるいは時折放たれる火炎の仕業かもしれないし、ハーヌ自身の身体の一部がぶつかっているのかもしれない。壊れていく気配だけはわかるものの、一つ一つをゆっくり視認する余裕は私にはなかった。

 ぐるぐると地を這ったハーヌは、時折弾かれたように飛び上がり、また別の庭で低い位置を飛ぶ。必死にしがみついている私には、もうそれが何度目なのか、どのくらいの時間が経っているのか、まったく分からない。ただ徐々に痺れ始めた腕が、ずっとこうしてはいられないことを伝えてくる。

 いくつ目かの庭で、ユーノが耳元で叫んだ。

「手を放してください」

「え、でも」

 そんなことをしたら落ちてしまう。

「ここなら植え込みがあります。ほら、早く」

 有無を言わさぬ強い声に促されて、力を入れ過ぎて硬くなった手を必死に開く。なかなか言うことを聞かない指が緩んだ、と思った途端に、私は背後からユーノに引かれてハーヌから剥がれ落ちるようにして背中から落下した。

 落ちながら私の目に映ったのは、解き放たれたように青空に向かって駆け上がっていく巨大な咆哮する竜の姿だった。

「ハー――ぐぇっ」

 ぼんやりとハーヌの名を呼ぼうとした私は、次の瞬間に襲ってきた衝撃に、かなり情けない声を立てた。

「大丈夫ですか」

 背後でユーノの声がする。

「え、あ、う、うん」

 状況が掴めずに間抜けな答えをしながら身体を起こすと、やっと自分がユーノの上に乗っていることに気付いた。

「あ、ご、ごめん。ユーノこそ大丈夫?」

 慌てて降りて謝る。

「ええ、植え込みの上ですから、怪我はありません」

 言われてみれば、確かにユーノの下は灌木になっている。見回すとここは中庭というより庭園といったほうがよさそうな、割と広さのある場所だった。最初の中庭は石畳みだったけれどここはいろんな種類の木や草が植えられ、色とりどりの花が咲いている。その花々の間を縫うように明るい色の石が遊歩道のように敷かれていた。

 とはいえ、元は見事だったのかもしれない庭園は、今やかなり悲惨な状況だった。私たちが押し潰した灌木などはまだましで、もっと大きな木が何本もなぎ倒されていて、そのいくつかはぶすぶすと煙を上げているし、もっと本格的に燃え上がっている木も少なくない。周囲の建物は石造りのために炎上こそしていないが、あちこち煤がついてガラスが割れ、さらにそのいくつかは中に火が入ったのか、カーテンが燃えているのが見える。

 あちこちで悲鳴やら、火を消せと言う声やらが飛び交っているのが聞こえた。

「走れますか? 早くここから逃げないと」

 急かすようにユーノに聞かれてやっと状況が自分の身に迫ってきた。確かに、ここに居ては燃え広がる火に巻かれてしまう。どこかに逃げないと。

「で、でも、どこへ」

「とりあえずこちらへ」

 冷静に考えればユーノにも特に当てはなかったのかもしれない。でもこの時の私にはそんなことを考える余裕はなかった。

 言われるままに走り出してすぐ、ユーノが舌打ちした。

「こちらは駄目そうです」

「じゃあ、あっちは?」

「行ってみましょう」

 とにかく火の手の少ない方に走る。私たちにできたのはただそれだけだった。


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