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第9話 「最悪の初対面」(2)

「……立てる?」


 あまりに小さな声で、聞き間違いかと思った。


 目の前に差し出された手――細くて、きれいで、白くて。……反射しそうなくらい白い。


 私は瞬きした。


 もう一回、瞬きした。


 感動したわけじゃない。


 国際級の羞恥プレイから“救助”されたからでもない。


 ――だって。


(え、なにこの人。美しすぎない?)


 反射でその手を掴み、私は立ち上がった。


 状態としては、戦場から引きずり出された死体に近い。


 頭はまだぐるぐる。


 耳もまだキーン。


 でも目だけは、なぜか冴えっ冴えだった。


 私は彼女を見る。


 真正面から。


 瞬きもせずに。


 一秒でも視線を外したら、消えてしまいそうで。


 プラチナブロンド。


 “それっぽく染めたやつ”じゃない。日に当たったら根元から金がバレるやつでもない。


 本物の、プラチナ。


 滑らかで、長くて、光を含んで、まるでクリスタルみたいにきらきらしていた。


 顔――


 写真は見た。はっきり覚えてる。


 でもその時は思ったんだ。


(写真なんて誰でも盛れるし。加工でどうにでもなるし)


 現実は――


 美人、じゃない。


 脳が自衛モードに入るタイプの美。


 美しすぎて、私は逆に疑った。


 私、吐いたせいで幻覚見てる? みたいな。


 金色の瞳が私を見る。


 鋭くもない。冷たくもない。


 ただ――落ち着いている。


 甘いものを食べると気分が良くなるように、綺麗なものを見ても気分が良くなる。


 今の私は、まさにそれだった。


 もう自分の名前すら思い出せないくらい。


 私は何か言おうとして、口を開いた。


 ……声が出ない。


 口は開いたまま、私は見つめ続ける。


 見つめすぎて、顎がちょっと痛くなってきたのに、気づきもしない。


 彼女が少し首を傾ける。本気で心配してるみたいに。


「……大丈夫?」


 私は唾を飲み込む。


 大丈夫?


 大丈夫なわけがない。


 人にゲロ吐いた。


 ゴミ箱にダイブした。


 空港で喧嘩して髪を掴み合った。


 そして今――


 目の前には、私の脳を停止させるほど綺麗な女の子がいる。


 言わなきゃ。何か。


 でも口が、言うことを聞かなかった。


「……ねえ……ねえ?」


 クインが私の顔の前で、手をひらひらさせた。


 意識があるか、テストしてるみたいに。


 でも私は、棒みたいに突っ立ってるだけ。動かない。喋らない。


 クインは一秒だけ私を見て、軽く眉を寄せ――なぜか結論を出した。


「……糖分、足りてないのかな」


 そう言って、ポケットからミルクティーを取り出した。


(え、なんで一人で行動してるのに、三杯も買ってんの……?)


 私がそう思った瞬間には、クインはもうストローを刺して、私の目の前に差し出していた。


「とりあえず、飲んで」


 ……私は飲んだ。


 呪いか何かみたいに、素直に。


 一口。


 ――生き返った。糖で。


 ただし次の瞬間、私の脳内に最初に浮かんだのはこうだった。


(うわ、これ何キロカロリー……?)


 なのに不思議と、そこまで嫌じゃなかった。


 クインの目が、「今大事なのはカロリーじゃなくて、立っていられるか」って言ってたから。


 私はもう一口飲んだ。


「どこか痛いところ、ある?」


 クインは小さな声で言う。


「病院まで車、呼ぼうか?」


 私は首を振ろうとして――


 刃物みたいな声が割り込んだ。


「この件が終わってないなら、その女はどこにも行けないわ」


 ……あ。


 忘れてた。


 歩く厄介事が、まだここにいる。


 赤リップ女。


 取り巻きに“惨事”を拭かせたあと、恥ずかしさで赤くなった顔でこっちに来る。怒りより、羞恥で真っ赤。


 赤リップ女はクインに顎をしゃくる。


「あなた、この泥棒の友達?」


「この――」


 私がキレるより先に、クインが口を開いた。


「そうです」


 軽くて、穏やかで、丁寧で。


 その礼儀正しさが、逆に周りの音量を下げさせる。


「何か、彼女に用がありますか?」


 私はクインの反応に一瞬だけ固まった。


「こいつ、私に吐いたのよ!」


 赤リップ女が叫ぶ。


「それに盗んだ! 私のものも!」


「盗んだ?」


 クインが首を傾ける。まるで、不思議な話を聞いたみたいに。


 私はミルクティーのカップをぎゅっと握る。血がまた沸いてくる。


「まだ嘘つく気?」


 私は低く唸った。


「信じらんないんだけど。もう一発いく?」


 赤リップ女が一歩引いた。


 さっきのゲロ事件で、彼女の中で私は完全に“檻を破った野獣”になっている。


 赤リップ女はクインを見る。


 “こいつを繋いでよ”って顔。


 なのか、偶然なのか。


 クインが一歩前に出て、赤リップ女の前に立った。


「証拠はありますか?」


 赤リップ女は待ってましたとばかりに喋り出す。


「私の財布、さっきまで胸ポケットにあった!」


「こいつがぶつかって逃げた瞬間、消えたのよ!」


「友達も見てた! こいつの手、私のポケットの近くにあったって!」


「そう!」


 取り巻きが叫ぶ。


「見たもん!」


「庇うなよ!」


 クインは一拍、黙った。


 視線が赤リップ女を上から下へ、さっと撫でる。


 軽く、速く。


 そして――服に止まった。


「胸ポケット……」


 クインが小さく繰り返す。確認するみたいに。


 次の瞬間、彼女は突然、とんでもなく関係ないことを言った。


「わぁ……お洋服、可愛いですね」


 赤リップ女が固まる。


 私も固まる。


(今それ言う!?)


 クインは本当に興味があるみたいに、きらきらした目で続けた。


「Fondz、ですよね?」


「このモデル……国内ではまだ発売前のはず」


 取り巻きが小さく「おお……」と声を漏らす。


 赤リップ女は一気に調子に乗って、顎を上げた。


「分かってるじゃん」


 口角だけ上げる。


「これは海外から取り寄せ。誰でも買えるものじゃないの」


 クインはうんうんと頷き、感心したみたいに笑った。


「すごい。とても似合ってます」


 そして、カフェで雑談するみたいな軽さで言った。


「一回、くるっと回って見せてくれますか?」


「後ろのシルエットも見てみたいです」


 赤リップ女が半拍だけ詰まった。


 でも周りの視線を意識したのか、髪を払って言い放つ。


「いいわよ。見せてあげる。これが“高い服”ってやつ」


 赤リップ女がくるっと回った、その瞬間――


 背中側の裾から、財布の角がのぞいた。


 半分、引っかかっているみたいに。


 クインが小さく、「あ」と言って指を差す。


「……あれ。お財布……」


 赤リップ女が完全に固まる。


「……え?」


 慌てて背中に手を伸ばす。


 指先が、見慣れた財布に触れる。


 赤リップ女の顔が、赤から白へ、一秒で変わった。


 取り巻き、沈黙。


 警備員も、沈黙。


 クインだけが、最後まで落ち着いていた。


「たぶん、胸ポケットが破れてて」


「後ろに滑っちゃったんだと思います」


 そして微笑む。心から心配しているみたいに。


「次は、もっと信用できるところで取り寄せた方がいいかも」


「最近、詐欺とか多いですから」


 赤リップ女が、取り巻きの一人を睨む。


 睨まれた子が、びくっと震えた。


 ……空気、完全に死んだ。


 ぷっ。


 私は危うくミルクティーを吹き出しかけた。


(うわ……この子、やば。強……)


 クインは警備員に向き直って、丁寧に言った。


「お手間を取らせてすみません」


「もう、荷物検査は必要ないと思います」


 それから赤リップ女へ。


「見つかったみたいなので……」


「彼女に、謝ってもらえますか?」


 声は柔らかい。


 でも、内容は平手打ち。


 赤リップ女の顔が引きつる。


 彼女は私を見る。


 クインの後ろで、私はニヤつきながら“次どうする?”って顔をしていた。


 恥ずかしさが怒りに変わる。


 赤リップ女はコートを乱暴に引っぺがし、取り巻きに投げた。


「最悪! 全部あんたたちのせい! 役立たず!」


 そして踵を返し、走り去る。


「待って!」


「うちらも!」


 取り巻きも慌てて追いかけていった。


 私は追いかけようとして――


「おい、待て――!」


 クインが私の手首を掴んだ。


 強くない。でも、逃げられない“決断”の力。


「もういいよ」


 クインは言う。


「落ち着いて」


「ムカつく」


 私は歯を食いしばる。


「一回ちゃんと罵倒しておくべきだった」


 クインは私を見て、静かに言った。


「誤解が解けたなら、それでいいよ」


「物を失くして、少し取り乱してただけかもしれないし」


「少し?」


 私は反射で振り向く。


「言うの簡単だよね。あんたみたいな人、こういう目に遭ったことないでしょ」


 クインは瞬きした。


 何も言わず――しゃがむ。


 その時、私は足元に気づいた。


 四つ葉のクローバーのヘアピンの破片。


「……チッ」


 私は無言でしゃがみ込み、破片を拾い集めた。


「ほんと……」


 小さく毒づく。


「騒ぎ起こして、しかも――」


 ムカつく。でも。


 壊れてるのを見ると、やっぱり胸がザラつく。


 私は迷って、声を落とした。


「……ごめん」


「さっき、言い方きつかった」


 助けてくれた人に八つ当たり。最悪。


 クインはほとんど間髪入れずに言った。


「大丈夫。気にしてないよ」


 早すぎて、軽すぎて。


 逆に私は、もっと申し訳なくなった。


 沈黙。


 気まずさをごまかしたくて、私は先に口を開く。破片から目は上げないまま。


「さっき……わざとだよね?」


 クインも隣にしゃがむ。


「え?」


「財布が後ろに滑ってるって気づいてたから」


「回って見せて、って言ったんでしょ。あいつを恥かかせるために」


 クインは半拍だけ黙ってから、正直に言った。


「……そこまでじゃないよ。ただ、確認したかっただけ」


 クインはベンチの下に落ちていた破片を拾って、私に渡す。


「私も似たことがあったから。もしかしてって思って」


 私は破片を受け取りながら、心の中が疑問符だらけになる。


 クインを、もう一度見る。


 スキャンするみたいに。


 服も、雰囲気も、全部“育ちの良さ”が滲んでる。


 靴下一つで、私の全財産に勝ってそうなくらい。


 そんな人が「似たことがあった」?


 ……信じがたい。


 でも私は言わなかった。


「……あ、そうだ。自己紹介してなかった」


 私は咳払いする。


「私、モリカ・エリ」


「うん」


 クインが頷く。


「知ってるよ」


「は? 知ってるの?」


「あなたのこと、聞いてたから」


 クインが笑う。


「それに……さっき、電話かけてたでしょ」


 彼女は上の階――タピオカ店の方を指差した。


「私、あそこにいたの。だから……見えてた」


 私は固まる。


「……」


 つまり。


 つまりクインは――全部見てた。


 喧嘩。


 髪掴み合い。


 ゲロ。


 ゴミ箱。


 沈黙が、殺意を帯びた。


(初対面、最高すぎる。死にたい)


 クインが先に立ち上がって、また手を差し出した。


 さっきと同じように、まるで“風”みたいに自然に。


「……まだ自己紹介してなかったね」


 彼女は言う。


「私はシンフィエロ・クイン」


「これから三ヶ月、よろしくね」


 私は唾を飲み込む。


「……う、うん。こちらこそ……よろしく」


 クインが私を見て、少し目を細めた。思い出すみたいに。


「遠くから見た時、似てるって思ったんだけど……」


「似てる? 何が?」


「あなた、『Behind You』のレイラ役の人だよね?」


 私はまた固まった。


 そして次の瞬間、目がライトみたいに点く。


「えぇぇぇ!? 見たの!?」


「なんで分かったの!? どうして気づいたの!?」


「予告編が面白そうで、観たんだ」


 クインは淡々と答える。


「最初に出てきた数秒で、印象に残った」


 私は頭をかく。もう笑いすぎて目が細い。


「私、回想で十分くらいしか出てないよ?」


「あなたが死ぬシーンで、私すごく泣いたよ」


 クインがさらっと言う。


 私、天に昇る。


「うわ……恥ずかし……」


 そして私は0.2秒でモード切り替え、クインの手を掴んでぶんぶん振った。


「人生で初めて! 私のこと気づいてくれた人だ!」


「やばい! 嬉しい!」


 私はスマホを取り出す。


「笑って! 初めてのファンとツーショ撮る!」


 カシャ。


 カシャ。


「エリ……」


 クインが小さく息を吐く。


「もう……結構撮ったよ?」


「あと一枚!」


 私はクインを引っ張る。


「この角度! この角度も! やば、雑誌の撮影みたいじゃん!」


 クインは困り顔のまま、でもちゃんと付き合ってくれた。


 私は画面をいじって――


 タップ。


 投稿。


 通知音。ピロン。


「ね、可愛くない?」


 どの写真も、目がでかい。顎が細い。キラキラが過剰。


 クインが小さく吹き出した。


「……かわいい……かな」


 ――――


 二人でゲートへ向かいながら、クインが聞いた。


「これから、何かプロジェクトに参加する予定はある?」


 私は即、女優モードの真面目顔になる。


「私? 今は……トレーニング中かな」


「トレーニング?」


 クインが興味深そうに首を傾ける。


「そうそう!」


 私はどんどん乗っていく。


「数ヶ月前、映画の現場に入って衣装部で働いてたの。今日の朝、やっと終わったばっか」


「それで、あなたのアシスタントも引き受けた」


「もっと経験積んで、演技の幅を広げたいから!」


「すごい」


 クインが心から言う。


「かっこいいね」


 私は鼻が高い。


「えへへ。大したことじゃないよ」


 その時、私の体が揺れて、ポケットから何か落ちた。


 ――ヘアピンの破片。


 クインがしゃがんで拾い上げた。


「……これ、全部私にくれる?」


 クインが言う。


「え、なんで……?」


「直せるところを知ってるの」


 クインはさらっと言う。


「こういうアクセサリー、修復してくれるお店」


 彼女は私を見た。目が本気だった。


「あなた、これ見て辛そうだったから」


「助けたかった」


 私は固まる。


(え、何……天使……?)


 こんなに綺麗で、こんなに優しくて、こんなに善良な人間、存在していいの?


 耐えられなくて、私は勢いでクインに抱きついた。頬にすりすり、猫みたいに。


「クイン」


 私は宣言する。


「今日からあなた、私の親友」


「これから絶対、私が守る」


「ちゃんと面倒見る」


 クインが一瞬だけ固まって――小さく笑った。


「……うん、分かった」


「分かったから……」


 ――――


 迎えのゲートが近づいた時。


 クインが歩きながら、ふと思い出したみたいに言う。


「あ、言い忘れてた」


 振り返る。


「このあと、もう一人一緒に行く人がいるの」


「もう一人?」


「うん」


 クインが頷く。


「私の友達」


 友達? まあいい。多いほど楽しい。


 ……そう思ってた。


 でも。


 送迎エリアへ出るドアが開いた瞬間――


 今日、絶対に二度と会いたくなかった顔が、そこにいた。


 私は立ち止まり、心の底からの一言が出た。


「……あのさ」


「……脚、ムズムズ野郎」


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