第6話「ロンドンからの贈り物」
数分前――
入国手続きを終えたあとの、到着ロビー。
「クイン、本当にごめんね」
受話器の向こうから聞こえてきた声は、はっきりと申し訳なさを帯びていた。
「急な用事が入っちゃって……今日は一緒に行けそうにないの」
「本当にごめん。怒らないでね」
クインはスマホを肩と頬で軽く挟みながら、
もう片方の手でパスポートとビザを揃え、バッグにしまう。
「大丈夫です」
落ち着いた声で、淡々と答えた。
「急なことなら、仕方ないですし」
「本当に、平気ですよ」
「……じゃあ、あとで改めて連絡するね」
「はい」
通話が切れる。
クインは数秒だけ画面を見つめ、
癖のように、指先でスマホを軽く叩いた。
「ふぅ……」
「どうやら、今日の予定は全部キャンセルですね」
そう呟いて、人の流れに紛れる。
目の前に広がるのは、Korin国際空港のロビー。
派手な賑わいではなく、時間に慣れきった街特有の、落ち着いた空気。
シンプルなデザインの案内板。
落ち着いた色調。
温かな照明が石床に反射し、まるで街そのものの延長みたいだった。
再会を喜んで抱き合う人。
静かにスーツケースを引き、次の便へ向かう人。
名前を呼ぶ声。
笑い声。
キャスターが床を転がる音。
前に来た時より、今日は少し賑やかだ。
そのとき――
「てめぇ! 俺の彼女から離れろ!!」
耳を裂くような怒号が、空気を切り裂いた。
クインはびくりと肩を跳ねさせ、反射的に胸元を押さえる。
「……ずいぶん、にぎやかですね」
声のした方を見ると、すでに人だかりができていた。
中心では、筋骨隆々の男が、
別の男の胸ぐらを掴み、拳を振り上げている。
今にも殴りかかりそうなその腕を、
隣に立つ、同じく体格のいい女性が必死に止めていた。
そして――
殴られそうになっている当人の横で。
止めに入るどころか、
拳を見上げて、どこか楽しそうに目を輝かせている男が一人。
……完全に火に油だ。
クインは本来、面倒ごとが好きじゃない。
踵を返して立ち去ろうとした――その時。
殴られそうな男の顔が、視界に入った。
「……あ」
思わず、足が止まる。
数歩、近づいて確認して。
「……クルス兄さん?」
クルスが瞬きをする。
一拍。
二拍。
「……ク、クイン!?」
「どうしたんですか?」
クルスは掴まれている男と、
それを止める女性を交互に見てから、頭を掻いた。
「えーっと……」
「もしこれがただの誤解だって言ったら、信じてくれる?」
「どこが誤解だ!!」
筋肉男が怒鳴る。
「お前、はっきり彼女に近づいてただろ!」
「待ってください!」
クインは一歩前に出て、二人の間に立った。
「落ち着いてください」
「たぶん……誤解です」
拳が、ぴたりと止まる。
「そうそう、落ち着いて」
隣の女性も頷いた。
「みんな見てるし」
実際、周囲にはかなりの人が集まっていた。
「……あれって」
「全国MMAチャンピオンのカップルじゃない?」
「“Queen”と“King”の無敗コンビだよ!」
クルスの顔色が、さっと青くなる。
一方で――
縛られているレオは、やけに楽しそうだった。
「……なるほど」
「そりゃ強そうだ」
クルスは女性とクインを見比べ、ようやく理解する。
「……Queen」
「だから、間違えたのか」
「すみません」
クルスが頭を下げる。
「髪の色も似てて、名前まで同じで……」
「ただの偶然です」
クインが柔らかくフォローする。
「こちらこそ、混乱させてしまって」
筋肉男は深く息を吐き、ようやく手を離した。
「……まあいい」
「この子の顔を立ててやる」
クルスは心底ほっとする。
「でもな」
男はクインを見て言った。
「その髪の色、本当に珍しい」
「彼女以外で、初めて見た」
女性は豪快に笑い、クインの肩を叩く。
「双子の妹みたいだね!」
「間違えるのも無理ないよ」
レオは内心、鼻で笑う。
(体重クラスが違うだけだろ)
二人が去ったあと――
「クイン!!」
クルスが思いきり抱きついた。
「元気だったか!? 会いたかったぞ!」
「はい」
クインは軽く背中を叩く。
「兄さんも、お元気そうで」
レオは露骨に顔をしかめる。
「間違えたくせに、感動再会ごっこかよ」
「……大丈夫ですか?」
クインは、紙を詰められてもがいているレオを見る。
そっと紙を外す。
「今すぐ放せ、このク――」
バキッ。
「言葉遣いに気をつけろって言っただろ!!」
「痛ぇんだよ!!」
反射で暴れそうになるレオ。
「素直に協力すりゃ、こんなことしねぇよ」
「あ、そうだ」
クルスが思い出したように言う。
「今回は初対面だよな」
レオの肩を抱く。
「紹介するよ。こいつがレオ」
「これから三ヶ月間、君のボディガードだ」
「……え?」
「おい!」
「勝手に決めるな! なんで俺が――」
バキッ。
「だから言葉!」
クインは少し驚きながらも、静かに尋ねた。
「……どういう意味ですか?」
「そのまんま」
クルスはあっさり言う。
「彼は君のそばに付く」
「待て! ちゃんと説明しろ!」
「十分だろ」
「お前、ここにいる」
「……受けるとは言ってない」
「考えるって言っただけだ」
「結果は同じだ」
クインは慌てて手を振る。
「私、ボディガードなんて必要ありません」
「自分で大丈夫です」
「ダメだ」
クルスの声が、急に低くなる。
「今回は、君の意思の問題じゃない」
クインが言葉を失う。
「君、家に戻るつもりはないだろ?」
「……!」
「なぜ俺がフライトを知ってたと思う?」
「なぜ、ここにいる?」
「……父、ですか」
クルスは否定しない。
「レオが付くのは、最低条件だ」
「三ヶ月、君が自分の人生を選ぶための」
レオは顔を背け、黙ったまま。
「それに」
クルスは少し声を和らげる。
「俺は……心配なんだ」
「外は安全じゃない」
「特に、君みたいな子には」
危険だの、罠だの、社会は甘くないだの。
クルスの説教が始まる。
クインは困ったように微笑み、
レオは盛大にため息をついた。
しばらくして――
クインはレオの方を向いた。
「ちゃんと自己紹介、してませんでしたね」
穏やかに微笑み、手を差し出す。
「私は、シンフィエロ・クインです」
「しばらくの間、よろしくお願いします」
レオは差し出された手を見つめ、
顔を上げ、渋々握り返す。
「……ああ」
「仕事だからな」
クルスは大きく息を吐いた。
「よし! 決まりだ!」
「じゃあ飯だ」
「クイン、荷物は?」
「荷物、ですか」
クインは少し考える。
「……お土産を、少し」
「少し?」
二人が同時に首を傾げる。
――ギギギ。
背後から、キャスター音。
振り返ると、
視界を塞ぐほどのスーツケースの山。
押してきたスタッフは、汗だくだ。
「お嬢様の荷物、すべてこちらです」
「外注なので、料金は別になります」
クインはQR決済を済ませる。
「ありがとうございます」
「お疲れさまでした」
「……あれ?」
スタッフが画面を見て固まる。
「金額、間違ってますよ」
「合ってます」
クインは微笑む。
「残りは、お二人の食事代です」
二人は何度も頭を下げた。
クインは振り返る。
「それじゃ……」
「荷物、お願いしますね」
クルスは完全に固まった。
レオも、顔色が引く。
「……ロンドン、丸ごと持って帰ってきたのか?」
今まで、何人もの人間のボディガードをしてきた。
誰一人として、同じタイプはいなかった。
ただ一つだけ、共通点があるとすれば――
全員、彼を本気で苛立たせる才能だけは一流だった。
レオの怒声が、空港に響いた。




