『蜜柑の樹の下で』
ある日、奇妙な夢を見た。
田舎の庭。
陽の光が斜めに差し込む中、大きな蜜柑の樹の下の土が動いている。
湿った土の隙間から、何かがゆっくりと――這い出してくる。
それは人の手のようでもあり、根のようでもあり、
ただ、確かに“生きていた”。
目が覚めたとき、全身が汗で濡れていた。
何だか…変な夢を見てしまったなぁ。
久しぶりに、田舎の実家を思い出した。
母が一人で暮らしている、あの古い家。
庭には、俺が子供の頃からある大きな蜜柑の樹がある。
何となく気になって、母に電話をかけた。
「もしもし、母さん? ちょっと変な夢見てさ。
蜜柑の木の下から何かが這い出してくる夢なんだ」
受話器の向こうで、母が一瞬黙り込んだ。
「……あんた、どうしてそれを?」
「え?」
「今日ね、庭の蜜柑の木の根本に穴が空いてるの。
昨日まではなかったのに」
ぞくり、と背中を冷たい指でなぞられたような感覚が走る。
夢と現実が繋がるような、あの嫌な一致。
笑い話にしようとしたが、口が乾いて声が出ない。
「それ、動物とかじゃないの?」
「そう思って棒で突いたけど……柔らかいの。
土じゃない感じでね。……それにね、」
母の声が小さく震えた。
「中から、子供の声がするのよ。“まだここにいるよ”って」
ブツッ。
電話が切れた。
画面を見ると、“新しい写真が保存されました”の通知。
そんな操作をした覚えはない。
開いてみると、庭の写真。
蜜柑の木の根本にぽっかりと開いた穴、そして――
その傍に立つ人影。
服装も姿も、俺そのものだった。
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夜。
風もないのに、窓の外から“蜜柑の花”の香りが流れ込んできた。
その甘い香りの奥に、かすかに土の湿った匂いが混じる。
ふと視線を落とすと、床の隙間から土が盛り上がっている。
かさ、かさ、かさ…。
這い上がるような音が、近づいてくる。
やがて、床板の隙間から“白い指先”がぬっと現れた。
俺は思わず叫んだ。
「やめろっ! 誰だッ!」
指は、静かに止まった。
そして、ゆっくりと開かれた掌の中には――
小さな蜜柑の種がひとつ。
その種を見た瞬間、頭の奥で声がした。
『……帰ろう。蜜柑の樹の下へ』
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翌朝、母の家に電話をかけた。
だが、応答はなかった。
数日後、警察から連絡が入った。
母は庭で倒れていたという。
蜜柑の木の根本に開いた穴の中からは、
“もうひとつの母の遺体”が見つかったそうだ。
どちらが本物だったのか、誰にも分からない。
俺は今、あの蜜柑の樹を見に行こうと思う。
夢で見た“這い出してくるもの”が、
本当に誰なのか、確かめなくてはならない。
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蜜柑の花が、今年も咲いている。
風に乗って、甘い香りがした。
その香りの奥で、誰かが小さく囁く。
> 「……まだ、ここにいるよ」
---完




