第9話 死の契約
「今のノエルは肉体を持たぬ魂ですから、そのまま外に連れ出すと輪廻に帰ってしまいます。私はそれでもいいのですけど、それはキキョウ様の望む結果ではないでしょう?」
「うん、それは嫌だな。あ、たとえば私のお腹に宿して産むなんてどうかな」
「それは輪廻転生の順番に割り込む所業ですから、輪廻を司る神に罰せられるかもしれませんよ。申請してみないと判断できませんけど」
「やろうと思えば出来るのね……じゃあ手っ取り早く、この場で生まれ変わるのはどう?」
さすがに自分でも無茶を言ってる自覚はある。しかし異世界転生と異世界転移という物語みたいな事象を経験済みの私は、とりあえず思った事を提案した。すぐ横で不安げにノエルがふわふわしてる。
「残念ながら、それは……できます」
「よしよし」
「ノエルを受肉させ、肉体を与える事は可能です」
「やったねノエル、外に出れるよ!」
「やっ……やった」
思わずノエルを抱きつこうとするも、残念ながらスカってしまい触れる事はできない。
早速、ノエルを受肉させる儀式を行う事になった。
「死の……契約?」
「キキョウ様には、受肉したノエルと最上位隷属契約を結んでいただきます」
「なんか不穏すぎる契約名だけど大丈夫なの?」
「この契約魔法は相手を一方的に隷属させ、死を命ずれば魂は砕け、転生不能の無を与えるという文字通りの契約なので、とても安心ですよ」
「つまり一方的に私だけが安心なのね」
魂の受肉自体は、その魂に見合う魔力量と腕一本程度の血肉を与える儀式魔法で行えるのだという。
そして死の契約は、昔のように狂乱した時の抑止にと、ノエル自らも望んだ。
ちなみに死の契約は、奴隷制度のある国や男尊女卑の根強い国ではポピュラーな人権無視で胸糞な契約らしい。しかし私はノエルに隷属を求めるつもりはないので、あくまで彼女を救う手段として利用させてもらう。
「では、受肉と死の契約の儀式を始めます。二人ともその場を動かないように」
「うん、わか――えっ。えええっ? クロちゃんだよね? 何その姿」
そこには尻尾と翼のようなものが生えた、大人の姿をしたクロが立っていた。
「はい、私の龍人化した姿です」
「ああ、クロちゃん龍王様だもんね。綺麗な翼……まるで天の羽衣みたい。とても素敵」
「ありがとう……ございます」
はにかむ大人クロ、良いな。年の頃は二十五歳ぐらいだろうか。じっくりと眺めたくなる煽情的な瑠璃色の鱗柄スーツを身に纏う、私より長身でスレンダーな美女だ。透明感のある背中と腰の優美な二対のヒレがたゆたい、尻尾がにゅるりと艶めかしい。龍化もそのうち見せてくれるそうだが、なぜ人化は少女の姿なのだろう。別にいいけどね。
「儀式魔法構築は龍化した方が楽なのですが、ここはかなり狭いので……どうしましたか?」
「今夜、その姿で一緒にお風呂入って寝よっか」
名前が女みたいなロボアニメの主人公のように、クロがサムズアップした。
クロが四枚のヒレを翼のように広げると、光の粒がキラキラふわふわと舞う。
同時に血の色の魔法陣が私達の足元にぶわぁっと現れた。
魔法陣を介し、私の魔力が大量にノエルへと流れ込んでゆくのを感じる。するとノエルの薄暗い影が足元から急速に白み、幼女の姿を象ってゆく。それはまるで杏仁豆腐製の幼女像のよう――いや、牛乳プリンだろうか。
「キキョウ様、ノエルに向けて腕を差し出してください」
「こう?」
「ノエル、食え」
白いノエルがなにやらモグモグと咀嚼している。何を食べているのだろうか。
妙な違和感を覚えながら周囲を見回すと――伸ばしていたはずの左腕が魔王服ごとザックリと切断され消えていた。だが痛みも流血もない。
私はあまりの現実感の無さに、思わずポカンとしてしまった。が――
「んぎいいいいいっ!」
突然、凶悪な痛みが襲ってきた。凄まじい激痛で吐きそう……口からキラキラエフェクトのかかった、お昼のかつ丼が出てしまいそう。
「キキョウ様、魔法陣から出たり気絶するとやり直しですよ。あと鼻水垂らさない。もっとエレガントに叫びましょうね。食肉加工されるブヒの断末魔みたいですよ」
「ぶひいいいいい!」
「なんだ、余裕があるではないですか。その痛みはノエルを救う代償です」
私が無様に汗と涙とよだれと鼻水をまき散らし、奇声をあげ痛みに耐えてる間に、ノエルの受肉が始まり、パンナコッタのような体が色付き、実体化してゆく。
やがて、腕の痛みが薄れた頃、淡いすみれ色の髪に金と紫の瞳を持つ美しい幼女が誕生した。
「はい、終了です。お疲れさまでした」
どうやら苦しみ悶えているうちに、死の契約を結び終わったようだ。
「ク……クロちゃ……うれ(腕)無いままなんらけろ……」
「ああ、もう酷い顔ですねぇ。はい、ちーんして。この腕は魔力回復後、数日で元に戻りますが、今すぐ治したいですか?」
「うぅ(うん)」
「仕方ないですねぇ、では私の魔力を強制注入しましょう」
獲物を前に舌なめずりする肉食獣のようなクロ。その獰猛な視線とは裏腹に、私を慈しむように腰へ腕をまわし、優しく抱き寄せた。強制注入とやらがキスだと気付き、胸がトクンと高鳴る。夜の海が結晶化したような仄青い瞳が迫り、私が映って……あ。
「ちょっちょっと待って、こんなみっともない顔じゃ無理っ!」
「塩っけが効いて、とっても美味しそうですよ」
「んぎぎぎ、こんな鼻水顔で大人クロちゃんとの初キッスはいやぁ~っ!」
「これは万年先まで語り草になりますね。私達二人のあいだで」
「ちくしょーめーっ!」
胸をぷるーんぷるんさせ魔王渾身の力で抵抗するも、その抱擁は微動だにせず、珍しく女子っぽい私のあがきは、クロの唇によって鎮圧された。
熱い……クロの魔力がキスを通し全身へ巡ってゆくのを感じる。
私の魔力は総量の二割を切っていたが、わずかな時間で満タンになり、たちまち左腕を再生させた。
さも薬指の指輪を眺めるような仕草で、再生した指を見つめ、次にぐっぱぐっぱ、ぐるんぐるん。左腕が元に戻ってる事を確認した。
それが終わると、美幼女がきちんと受肉しているか確認する。儀式中は鼻水垂らしまくって気付かなかったが、耳の上には髪飾りのような小さな紫水晶の角と、可愛いらしい白鱗の尻尾が生えていた。
「あ……あの……痛くして、ごめんなさいです」
「ふふ、ぜんっぜん痛くなかったよ(超強がり)」
私は尻尾をちぢこまらせた裸ん坊を抱き上げ、優しく頬ずりした。癖になりそうなぷにぷに感だ。
受肉したノエルを見て思ったのは、顔立ちが小さい頃の私によく似ている事。
私が目尻を少しだけクイっと上げれば、大人になったノエルそっくりになるかもしれない。
そして、右が黄金、左が紫水晶の魅惑的なオッドアイは、まだ幼女ながら魔性を感じさせる美しさだ。しかし、その瞳はまだ不安を湛えている。私はノエルをぎゅっと抱きしめながら、頬とおでこにキスした。
それと同時にクロの視線が突き刺さってくる……嫉妬を超えて殺意に近いわ。
「ほらクロちゃんおいで、みんな仲良くぎゅっとしよ」
「はぁ」
露骨に嫌な顔をするクロ。
「ク・ロ・さま」
「わ・か・り・ました」
クロは嫌々ながらも、ノエルを挟むように私と抱き合った。
「スンスン……ノエル……キキョウ様の体臭がします……」
「体臭ゆーな」
ああ、なるほど。自分の体臭は感じにくいものね。
ノエルを抱っこして、ずっとクンクンしてたのだけど、そういう事か。え? ヘンタイとか匂いフェチじゃないよ。普通、抱き合ったら相手の匂いを嗅ぐよね。
後ろめたい事がある時のお父さんは、お母さんのハグから逃げるもの。
その後、土下座確定だけど。
クロが云うに、私の血肉と魔力で受肉したのが理由だろうとの事。
ひょっとして顔立ちや紫の瞳も私由来なのだろうか。そのせいか全然他人のような感じがしない。かといって娘とも違う。おっと、ノエルのそわそわが最高潮だ。
「じゃあこれから封印の外に出るけど、ノエルは最初に何がしたい?」
「そっそっ空が見たいですっ」
「うん、じゃあ空を見に行こう。で、クロちゃん。ここってノエルを封印してるんだよね……どうやって出せばいいの?」
クロは深いため息をつき、小声で何やらボソリと呟いた。賭けがどうとか。
「そのまま連れ出せますよ」
「は。封印は?」
「キキョウ様がノエル連れ出すと決めた時点で、封印は解除されてます」
「マジですか」
「ノエルを封印した聖女ミモリ様が、そのように設定したのですよ。転生したキキョウ様は必ずノエルを赦すだろうと。私はそんな事はあって欲しくなかったのですが」
「そっかぁ……そのミモリさんには逢える? いや、勇者でもなきゃ生きてないか……」
「この結界はミモリ様の命と引き換えに構築されたものですので……あと彼女も勇者ですよ」
聖女ミモリは前世の親友で、ドワーフのノノと三人で世界中を旅していたという。本来なら私より二百年早く転生してるはずが何処にも居らず、ひょっとしたら私と同様に異世界転生してるかもしれない。そうなると逢うのは絶望的だろう。
「じゃあ、出ようか。クロちゃんお願い」
「ちょっと待って、キキョウちゃん。折角なので転移魔法“ゲート”を使おうよ」
「ゲート?」
私はノエルを左腕に抱えなおし、右腰に下げたハンドガンモードの魔導銃を構えた。
「基本的に転移魔法は術者が行った場所以外には跳べないんだけど、キキョウちゃんの場合、水晶星で計測した座標なら、どこでも自由に行けちゃうんだよ」
「ああ、地図作りは転移魔法の為なのね」
「そそ。じゃあ空を見るって事でおススメの絶景ポイントの座標を転送するよ。ほい」
「ありがと。――ゲート!」
魔法陣に縁どられた丸い穴をくぐると、そこは見渡す限り一面の空、空、空だった。更に鏡のように磨き上げられた床のせいもあり、まるで空中に立ってるようだ。雲が近くてつかめそう。
「高っ、寒っ! ここどこ?」
「高度千五百メートル、封印城のてっぺんだよ」
「スカイタワーの二倍以上かぁ。水平線の終わりまで見えそう。あ、薄っすらと島が見えるね」
封印城は世界樹をベースに築城した巨大な塔のような姿をしていた。
もっとも、ダンジョンコアで異空間を作り城内を構築しているので、世界樹の幹をくり抜いたり、穴を掘るような事はしていないという。
こわごわと縁から下を覗くと、世界樹の塔を囲む八本の巨塔と、城を中心に放射状の街並みが広がっていた。多彩な屋根の色は区画ごとに決められており、アラベスク模様のようでとても美しい。
しかし、ここからでは高すぎて人の姿はほとんど見えず、かの有名なセリフが言えそうもない。
「見ろ、人が全然見えない」一応言ってみた。
大きく目を見開き、わなわなと震えるノエルを鏡のような床にペタリと降ろした。
ノエルはどこまでも広がる空の中、ぽてりぽてりと歩き、ふにゃりと転び、くくっと立ち上がり、へたりと座り込むと天を仰ぎ、そして泣いた。
澄み渡る大空が映る金と紫の瞳からポロリポロリと大粒の涙をこぼし、吠えるように泣くノエルの姿につられ、私も泣いた。胸が熱い。涙が溢れて止まらない。
ぽろりぽろりと頬を伝う涙をクロがペロペロ舐める。
今のあなたは大人の姿だよ。ビジュアル的にどうなのこれ……エロいでしょ。
くすぐったくて、一足先に泣き止んだ私は、スースーと隙間だらけの魔王服から、白ローブに着替えた。そしてローブの中へ包み込むように、空に向かってえぐえぐ泣き続ける裸ん坊を抱え込んだ。この子、体が冷え冷えだよ。クロも対抗し(なんの対抗だ)私の背中に抱き着いて、頬ずりしてくる。
私達三人は一塊になって、じっと空を眺めた。
ゆっくりと空が夕焼けに染まり、そして夜が忍び寄りはじめるまで、ずっとずっと眺めた。
やっと落ち着いたのか、ノエルがローブからもそりと這い出し、私に向かって跪いた。
「もう……思い残す事はありません。死を、お命じくださいです」
「チョップ」
私はにっこり笑顔で、ノエルの脳天にチョップをかました。
閑話
「ゲート魔法か。これが、どこでも……行けるドアなのね」
「あ、キキョウちゃん。それ神の忌み言葉ギリッギリなので要注意だよ」
「マジか。うっかり言っちゃったらどうなるの?」
「確か、最上位の神罰で体を塩像にされ、牧場でモウに舐められます」
「あはは、くすぐったそうね」
「ちなみに塩像になっても意識はあります」
「こわっ!」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
キキョウ、クロに続くメインキャラの三人目、ノエルの登場です。
自由奔放で可愛いノエルの活躍にご期待ください。




