第35話 魔国立キキョウ総合学園
魔国立キキョウ総合学園は、魔都ミモリの東に位置する世界一巨大な学園だ。
創立から千百年以上経った今では、各地に点在する分校も含めると生徒数は五万人を超え、敷地内にはちょっとした商業施設や劇場などの娯楽施設もあり、地方都市並みの規模がある。
元々、国民の誰もが読み書き計算を学べる場として、開校したのが始まりだ。
初代魔王の人気と人望で、世界中から優秀な人材がどんどん集まり、様々な学科が生まれた。それらはやがて、騎士科、魔法科、学問科、商人科、貴族科の五学科に統合され現在に至る。
そして、どれにも分類されない特殊な学科を奇貨学科と呼んだ。
在籍は高等部からだが、教師の推薦があったり、特定の条件をクリアしてる場合、中等部の生徒も在籍できる。そして学科によっては学園卒業後も在籍し、生涯学習を続ける事も可能なのだ。
特に有名なものに、多くの勇者が在籍する魔王・勇者研究科がある。
この学園には世界各国から集まった識者や、多くの留学生が在籍している。
特に貴族科は、各国の王侯貴族や為政者の子女が通っており、次世代の国を担う者達が学び、子供のうちから各国の王族と交友を広め、結婚相手を選ぶ場にもなっているのだ。
あまり知られていないが、この学園には、勇者の受け皿としての側面もある。
勇者の寿命は長い。それ故に途中で生きる事に疲れてしまう者もいるのだ。
そんな彼らに、安心して暮らせる生活基盤と、新たな生きがいを探す機会を提供するのが、この学園の役割の一つになっている。
在籍する勇者達は、長い人生で得た知識や技能を生かし、教員や用務員、寮長などをして学園と生徒達を支えている。
中には心機一転、学生から人生をやり直しする勇者もいるようだ。
そんなこんなで現在、約百二十名の勇者が学園で暮らしている。
ちなみに学園長も勇者で、前世のキキョウの夫の一人だ。
そして有事の際は、彼らが全力を賭して学園と生徒を護る事を神に誓っているので、生徒達は安心して勉学に励めるのである。
事実、アルス王国の騒動があっても、帰国する留学生は、極僅かだった。
多くの勇者が在籍している事は広く知られているので、それだけで充分な抑止力となっているはずだ。
この学園ではブレザータイプの制服が採用されている。セミオーダーメイドで価格的に少々お高いが着用義務はなく、基本的に服装は自由だ。
ただし学園章、学年章、学科章のピンズかバッチの着用が義務付けられている。
そして学園指定のハーフマントも用意されており、これらは入学時に無償で支給される。マントは色も豊富で、有償ではあるがオーダーメイドも可能だ。
学生の七割が私服とマントの組み合わせを選んでいるようで、最近はマントに刺繍をするのが流行っているらしい。
六月。二か月遅れで、ベルテとアスフィーがこの学園に入学した。
入学希望者は試験を受け、年齢に関係なく、学力に見合うクラスに通う事になる。
基礎学力が十分のベルテは中等部一年に、少し不安のあったアスフィーは初等部に入学した。
初等部は年齢に関係なく誰でも入学可能で、一般教養と読み書き計算などの基礎学力を習得すると卒業となる。大半の生徒は一年から二年ほどで卒業するようだ。
その後は鍛冶師などの職人の道へ進んだり、中等部に進学し、さらに深く学んだりと、自由に選択できる。中等部は飛び級もあるが、更に専門的な知識を学ぶには、高等部へ進学する必要がある。ちなみに普通は成人する十五歳で卒業だ。
唯一、貴族科のみが十歳から入学可能で、十七歳で卒業となる。
入学にあたり、ベルテが選んだのは、濃紺と白が基調の制服と白のハーフマント。アスフィーは、普段着にしてる修道服とおそろいのハーフマントをフルオーダーした。以外にこだわり屋さんのようである。
「ベルテお姉さまは、元王族ですし貴族科でもよろしかったのでは? セーラさま達もあちらですし」
「ん~お姫様とか、全然未練はないけど……でも私、一応次期魔王候補でしょう? それにティメル様もそのうち留学されますから、その時一緒に貴族科に入るつもりです。ですので、それまでは別の学科で学んでみようと思うの」
「なるほど、そうでしたか」
「アスフィーは、学園で何かしたい事はないの?」
「(お姉さまのハーレム入り以外、一切興味ないので)特にないですが、あえて言うなら今は、勇者ランキングを上げる事ですね。成人までに、二十位以内を目指します」
アスフィーが拳で空を連打する。拳の先からボッボッと空気の圧縮音が響く。
「まずは、しっかり食べて(ぽゆんぽゆんに)成長しませんと」
そして、何の変哲もない正面蹴りで周囲の窓ガラスがビリビリと震えた。
「うん、がんばってね」
「はいっ」
『なんで彼女はこんなに獰猛なんでしょう。見た目はこんなに清楚で可憐なのに……』
私の教室は、中等部一年二十三組。
四月に入学出来なかった生徒向けクラスの一つで、生徒数は三十四人。
この世界、期日通りに入学できない生徒も多く、私は二か月の遅れを取り戻し、二学期から通常クラスへと移る予定です。
教室は歌劇場の席のように段々になっており、私の席は一番上。下の席が空いてるのに……席順は身分が関係しており、社会構造を学ぶ教育の一環で、差別ではなく区別だそうです。
はぁ、やれやれです……落ち着きません。
入学して以来、休み時間に私を見に来るギャラリーが、どんどん増えている気がします。
特に長めの休み時間には、このように初等部から高等部らしき生徒まで、何十人も押し寄せ、窓や扉からこちらを見ています。フランキスカ人形のように愛らしいアスフィーならともかく、私を見ても面白くも何ともないでしょうに。
すると挨拶もなく入室した女生徒が、いきなり私に話しかけてきました。
「あなた。魔王様の身内って本当? 私はジャスミンよ。魔王連邦特級商家の娘なの」
「はじめまして、ベルテです。魔王キキョウ陛下の妹です」
「やっぱり! でも、鬼人じゃないのはどうして? みんなその辺の事情知りたがってるのよね」
商人の国、魔王連邦の特級商家というと、貴族でいう侯爵位と同等だと記憶しています。彼女は好奇心旺盛というか、初対面なのに無遠慮な人は、私の苦手なタイプですね。魔王である事以外、私の出自について秘密にする事はありませんが……
「私は……元アルス王国の王女なのです。それがご縁で妹にしていただきました」
「えええーっ、滅んだアルス王国のお姫様なんだぁ~っ! それがどうしうて魔王様の妹にぃ~?」
ことさら大声で周囲に聞かせるなんて、何が目的なのでしょうか。
ああ、誰かに似ていると思ったら、腹違いの姉、第五王女のロナーレです。歳が近かったせいか、何かと突っかかってきて、私がミスをすると大声で言いふらす子でしたね。
私が廃嫡された後も、豪華で似合わないドレスを自慢しに、何度か城下に来ていましたっけ。
しかし、お姉様の魔法攻撃で城ごと摺り潰され、もう遺体も残ってませんが。
ちなみに、もう赤の他人同然ですが、上の姉四人は、国の内外に嫁いでおり健在です。お姉様の妹になってから何度か手紙が来ましたが、内容は案の定ですので無視しております。自分の母親が私の母を殺してる事を知らないのでしょうか。
ジャスミンさんのおかげで、多くの好奇の視線に晒されてしまいました。
おそらく私の素性は、学園中に知られる事になるのでしょう。
「ご用はそれだけですか? もうすぐ授業が始まりますよ。ご自分の教室に――」
「ねぇ――どんなズルして、魔王様に取り入ったの?」
「……はぁ?」
「だってそうでしょう? アルス王家って全員魔王様に処刑されてるのに、どうしてあなたみたいな地味な娘が、魔王様の妹になって生きてるのよ。おかしいじゃない?」
「聞かなかった事にしてあげます。自分のクラスにお帰りください」
この国の魔王である、キキョウお姉様の決定に異を唱えてます。
しかも同盟国である魔王カリマー様の国の特級商家の娘がです。
何なのでしょうこの人。ヤバいです。どうなっても知りませんからね。
ほら、ギャラリーやクラスメイト達も、なんだこの女って顔してますよ。
「何よ、お高く止まらないでよね。みんな知ってるのよ? あなたの母親は恥知らずな方法で側妃になった娼婦だって事をね! それで不興を買って処刑されたって! そしてあなたも廃ちゃ……」
「もっぺん言ってみろ」
瞬時に頭が沸騰し、気付くと変身して彼女の喉に大鎌の刃を這わせていました。
大丈夫、私は冷静ですよ。どこがって?
ふふふ。まだこの娘、頭と胴が繋がっているではありませんか。
「ひっ……」
「一応訂正しておきますね。私のお母様は、腕利きのドレス職人でした。大商家の婚約者がいたのに、無理やり引き離されて側妃にされたのですよ。そして王の寵愛を嫉んだ王妃に、お腹の赤子ごと無残に殺されたのです。よろしくて?」
「ひいいいいっ!」
「肯定なのか悲鳴なのか、わかりませんね」
まったく、嫌な事を思い出してしまいました。
彼女の首筋からデスサイズエンマを離すと、くるんと回し石突で床をトンと打ちました。足をガクガクさせ、尻もちをつくジャスミンさん。あらら、お漏らしですか。無様ですね。
「なっなっ何なのよ、あんた!」
「郷魔国、次期魔王候補――魔王ベルテです」
ばらしてしまいました。後悔はありません。皆さん、ポカーンとしています。
「これで私が魔王陛下の妹になった理由が理解できましたね? さぁ皆さん、ご自分のクラスにお帰りください。取るに足らない事で、休み時間が終わってしまいますよ」
皆さん、脱兎のごとくお帰りになりました。
ところで……このお漏らしの始末は、私がするのでしょうか。
まったく、今日は嫌な目に遭いました。お姉様風に言うと「マジかー」ですね。
帰宅したら、しらふじちゃんに頂いた、例の画像で気分転換しましょう。
来月、ティメル様が留学されるので、今から楽しみでもう……むふふふふふ。
あ。今日の身バレは、害虫対策に丁度良いのかもしれません。
でもまず、帰ったらお姉様に私の短慮を謝罪しませんと……
なんだか校舎全体が騒がしい。
休み時間が騒がしいのは普通だけど、何か変。
どうも中等部で騒ぎがあったみたいです。
ベルテお姉さまに何も無ければいいんですが……
隣の席のマンダリンさんが、血相を変え、駆け寄ってきました。
「アスフィーちゃん、あなたのお姉さんが大鎌ふるって暴れてるって!」
「へえっ!? さすがにそれは無いと思いますけど……ちょっと行ってきます」
あらら、お姉さまが火元でしたか~。ともかく中等部に行かないと。
お姉さまが本気でエンマを振るったら、クラス単位で生徒がロールケーキみたいに校舎ごと仲良く輪切りです。
はしたないですが緊急時です。よっと。
三階の窓から外へ飛び降りて(ガーン、イッヌのうんこ踏みました)一気に跳躍。向かいの三階建て校舎をぽーんと飛び越え、無事着地して中等部の校舎に着きました。
ん~? 特に騒ぎが起きてる気配はないですよ。
とりあえず、靴のうんこ綺麗にして、お姉さまのクラスに急ぎましょう。
「ベルテお姉さま……何をしてるの?」
「あら、アスフィー……お漏らしの掃除してるのよ」
「お姉さま、漏らしたのですか?」
「違います!」
なんだ……お姉さまも、私のお仲間かと思ったのに。残念。
その後の事を少し。
私が魔王である事をバラしてしまった顛末を、お姉様にお伝えしました。
この件で誰かの首が飛ぶのは、少し後味が悪いので(自分の手でやるならともかく)可能なら、穏便に済ませてほしいとお願いしました。
しかし、この事件は他のルートから魔王連邦に伝わったようで、なんと魔王カリマー様が直々に私へ謝罪に来たのです。
「すまなんだ、おじょ~っ!」
むぎゅっと抱き着かれ、お肉の海に沈みかけました……これ、人をダメにするような気持ちよさがありますね。大きなクッションで再現したら売れるかもしれません。
例のジャスミンさんは、随分甘やかされ育った末っ子で、それを重く見た父親が荒療治に学園に投げ込んだそうです。オイオイですね。基礎学力を満たしていないのに、ゴネて中等部に入学したようで、勉強について行けず苛ついていたそうです。
そんな時、私の入学を知ったそうですが、どうも悪意ある噂を吹き込まれ、あの日、憂さ晴らしに言い掛かりを付けに来たというのです。
噂の元は、お姉様に貴族位をはく奪された、元アルス貴族家の子女でしょうか。
カリマー様のふくよかな体に隠れ、気が付きませんでしたが、床に張り付くように土下座しているのは、ジャスミンさんのお父様のようです。
やはりあの騒動は、子供であっても赦されない重罪でした。
「え。私が決めるのですか? ジャスミンさんとその一家の罰を?」
まだ子供の私に、なんて重大な決定をさせるのですか。お姉様。
「では……学力不足のジャスミンさんは、初等部からやり直す事。これは彼女にとって大きな屈辱のはず。学園内で起きた事ですから、それ以外の罰は不要です」
お姉様もカリマー様も笑顔で頷いてくれました。
私が罰を決めなかった場合、彼女は絶縁され、遠地の修道院送り。お家は商位降格の上、かなり重い罰金が科せられる予定だったそうです。ジャスミンさんのお父様、涙ボロボロですね。
ジャスミンさんが初等部に編入して、数日後……
ズドォォォン!
凄まじい轟音が学園内に響きました。
どうやら初等部に通う見習いシスターがブチ切れて、校舎の壁に大穴を穿ったようです。
ねぇ、この物語を読んでる、そこのあなた!
私がいかに理不尽な目に遭わされたか、わかってくれるわよね?
だってそうでしょう? 本当の事を指摘されたら逆切れされて、しかも初等科でやりなおせですって! 失礼しちゃうわ。私はこの世界を商いで牛耳ってる魔王連邦の特級商家の娘なのよ! 何でこの私が、あいうえおから学びなおさなくちゃいけないのよ! そんなの知ってるわよ! その次が、かけくきこだって事もね!
あ~イライラする!
あら? この由緒正しい学園にそぐわない、修道服なんか着てる小娘がいるわ。
ちょっと身の程を教えてさしあげようかしら。




