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5-6 Talus

 予選が終わって、山梨県代表のテントに戻ると、他の高校や違う競技の選手が、予選通過を喜んでくれた。


「三笠くん、やっぱりすごいよな」

「予選のタイムは六位だったよ」

「あそこでフライングされると、やばいよな」

 とか、話しかけてくる。


「ああ、危なかった…」

 と答えた。


 以前だったら、

「まあ、予選だからこんなもんかな」

 とか

「フライングは気にならないよ。だって自分自身の問題だからね」

 なんて答えていたかもしれない。

 そんな余裕がなくなっていることに、今更ながら気づいて、驚いた。


 準決勝は四時間後。

 次は三組。同じく上位二着プラスタイムで二人の八人が決勝に進むことができる。

 テントでマッサージをしながら、身体の火照りをおさめる。

 水分とエネルギーを補給する。

 さっきの足裏から足首の重さは、あまり気にならない。


 小学校のときからお世話になっている陸上クラブのコーチがやってきた。

 陸上協会の委員もやってるので、山梨県として帯同してきたのだ。

 膝の違和感と足首の重さについて話した。

 腫れてもいないし、違和感ぐらいなら冷やしておこうと言われた。


 少し心配になって、足首の重さについてスマホで検索してみた。

 スプリンター、足首、痛み

 検索してみると、接骨院などのコマーシャルとともにいろいろな病名が出てきた。


 脛骨疲労性骨膜炎シンスプリント

 足底筋膜炎

 距骨軟骨損傷(OLT:Osteochondral Lesion of the Talus)

 アキレス腱炎


 など、陸上選手ならよく聞く病名から聞いたこともない病名まで。

 どれも当てはまるようで当てはまらない。

 膝の違和感から庇ってしまうことが、問題かもしれないし、練習をしすぎていたのかもしれない。

 コーチのいうように氷を当てて熱を冷ましてやった。


 LINEの通知がきた。

 雨宮春風だった。

 大和は相変わらず既読がついていなかった。


「すごい!予選通過おめでとう!」


「うん、次も頑張るよ」

 相変わらず宇宙人の「がんばります」と書かれたスタンプを押して返信した。

 すぐに、芸人が「頑張って!」と言っているスタンプで返ってきた。


 大和の既読はないままだ。

 僕はスマホをそっと閉じて、マッサージを続けた。

 テントの中には扇風機からの人工的な風が吹いている。

 風を受けて身体を冷やしていると、大和と宇宙人ごっこをしていたのを思い出していた。


 準決勝が始まる。

 三組走るうち、僕は第一組、第五レーン。

 準決勝のメンバーを確認する。

 第四レーンに予選一位、吉野桜樹(東京)の名前がある。

 吉野は先月の南関東大会で僕を破って優勝した。

 スタートの速さは僕には及ばない。

 しかし、そこからの加速がすごい。トップスピードも速い。減速もしない。

 安定して全てが速く、気づいたら背中を追っていた。


 他のメンバーのタイムを見ても、決して余裕を見せられるような相手はいなかった。


 ——この中で、二位に入らなきゃいけないのか。


 あらためて全国大会の厳しさを思い知った。


 招集所に行くと、吉野と目があった。

 吉野も集中していて、僕に気づいたようだ。

 僕は、つい目をそらしてしまった。

 他の選手を気にしている時間はない。

 自分の走りに集中しなくてはいけない。


 まただ。

 何かが焦げていくような感覚。

 僕の何かが焼け落ちていく感覚。

 ぶすぶすと鈍い音をたてて。


 予選の後にも感じていた。

 いや、その前からずっと感じていたのかもしれない。

 大和に出会ってから言われていた熱を持っている感覚。

 焦げるような匂い。


 ほどほどにうまくいくためには必要なかった、そんな感情。

 隠して、隠して、蓋をしていたもの。


 ——僕は、吉野に勝ちたいと思ってる。

 そして、負けることに対する、恐怖。


 はじめて、そう思った。


 時間になった。

 招集所からトラックに入っていく。

 青いタータンが眩しい。巨大な観客席から大勢の人たちが僕らのことを応援している。

 いや、予選一位の吉野の走りを目に焼き付けようとしているのかもしれない。

 競技前のアナウンスが会場に響き渡る。

 選手の紹介が淡々と読み上げられる。


「第四レーン 吉野桜樹、東都学園高校、東京」

 観客が少しざわめいた。

「第五レーン 三笠遼、甲府中央高校、山梨」


 正午を過ぎてさらに強烈な日差しが僕らをじりじりと焦がす。

 漂う空気は暴力的としかいえないほどの熱量を持って八人の選手の体温を容赦なく上昇させる。

 トラックの上を歩くだけで、汗が噴き出してくる。

 みんな、同じだ。

 僕にも、一位の吉野にだって平等な時間と環境が用意されている。


 吉野の予選タイムは10秒48。

 南関東大会のタイム差は0.1秒。

 100mなら身体ひとつの差だ。

 スタートで差を開いて追いつかせない。


 試走を終えてレーンマーカーの前に立った。


「オン、ユア、マーク」

 前に進み、手首を回して、首を左右に振る。

 身体をスターティングブロックにセットする。

 少し遅れて、吉野もセットした。


「セット」

 世界が止まる。

 神経は極限まで研ぎ澄まされる。

 身体の細胞ひとつひとつが、その音を待っている。


 パァン!

 スタート音とともに、世界が動いた。


 感覚ではほぼ同時。

 0.1秒の誤差で筋肉が爆発的に収縮し、スターティングブロックを蹴り上げる。


 1、2、3、4、5!

 振りだす両腕、踏み込む両脚に力を入れる。

 僕がきたえあげた体幹の筋肉はその反動をしっかりと受け止めて推進力に変換する。


 吉野を置き去りにしたのがわかった。

 まだだ。

 まだ、低い姿勢。

 ここでさらに加速する。

 全身に受ける風圧なんて気にもならない。


 顔を上げる。

 加速が限界点まで達した。

 スピードの維持。

 僕のスピードを邪魔してくるもの全てに抗う。

 全身のシンクロした筋肉は僕の身体を前に送り出す。


 あと20メートル。

 横に吉野がいる。

 追いつかれた。

 ここからだ。

 負けない。

 ここで喰らいつく。

 蛇のように。

 逃げるんじゃなくて、喰らいついて離さない。


 10メートル。

 5メートル。

 1メートル。

 胸を投げ出す。

 ゴールラインを切った。

 ほぼ、同時だ。


 ストップウォッチは10秒45で止まっている。

 足を止めた僕と吉野はほとんど同時に電光掲示板を見上げた。


 少し時間がかかっている。

 観客席がざわめいている。


 腰に手を当てて息を整え、歩きながら結果を待つ。

 吉野と顔を見合わせた。


 その瞬間、大きな歓声があがった。


 ① 三笠遼(甲府中央)山梨 10秒453

 ② 吉野桜樹(東都学園高)東京 10秒456


 勝った。

「よおおっしゃ!」

 両手を空に掲げて、大声で叫んでいた。


 なんでだろう。

 トラックの上で叫び声をあげたことはなかったのに。


 吉野が近づいてきた。

 息を切らしながら、僕に言った。


「決勝で、またやろうぜ」


 意外な言葉だった。


「おう、望むところだ」


 僕の口からも意外な言葉が出たことが、なんだかおかしかった。

 決勝までは1時間半。

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