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5-1 紫丁香花

 ギターの旋律が特徴的な流行りの音楽が流れている。

 明日は終業式なので、ロッカーの掃除をしていたときだった。

 大和は掃除の途中で雑巾を洗いに教室にもどっていた。

 クラスの二人が、TikTokで流行っているダンスの真似をして踊っている。


「ほら、ちゃんと掃除しろってー」


 他のやつが笑いながら言ったとき、はしゃいでいたやつの一人が足を滑らせてふらつき、縦型のロッカーにぶつかった。

 ガンッという音とともにカギがかかっていなかった大和のロッカーが、少しだけ開いた。


 その反動で、中からころんと灰色のものが転がり出てきた。


 ——あ…


 胸の奥が、ひゅっと縮んだような気がした。

 手を動かそうと思ったけど、動かなかった。


 そう思ったときにはもう遅くて、どこかでみたことのある灰色の巾着袋は、拾い上げられていた。


「あれ、これって、“あめみやはるか“って書いてあるけど…」

 クラスのやつが、泥だらけの巾着袋を持ち上げて言った。

 一瞬で、その場の空気が冷えたのがわかった。


 相変わらず軽快なBGMだけが、何も知らないふりをして流れ続けていた。


「おい、中は?何か入ってる?」

「ああ、ちょっと待って」

 そいつが巾着袋の紐を緩めると、中から白い布がのぞいていた。

「…体操服だな、こりゃ」

「まじかよ…。てことは…」


 僕はその光景を、黙って見ていることしかできなかった。


「ふふふーん、ふふん」

 BGMのリズムにあわせて、鼻歌を歌いながら大和がロッカールームに帰ってきた。


「おい、田中のロッカーから、これ…」

「え…」

 大和の顔からふっと色が消えた。


「これって、なくなったって噂になってた、雨宮の体操服だよな」


 大和は何も言わずに、そいつのもっていた巾着袋を見つめている。体の横で握った両手がぶるぶると震えているのが見えた。


「あ、それさ…俺らが…」

 僕が、その輪の中に入っていこうとしたそのときだった。

「う、うわああああああ!」


 突然大和が叫んだ。

 騒ぎに気づいていなかった周りの連中も一斉にこちらを振り返った。


「ああああああ、ああああ、あああああ!」

「お、おい…」


 大和の様子は尋常じゃない。

 上を向いて、喉の奥から絞り出すように、泣き叫んでいる。


 顔色は白を通り越して薄い紫色にも見えた。

 血の気が引いたとか、蒼白とかそういう言葉では追いつかないほどの色だった。


 さっきまで問い詰めていたやつも、その異様な様子に圧倒されて、大和に手を伸ばした。


「うわわああああああ!」


 その手を思い切り振りほどいた大和は、くるりと振り返って、男子ロッカールームから走り去って行った。

 その場にいた誰もが、呆気にとられて立ちつくしており、その背中を追うことができなかった。

 僕すらも、ただ手を伸ばして、その遠ざかっていく背中を見ているだけだった。


 再び、ロッカールームには静寂が訪れた。

 先ほどの軽快な音楽は、最後のサビに入っていた。

 甘酸っぱい青春のことを歌う声だけが、場違いに響いていた。


 騒ぎが大きくなって、男子ロッカールームの入り口には人だかりができており、こちらをうかがっている。その中に名取紗奈の顔もあった。


「ああ!それって、春風の体操服じゃない?」

 名取がロッカールームにずかずかと入ってきて、巾着袋をひったくった。

「なんであんたらが持ってんのよ」


「いやさ、それがさ…」

 なんとなく男子が言い淀んでいた。


「さっき、田中大和が叫びながら出て行ったけど、もしかして?」

 名取が険しい表情で問い詰める。


「あ、ああ…、田中のロッカーから出てきたんだ。だから、俺らがなんで?って聞いてたらさ…」

「そう、そしたら、ぶるぶる震えたと思ったら、大声で泣き始めてさ…」

「それで、走って出てったんだよ」


 名取の表情に圧倒されて、男子がかわるがわる言い訳をするように状況を説明した。


「まじ?それって…」

 名取の顔が怒りで歪む。


「完全に、田中大和、クロじゃん。わたし、最初からアイツ怪しいと思ってたんだ。やたら春風のこと見てるし」

 男子たちも、名取の言葉にうんうんとうなずく。


「最近、春風、誰かにつけられてるような気がするって言ってたの。それも田中の仕業でしょ、もう、確定!アイツ、マジで!ストーカーじゃん。ほんとにキモい!」


 吐き捨てるように言いながら、男子からふんだくった巾着袋を握りしめた名取は、烈火の如く怒りながらロッカールームを出て行った。


 名取は近くにいた僕にも気づかないほど、我を忘れていたらしい。

 多分気づいていたら、僕も何か知っているのだろうと問い詰めてきただろう。


 それをされなかったことで、心の中でほっとしていた自分がいたことに気づいた。

 僕らが、身延線の脇にある側溝から見つけたと言っても信じてもらえるはずがない。

 それより僕だって犯人にされてしまうかもしれない…。


 それと同時に古屋から聞いた“ぬくぬく君事件“のことを思い出した。

 そのときの大和も、きっとこんなふうにどうにもならない感情を爆発させたのだろうと想像ができた。

 僕だって、あれほど泣き叫ぶ人を見たのははじめてだった。


 自分への保身、視線からの逃避、孤独への恐怖、そして——大和を庇いたいという気持ち


 そんな相反する感情が胸の中でぐちゃぐちゃになって、ゆっくりと沈んでいった。


 そして、そんなふうに冷静な分析をしている自分が、とてつもなく冷たく、残酷な人間に思えた。


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