4-5 硬い桃
古屋とはイオンで別れて自転車を走らせた。
踏切を越えて、線路沿いに走ると、大和が巾着袋を見つけた現場を通った。
薄汚れた農業資材用の物置と田んぼの脇の側溝。
泥だらけの巾着袋と、汚れたぬくぬく君が重なって見えた。
口髭ように泥をつけて、ドヤ顔をする大和を思い出した。
……あれ?髭があるのはホームズじゃなくて、ポアロじゃんと思った。
そんなことはどうでもいいけど。
アイツはそういうところが抜けている。
暗くなってきたので、自転車のライトをつける。
そのとき身延線の特急ワイドビューふじかわの窓から漏れる光が、僕を照らした。そのまま僕だけを残して、列車は笛吹川に向かって糸を引くように走り去っていった。
家に帰って夕食を食べながらつけっぱなしのテレビを眺める。いつからだろうか、テレビなんてほとんど見なくなってしまった。スマホを開けば動画は見られるし、なにより、陸上と勉強をしていたらそんな時間はない。
「キレイ!ムラなし!クリーニング、キ、ム、ラ」
軽快な音楽とともに、クリーニングキムラのコマーシャルが流れてきた。
……なんだよ、それ。
キレイ?ムラなし?
これだったら、キレイ!ムラあり!でもいいじゃないか。どうせだったらぬくぬく君でも使ってやればいいじゃないかなとも思った。
昔から流れてるCMなんだろうけど、なんだかはじめて聞くような気がした。
「桃をむいたよー」
母が明るい声で、食後のデザートなのか桃をむいて持ってきた。まだ、僕も父も夕食を食べ終わっていないのに。
誰かしら知り合いが桃農家だったりするので、山梨県民はこの時期、桃を何かといただくことが多い。
父がフォークで桃を刺して口に運んだ。シャクシャクと乾いた音がする。
「うん、うまい」
父は、マグロの刺身を食べていたにもかかわらず、桃をシャクシャクと食べている。マグロと醤油と甘い桃が口の中で混ざり合っているはずなのに。
……うまいはずがない。
「あら、硬いかしら」
「山梨県民たるもの、かてえ桃を食ってなんぼずらあ」
父が笑う。
僕も山梨的な硬い桃をかじる。りんごのような歯触りでシャクシャク食べる。僕ももうすでに慣れてしまっているようだ。ブニュリとした桃はちょっと違うなって思う。
「あ、そういえば。遼、テスト返ってきたんでしょ。どうだったの?」
食べ終わった食器をキッチンに片付けて戻ってきた母が、手を拭きながら唐突に聞いてきた。
「あ、ああ、まあ、良かったよ」
悪かったわけではない。数学と物理は大和に負けたけど、他は全部勝った。総合得点では、学校で一位だ。
「あら、あなた。なんか、ちょっと悪かったでしょ」
母が僕の方を見て意地悪そうに聞いてくる。
「え?あ、ああ。数学と物理、ちょっと間違ってさ。96点と90点で、二位だったんだ。なんで?」
僕は、図星を突かれてちょっと焦った。
「だって、あなた。いつも、ぜんぶ一位だったよーって言うじゃない」
「あ、そうか。ははは」
母のそういうところは、怖いぐらいだ。
「でも、総合で一位だったから、いつもと変わらないかな」
二位でいいと思っているわけがない。
それと——
“大和に負けた“というほうが正しいのかもしれない。そんな自分の気持ちに、驚いた。
アイツの図書館で書いていた数式。
何の計算なのか、全然わからなかった。
高校生の物理の問題を遥かに超越していた。
アイツは惑星間転送装置の計算といった。
そんなことあるわけない。
タルサス星人は地球に来ているのか。
バカバカしい。
アイツはぬくぬく君のように、嘘という羊毛でちっぽけな自分を覆い隠しているんだ。
だけど……
今までついてきた嘘の中で、たった一つ言っていなかったこと。
——それは、宇宙人。
僕は、皿に残っていた桃を口に運んだ。
「遼…お前……」
今まで黙っていた父が口を開いた。
僕と母は、ごくりと唾を飲み込む。
「そこの、そこの桃を四個も食べただろー」
僕はポカンと口を開けた。
食卓の真ん中に置かれていた桃が入った皿が、いつのまにか空になっている。
「遼、私は二個しか食べていないわ」
母が、追撃を開始した。
「俺は六個しか食べてないのに…」
……いや、あんたが一番食べているじゃん。
父と母が大声で笑った。
何がそんなに面白いのかわからなかったけど、いつのまにか僕も笑っていた。
底抜けに明るい母と、少しズレている父。
こんな、家庭に救われた気がした。
さっきまで、なんだかこだわっていた点数だとか大和ことだとか、どうでもいい気がしていた。
インターハイはあと二週間後。
今年は栃木、宇都宮だ。
部屋に帰ると、LINEの通知が入っていた。
珍しく雨宮春風だった。陸上部同士アドレスは知っていても、別に個人的に送ったりすることなどなかったのに。
「もうすぐインターハイだね」
という文字の後に、誰もが知っている芸人のスタンプで“頑張って“と入っていた。
「おう、調子は良くなってきた!」
と書いて、グレイ型宇宙人がピースサインをしているスタンプを押した。
「やっぱり!」
という言葉と笑顔のイラスト文字が並んでいた。
なんで今、メッセージ送ってきたんだろうと思った。雨宮春風の後ろ姿をぼーっと見つめる、大和を思い出しておかしくなった。
——あ、あいつ、雨宮のこと好きだったな。
ぬくぬく君の羊毛の下には何が隠れているんだろう、そんなことを思った。
そのあとは、雨宮とLINEでとりとめのないやりとりをした。
今日買った英単語の本を読んで、物理の問題集をやった。いつも通りわからないところなどなかった。
僕の日常が今晩も過ぎていくことに、ちょっと安心した。




