チューリングの見た夢 第1話:数学という名の宇宙
作者のかつをです。
第二章「チューリングの見た夢」を、本日から連載開始します。
第一章のENIACの物語から少し時代を遡り、コンピュータという概念そのものを生み出した一人の天才数学者の生涯に迫ります。
彼の孤独な少年時代が、後の偉大な発明にどう繋がっていったのか。
その序章としてお楽しみください。
2016年、ソウル。
世界中が見守る中、盤上に静かに石が置かれる。
対峙しているのは、囲碁の世界最強と謳われる棋士と、無機質なアームを動かすだけの人工知能(AI)。
AIが放った一手は、何千年という囲碁の歴史において、人間が誰も思いつかなかった独創的な手だった。
解説者が言葉を失い、最強の棋士は絶望に顔を歪める。
機械が、人間の知性と創造性を超えた瞬間だった。
このAIの思考の根源は、一体どこにあるのか。
その問いの答えは、約一世紀前、イギリスの片田舎で、星空と数式だけを友にしていた一人の孤独な少年に遡る。
1920年代、イギリス。
アラン・チューリングは、ひどく内気で、不器用な少年だった。
他の生徒たちがスポーツや他愛ないおしゃべりに興じる中、彼はいつも一人で、図書館の隅にうずくまっていた。
曖昧で、矛盾に満ちた人間たちの世界は、彼にとってひどく居心地が悪かった。
しかし、数学の世界は違った。
そこには、絶対的な真理と、揺るぎない秩序、そして宇宙のように美しい法則が存在した。
数式を解き明かすことは、彼にとって、世界の本当の姿に触れるための、唯一の手段だった。
そんな彼に、唯一の理解者が現れる。
クリストファー・モルコム。一つ年上の、聡明な少年だった。
二人は、他の誰とも分かち合えない情熱で結ばれていた。
放課後、誰もいない教室で、彼らは科学と数学の神秘について語り合った。
アインシュタインの相対性理論、量子の奇妙な振る舞い、そして宇宙の果て。
「ねえ、アラン。人間の脳だって、一種の機械なんじゃないかな」
ある日、クリストファーが言ったその言葉が、チューリングの心の奥深くに、小さな種を植え付けた。
思考とは何か。意識とは何か。
それは、魂だけの特権なのか。それとも、論理的な法則に従う、ただの現象なのか。
チューリングは、生涯をかけてこの問いと向き合うことになる。
しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。
クリストファーは、結核のために、あまりにも早くこの世を去ってしまう。
チューリングは、唯一の光を失った。
友の死という、非論理的で、残酷な現実を前に、彼はさらに深く、数学という名の秩序の宇宙へと沈んでいった。
その宇宙の果てで、彼がやがて見つけ出すことになる「考える機械」のアイデアが、遠い未来に人間の知性を超えるAIを生み出すとは、まだ誰も知らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
アラン・チューリングは、その生涯だけでなく、彼の科学的な業績も非常にドラマチックです。
唯一の親友だったクリストファーの死は、彼の人生に決定的な影響を与えたと言われています。
さて、親友を失い、数学の世界に没頭していく若きチューリング。
彼はやがて、世界の数学者たちが頭を悩ませる、ある大きな問題に挑むことになります。
次回、「想像上の機械」。
すべてのコンピュータの原型となる、驚くべきアイデアが誕生します。
ブックマークや評価で、新章のスタートを応援していただけると嬉しいです!
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