天気予報を可能にしたスパコンの父 第4話:液体冷却という狂気
作者のかつをです。
第八章の第4話をお届けします。
性能のためにはリスクを厭わない。
シーモア・クレイの狂気と紙一重の天才性を象徴するエピソード、「液体冷却」。
その過激さと美しさを感じていただければ幸いです。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
「熱の問題をどう解決するか」
Cray-1の開発は最終段階でこの巨大な壁に突き当たっていた。
高密度に実装されたICは合計で115キロワットという膨大な電力を消費する。
これは小さな町の一区画をまかなえるほどの電力であり、そのほとんどが熱に変わる。
研究所では連日激しい議論が交わされた。
「もっと巨大な空冷ファンを取り付けるしかない」
「いや、それだと騒音がひどすぎて使い物にならない」
「基板の密度を下げるべきだ。性能は少し落ちるが……」
シーモア・クレイはその議論を黙って聞いていた。
やがて彼は静かに一言だけ呟いた。
「……冷媒で冷やせばいい」
その場にいた誰もが耳を疑った。
冷媒。それは冷蔵庫やクーラーで使われるフロンガスのことだ。
クレイが提案したのは、コンピュータの基板そのものをこのフロンガスを循環させた金属の冷却板で、直接挟み込んでしまうという前代未聞のアイデアだった。
「……正気か?」
誰かが思わず口にした。
それは狂気の沙汰としか思えなかった。
精密な電子回路のすぐそばをマイナス何十度という極低温の液体が、猛烈な勢いで流れ続けるのだ。
もし一滴でも液体が漏れれば回路は一瞬でショートし、すべてが終わりになる。
リスクがあまりにも高すぎる。
しかしクレイの決意は固かった。
「性能を1ビットたりとも犠牲にする気はない。やるぞ」
彼の鶴の一声でプロジェクトは大きく舵を切った。
研究所はさながら配管工事の現場のようになった。
無数の銅のパイプがCray-1の筐体の周りを血管のように張り巡らされていく。
そのパイプの中を圧縮されたフロンガスが循環する。
それはもはやコンピュータというより、化学プラントに近い異様な光景だった。
数々の液漏れ事故や凍結トラブルを乗り越えて、ついに世界で最も過激で、そして最も効率的な冷却システムが完成した。
Cray-1はその心臓部に極低温の血液を循環させることで、灼熱地獄の中から奇跡の計算能力を絞り出していたのだ。
この「液体冷却」という常識破りの発想。
それこそがCray-1をCray-1たらしめる、最後のそして最も重要な魔法だった。
孤高の天才は世界最速のためならば、悪魔に魂を売ることさえ厭わなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この液体冷却システムは非常に効率的でしたが、メンテナンスには専門の技術者が何日もかかる大変な代物だったそうです。まさにモンスターマシンですね。
さて、ついに完成した人類史上最強の計算機。
しかしこんな怪物を一体誰が、何のために使うというのでしょうか。
次回、「冷戦と核シミュレーション」。
スーパーコンピュータの最初の顧客は国家でした。
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