冷蔵庫サイズの記憶装置の挑戦 第4話:空飛ぶヘッド
作者のかつをです。
第七章の第4話をお届けします。
絶体絶命のピンチを救った、一つの美しいブレークスルー。
今回は、ハードディスクの歴史において最も重要な発明と言われる「空飛ぶヘッド」の誕生秘話を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
RAMACプロジェクトが直面していた最大の難問。
それは磁気ヘッドとプラッタの関係にあった。
データを正確に読み書きするためには、ヘッドをプラッタの表面に可能な限り近づけなければならない。
その距離は人間の髪の毛の太さよりも遥かに小さい、数マイクロメートルという神業のような領域だった。
しかし、もしヘッドがプラッタに接触してしまえば悲劇が起きる。
猛烈なスピードで回転するプラッタはヘッドを一瞬で破壊し、その表面も傷だらけにしてしまう。
これを「ヘッドクラッシュ」と呼んだ。
エンジニアたちは悪夢にうなされた。
ヘッドクラッシュは彼らの努力の結晶を一瞬で鉄屑に変えてしまう、死神のような存在だったのだ。
バネの力でヘッドをプラッタに押し付けてみるが、わずかな凹凸ですぐにクラッシュしてしまう。
ならばとヘッドを安全な距離まで離してみるが、今度はデータがまったく読み書きできない。
まさに八方塞がり。
プロジェクトはこの問題によって完全に座礁しかけていた。
そんな絶望的な状況の中、一人の若きエンジニアがある論文に目を留めた。
それは流体力学に関する難解な論文だった。
そこに書かれていたのは「エアベアリング(空気軸受)」という不思議な現象。
高速で回転する物体の表面には粘性によって薄い空気の層がまとわりつき、その空気の層が圧力を持って物体を浮き上がらせるというのだ。
「……これだ」
彼の頭に稲妻が走った。
ヘッドに特殊な「翼」のような形状を持たせ、回転するプラッタの表面で発生する空気の流れ(境界層)に乗せる。
そうすればヘッドはプラッタに接触することなく、空気の力だけでごくわずかに「浮上」するはずだ。
まるで飛行機が翼の揚力で空を飛ぶように。
それはまさにコロンブスの卵だった。
無理にヘッドの位置を制御しようとするのではなく、自然の物理法則にヘッドを委ねてしまうのだ。
チームはすぐさまこのアイデアを元にした新しいヘッドの設計に取り掛かった。
そして数々の実験の末、彼らはついに奇跡の光景を目にする。
磁気ヘッドが、猛回転するプラッタの上で安定して浮上している。
接触することなく、そして完璧な距離を保ちながら。
「……飛んでる」
誰かが呆然と呟いた。
「空飛ぶヘッド」が誕生した瞬間だった。
このエレガントで革命的な技術こそが、その後の半世紀にわたるハードディスクの進化を支える揺るぎない礎となったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
現代のハードディスクのヘッドとプラッタの隙間は数ナノメートル。これはジャンボジェット機が地上数ミリの高さを保ったまま音速で飛び続けるのに等しい、驚異的な精度なのだそうです。その原点がここにあったのですね。
さて、最大の難関を突破した開発チーム。
いよいよ鉄の巨人がその全貌を現します。
次回、「5メガバイトの壁」。
完成したRAMACの、驚くべき巨体とその記憶容量とは。
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