計算機センターの女性たち 第5話:バグとの戦い
作者のかつをです。
第5話をお届けします。
成功の裏にある、地道で過酷な現実。
今回は、現代のプログラマーも日々行っている「デバッグ」作業の、その壮絶な元祖ともいえる物語を描きました。
最初の成功がもたらした熱狂は、長くは続かなかった。
ENIACは、気まぐれで病弱な巨人だったのだ。
「また2番ユニットの真空管が切れたわ!」
「乗算機の結果がおかしい! どこかで接触不良が起きてる!」
計算室には、毎日のように彼女たちの悲鳴が響き渡った。
ENIACの心臓部である1万8000本の真空管は、消耗品だった。
現代の電球のように、ある日突然ぷつりとその命を終える。
一本でも真空管が切れれば、計算は即座に停止し誤った結果を吐き出す。
彼女たちの仕事は、プログラムを組むことだけではなかった。
ENIACの「健康管理」もまた、重要な任務となったのだ。
計算が止まるたび、六人は巨大な機械の裏側に回り込み、切れた真空管を探し出す。
数百本並んだ真空管の中から、たった一本の故障箇所を見つけ出すのは、まさに干し草の山から針を探すような作業だった。
「まるで、機械の看護婦ね」
フランシス・バイラスが、汗を拭いながら自嘲気味に言った。
ある夏の日の午後。
いつものように、ENIACが計算を停止した。
しかし、今回は様子が違った。どの真空管も切れていない。配線も間違ってはいないはずだ。
「原因が分からない……」
六人が途方に暮れていた、その時だった。
ベティ・ジェニングスが、リレー回路のパネルの一つを指さした。
「ねえ、あそこ。何か挟まってる……」
近づいてみると、リレーの接点の間に、一匹の「蛾」が挟まって死んでいた。
どうやら、機械の熱と光に誘われて入り込んでしまったらしい。
この小さな蛾が電気の流れを妨げ、計算を停止させていたのだ。
ピンセットで慎重に蛾の死骸を取り除くと、ENIACは何事もなかったかのように再び計算を始めた。
彼女たちは、その日の作業日誌にこう記録した。
「本日のエラー:リレー回路にて、虫を発見。デバッグ(虫取り)作業完了」
これが、プログラムの欠陥を意味する「バグ」という言葉が、コンピュータの世界で使われるようになった有名な逸話だった。
彼女たちは、日々発生する原因不明のエラーと戦い続けた。
それは、思考のバグであり、物理的なバグでもあった。
この地道で過酷な「デバッグ」作業こそが、ソフトウェア開発の本質であることを、彼女たちは身をもって学んでいく。
それは、華やかな発明の裏側にある、決して語られることのない、しかし最も重要な戦いだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
有名な「蛾のバグ」の逸話は、実はENIACではなく、後のコンピュータ「Mark II」での出来事だという説が有力です。しかし、この物語では、彼女たちの苦闘を象徴するエピソードとして、あえて描かせていただきました。
さて、数々の困難を乗り越え、ENIACを完全に稼働させた彼女たち。
やがて戦争が終わり、ENIACが世間に公表される日がやってきます。
次回、「歴史からの抹消」。
彼女たちの功績は、しかし、正当に評価されることはありませんでした。物語は、一つの大きな理不尽に直面します。
評価や感想、お待ちしております。```
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