日本の電卓が起こした半導体革命 第4話:嶋正利、シリコンバレーへ飛ぶ
作者のかつをです。
第五章の第4話をお届けします。
もう一人の主人公、日本の技術者・嶋正利の登場です。
彼の情熱と実力がなければ、マイクロプロセッサの誕生は、もっと遅れていたかもしれません。
文化の違いを乗り越えていく、技術者たちのドラマを感じていただければ幸いです。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
インテルからの、常識外れの提案――「マイクロプロセッサ」構想。
その報告を受けたビジコンの社内は、困惑に包まれた。
「コンピュータのようなチップ、だと?」
「そんな、得体の知れないもので、本当に電卓が作れるのか?」
しかし、一人の男だけは、そのアイデアの持つ革新性を、瞬時に見抜いていた。
彼の名は、嶋正利。
ビジコンで、最初の電卓の設計を手掛けた、若きエース技術者だった。
彼は、直感した。
インテルの提案は、単なるコスト削減案ではない。これは、未来そのものだ、と。
「私に行かせてください」
嶋は、経営陣に直談判した。
「このプロジェクトを成功させるには、インテルの連中と、膝詰めで、共に開発を行うしかありません」
1970年。
嶋正利は、大きな期待と、少しの不安を胸に、太平洋を渡った。
降り立ったのは、乾いた太陽の光が降り注ぐ、カリフォルニア州サンタクララ。
シリコンバレーという言葉すら、まだ一般的ではなかった時代だ。
インテルのオフィスで、彼は、テッド・ホフ、そして、もう一人の重要な人物と出会う。
イタリア出身の物理学者、フェデリコ・ファジン。
彼こそが、ホフのアイデアを、実際の回路設計に落とし込む、実務の責任者だった。
しかし、日米の技術者たちの共同作業は、最初から、文化の壁にぶつかった。
嶋が、詳細な仕様について質問しても、インテルのエンジニアたちは、大まかなブロック図を示すだけで、「あとは、うまくやってくれ」と言うばかり。
日本的な、細部まで仕様を固めてから設計に入るやり方と、シリコンバレー的な、走りながら考えるやり方。
その違いに、嶋は、戸惑いを隠せなかった。
「これでは、話にならない」
苛立ちが、募る。
しかし、嶋は、ただの御用聞きになるために、日本から来たのではなかった。
彼は、自ら、マイクロプロセッサの論理設計を、一から十まで、紙の上に描き始めたのだ。
不眠不休で、詳細な回路図を、次々と完成させていく。
その圧倒的な仕事量と、設計の緻密さ。
それを見たファジンたちは、驚きに目を見張った。
「こいつは、ただ者じゃない……」
当初の戸惑いは、やがて、国籍を超えた、技術者同士の深い尊敬の念へと変わっていった。
言葉の壁も、文化の壁も、彼らの前では、もはや問題ではなかった。
彼らを繋いでいたのは、「世界初のマイクロプロセッサを創る」という、ただ一つの、熱い情熱だった。
日米の天才たちが、一つのチームになった瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
嶋正利は、この功績により、後にインテルに正式に入社し、Z80など、歴史に名を残す数々のマイクロプロセッサの開発で中心的な役割を果たすことになります。
さて、最高のチームはできた。
いよいよ、彼らの、壮絶な開発競争が始まります。
次回、「マイクロプロセッサ「4004」の誕生」。
歴史が、大きく動きます。
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