計算機センターの女性たち 第3話:弾道計算と戦争の影
作者のかつをです。
第3話、お楽しみいただけましたでしょうか。
今回は、彼女たちの具体的な任務である「弾道計算」を、いかにして物理的な配線に落とし込んでいったか、その知的な格闘を描きました。
戦争という背景が、彼女たちの仕事に重い意味を与えていたことを感じていただければと思います。
ENIACの構造を理解したことは、旅の始まりに過ぎなかった。
地図を手に入れただけであり、目的地までの道筋はまだ白紙のままだった。
彼女たちの目的地――それは「弾道計算方程式」の完全な自動化。
「これが、私たちが機械に教えなければならない“言葉”よ」
ベティ・スナイダーが広げた紙には、常人には呪文にしか見えない複雑な微分方程式がびっしりと書き込まれていた。
これまで彼女たちが何十時間もかけて手で計算してきた数式だ。
これを、ケーブルの配線に翻訳しなければならない。
六人は巨大な方程式を、ENIACが理解できる最小単位の命令――足し算、引き算、掛け算、割り算――に分解する作業に取り掛かった。
それは、一つの長大な物語を単語の一つ一つに分解していくような、根気のいる作業だった。
「この部分の計算結果を、あそこの累算機に送って……」
「待って、その前にこの定数を読み込ませないと答えがずれるわ」
壁一面に貼られた巨大な紙の上で、彼女たちの思考が交錯する。
一本の線を書き込むたび、それがENIACのどの配線盤のどの穴に対応するのかを確認する。
一つのミスが、計算結果全体を意味のない数字の羅列に変えてしまうのだ。
焦りが、彼女たちを蝕む。
戦争はまだ終わっていなかった。
遠いヨーロッパや太平洋の戦場では、今この瞬間も兵士たちが命を落としている。
自分たちの計算が一日遅れれば、それだけ多くの砲弾が目標を外れ無駄になるかもしれない。
そのプレッシャーは、日に日に重く彼女たちの肩にのしかかった。
「急いで! でも、正確に!」
リーダー格だったカイ・マクナルティが、皆を鼓舞する。
彼女たちの仕事場は、もはや大学の研究室ではなかった。
硝煙の匂いこそしないが、ここは間違いなく戦争の最前線だった。
数週間後。
彼女たちはついに、弾道計算の初期段階をシミュレートするための完全な配線図を完成させた。
それは数百本のケーブルが複雑に絡み合った、巨大な神経回路図のようだった。
いよいよ、この設計図を本物の機械に繋ぎ込む時が来た。
彼女たちはENIACの前に立つ。
自分たちの頭脳と、鉄の巨人の電子頭脳が初めて一つになろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
弾道計算には、空気抵抗やコリオリの力など、非常に多くの変数が関わってきます。これを手計算で行っていた「計算手」たちの能力がいかに高かったかが窺えますね。
さて、ついに理論は完成し、あとは実践あるのみ。
自分たちの作った配線図を手に、彼女たちはENIACと対峙します。
次回、「ENIAC、最初の火入れ」。
果たして、鉄の巨人は彼女たちの指示通りに動いてくれるのか。歴史が動く、その瞬間です。
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