コンピュータに「言葉」を教えた軍人 第6話:COBOLの誕生
作者のかつをです。
第三章の第6話をお届けします。
一人の天才のひらめきだけでなく、多くの人々の協力や対立を経て、一つの技術が「標準」となっていく。
今回は、そんなダイナミックな歴史のプロセスを描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
コンピュータがビジネスの世界に浸透し始めると、新たな問題が生まれた。
「メーカーの壁」である。
IBMのコンピュータ、UNIVACのコンピュータ、RCAのコンピュータ。
それぞれが独自の設計思想を持ち、独自の機械語を持っていた。
当然、コンパイラもそれぞれの機械でしか動かない。
つまり、一度UNIVAC用にプログラムを書いてしまうと、その会社は未来永劫、UNIVACのコンピュータを買い続けなければならないのだ。
これは、企業にとっては大きなリスクだった。
「このままでは、コンピュータの普及は頭打ちになる」
危機感を抱いたのは、ホッパーだけではなかった。
国防総省もまた、メーカーごとにバラバラのコンピュータを管理することの非効率さに頭を悩ませていた。
1959年。
国防総省の呼びかけで、主要なコンピュータメーカー、企業、そして大学の研究者たちがペンタゴンの一室に集められた。
議題は、ただ一つ。
「特定のメーカーに依存しない、共通のビジネス用プログラミング言語を策定すること」
会議は、荒れに荒れた。
各メーカーの代表者たちは、自社の技術的な優位性を主張し互いに牽制し合った。
自分たちのやり方を「標準」にさせようと、誰もが一歩も引かなかったのだ。
利害とプライドがぶつかり合う、終わりのない議論。
その混乱を、グレース・ホッパーは冷静に見つめていた。
彼女は、この会議の技術的な顧問として参加していた。
彼女は壇上に立つと、静かに、しかし力強く語り始めた。
「私たちは、FLOW-MATICという経験から多くを学びました。英語に近い言語が、ビジネスの現場でどれほど強力なツールになるかということを」
彼女は、特定のメーカーの肩を持つことはしなかった。
ただ、自らが築き上げてきた「思想」と「哲学」を、データと共に論理的に語った。
誰のための言語か。
それは、メーカーのためではない。プログラマーのためですらない。
そのプログラムを使う、エンドユーザーのためであるべきだ、と。
彼女の言葉は、対立していた会議の空気を少しずつ変えていった。
数ヶ月に及ぶ激論の末、ついに一つの仕様書がまとめ上げられた。
FLOW-MATICの思想を色濃く受け継いだ、まったく新しい言語の設計図だった。
その言語は、こう名付けられた。
COBOL。
COmmon Business-Oriented Language(共通事務処理用言語)。
それは、一人の天才が生み出した発明ではなかった。
ライバルたちが互いの垣根を越え、共通の目的のために協力し合った、歴史的な産物だった。
そして、その中心には常に、グレース・ホッパーの揺るぎない信念が、灯台の光のように道を示していたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
COBOLは、時に「古臭い言語」と揶揄されることもあります。しかし、今なお、世界中の銀行や保険会社の勘定系システムなど、社会の根幹を支える多くの場所で、現役で動き続けている、偉大な言語なのです。
さて、歴史的な言語COBOLの誕生を見届けたホッパー。
しかし、彼女の軍人としてのキャリアはまだまだ終わりませんでした。
次回、「退役なき戦い」。
生涯を海軍とコンピュータに捧げた、彼女の驚くべき晩年に光を当てます。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




