最後のパンチカード 第2話:配線盤という名のプログラム
作者のかつをです。
第2話をお届けします。
説明書も何もない状況で、ENIACという巨大な機械と六人がどう向き合ったのか。
その絶望的とも思える第一歩を描きました。
現代では画面上で完結する「プログラミング」が、当時はどれほど物理的で過酷な作業だったか、感じていただけたら幸いです。
六人を支配したのは、期待ではなかった。
目の前の鉄の巨人が放つ熱気と、低いうなりを前に、彼女たちはただ圧倒されていた。
「……それで、説明書はどこに?」
カイ・マクナルティの問いに、案内役の士官は悪びれもせずに答えた。
「ない。君たちが作れ」
その一言が、彼女たちの置かれた状況を決定づけた。
まず、敵を知らねばならない。
六人は、ENIACに関するあらゆる資料を要求した。渡されたのは、数百枚に及ぶ、巨大な青焼きの設計図だけだった。
それは、電子回路の専門家ですら音を上げるほど複雑なもの。無数の線と記号が、まるで古代の碑文のように紙面を埋め尽くしていた。
「これが、私たちの教科書……」
ベティ・ジェニングスは、設計図の束を前に呟いた。
彼女たちは、来る日も来る日も、この難解なパズルを解き明かすことに時間を費やした。
一つ一つの真空管が何を意味するのか。どのスイッチが、どの演算装置に繋がっているのか。
やがて、ENIACの全体像が、ぼんやりとだが見え始めた。
この機械には、現代のコンピュータのような記憶装置も、OSも存在しない。
プログラムを書き込む、という行為そのものが、物理的な「配線」なのだと、彼女たちは理解した。
ENIACの正面には、電話交換台を彷彿とさせる、無数の穴が開いた「配線盤」が何枚も並んでいた。
計算の順序を機械に教えるには、この穴と穴を、一本一本ケーブルで繋いでいかなければならない。
足し算の次は、掛け算。その結果を、次の引き算に使う。
そんな単純な命令すら、複雑なケーブルの配線によって機械に伝えなければならないのだ。
それは、ソフトウェアというより、もはやハードウェアの設計に近い、途方もない作業だった。
「これは……プログラムじゃないわ。機械の脳外科手術よ」
誰かが言ったその言葉が、彼女たちの仕事の本質を的確に表していた。
彼女たちは、鉄の巨人の脳外科医となった。
メスの代わりにケーブルを手に、前例なき手術に挑むことになったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ENIACのプログラミングは、現代のようにキーボードを叩くのではなく、膨大なケーブルの繋ぎ変えによって行われました。一つの計算を行うための準備(配線)に、数週間かかることもあったそうです。
さて、機械の構造は理解した。しかし、彼女たちの本来の任務は「弾道計算」という複雑な数式を、この機械に解かせること。
次回、「弾道計算と戦争の影」。
彼女たちは、数学という名の設計図を、物理的な配線に変換する、次なる挑戦に直面します。
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