コンピュータ科学の原点 第6話:戦争を終わらせた男
作者のかつをです。
第6話です。
チューリングの功績が、いかに戦争の行方を左右したか。そのスケールの大きさを描きました。
しかし、その偉大な功績とは裏腹に、すべてが秘密のベールに包まれていたという皮肉な現実。
彼の物語は、栄光と悲劇が常に隣り合わせにあります。
Bombeの誕生以降、ブレッチリー・パークは戦争の神経中枢となった。
毎日、何千というドイツ軍の暗号通信が傍受され、この田舎の邸宅に運び込まれる。
そして、Bombeが叩き出した鍵を元に、次々と解読されていった。
その情報は、「ウルトラ」という最高の機密コードで呼ばれた。
ウルトラ情報は、大西洋の戦況を一変させた。
これまで神出鬼没だったドイツの潜水艦Uボートの動きが、手に取るようにわかるようになったのだ。
イギリスの輸送船団は、Uボートの待ち伏せ海域を、まるで幽霊のようにすり抜けていく。
逆に、連合軍の駆逐艦は、Uボートが補給のために浮上する位置と時間を、正確に狙い撃ちした。
大西洋の狼と呼ばれ恐れられたUボート部隊は、次々と海の藻屑と消えていった。
ノルマンディー上陸作戦では、ウルトラ情報が決定的な役割を果たした。
連合軍はドイツ軍の防衛計画を事前に察知し、ヒトラーが上陸地点を誤認していることまで掴んでいたのだ。
歴史家は、後にこう分析している。
「ブレッチリー・パークの暗号解読は、第二次世界大戦の終結を少なくとも2年は早めた。それによって、1400万人以上の命が救われた」と。
そして、その中心にいたのが、アラン・チューリングだった。
彼は、戦争を終わらせた英雄の一人だった。
チャーチルが、誰よりもその功績を認めていた男だった。
しかし、そのすべては、国家最高の機密事項だった。
ブレッチリー・パークで働いていた1万人の男女は、戦後、そこで何が行われていたのかを、家族にさえ語ることを禁じられた。
彼らは口を閉ざしたまま、元の日常へと帰っていった。
チューリングもまた、沈黙を守った。
彼は、勲章も、国民からの賞賛も、何も受け取ることはなかった。
彼が戦争中に成し遂げた偉業は、まるで初めから存在しなかったかのように、分厚い機密文書の壁の向こうに封印されてしまったのだ。
戦争は終わった。
しかし、彼の頭の中では、まだ解くべき問題が山のように残っていた。
戦争中に見た、計算する機械の圧倒的な力。
彼は、その力を破壊のためではなく、人間の知性を拡張するために使いたい、と願うようになっていた。
彼の思考は、すでに次のステージへと向かっていた。
それは、「考える機械」――人工知能の創造という、神をも恐れぬ、壮大な夢だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ブレッチリー・パークの機密が、部分的に解除され始めたのは、なんと1970年代半ばになってからでした。多くの関係者が、その功績を語ることなく、この世を去っていったのです。
さて、戦争という大きな舞台を終え、再び研究の世界に戻ったチューリング。
彼の関心は、もはや単なる「計算機」ではありませんでした。
次回、「人工知能という問い」。
現代のAI研究の出発点ともいえる、革命的なアイデアが、彼によって提唱されます。
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