コンピュータ科学の原点 第3話:ブレッチリー・パークへの招集
作者のかつをです。
第3話、いかがでしたでしょうか。
数学の世界に生きていたチューリングが、否応なく国家間の戦争という現実に引きずり込まれていく。
物語の大きな転換点です。
ブレッチリー・パークは、後に映画などでも描かれた、伝説的な暗号解読の拠点です。
1939年9月1日。
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。
その二日後、イギリスはドイツに宣戦布告し、世界は第二次世界大戦の渦へと飲み込まれていった。
ケンブリッジの静かなキャンパスにも、戦争の暗い影が忍び寄っていた。
学生たちは軍服に身を包み、学問の府は、にわかに活気づいていた。
そんな中、アラン・チューリングは、相変わらず自分の世界に没頭していた。
彼にとって、戦争もまた、非論理的で、理解しがたい人間の愚行に過ぎなかった。
しかし、時代は彼を放ってはおかなかった。
ある日の午後、彼の研究室のドアがノックされた。
そこに立っていたのは、見慣れない、仕立ての良いスーツを着た男だった。
男は、政府の人間だと名乗り、チューリングに一通の封筒を手渡した。
中には、簡潔な指示だけが書かれていた。
指定された日時に、ロンドン郊外のある場所へ出頭せよ、と。
目的は、書かれていない。
ただ、これは国家に対する奉仕であり、拒否は許されない、とだけあった。
指定された日、チューリングが列車を乗り継いでたどり着いたのは、ロンドンから北西に80キロほど離れた、何の変哲もない田舎町だった。
駅で待っていた車に乗せられ、彼が連れてこられたのは、「ブレッチリー・パーク」と呼ばれる、ヴィクトリア朝様式の古風な邸宅だった。
一見すると、ただの穏やかな田園風景だ。
しかし、敷地を取り囲む有刺鉄線と、銃を構えた警備兵の姿が、ここが普通の場所ではないことを物語っていた。
邸宅の中に通されたチューリングは、驚きに目を見張った。
そこには、彼のような大学の研究者から、チェスの名人、言語学の天才、果てはクロスワードパズルの達人まで、ありとあらゆる分野の「変わり者」たちが、国中から集められていたのだ。
皆、彼と同じように、謎の召集令状によってここに連れてこられた者たちだった。
やがて、一人の海軍中佐が、彼らの前に立った。
「諸君、ようこそ。ここは、政府暗号学校。英国で最も重要な、秘密の戦争が繰り広げられる場所だ」
ざわめきが、部屋に広がった。
「我々の敵は、ナチス・ドイツが誇る、史上最強の暗号機――“エニグマ”だ」
中佐は、地図の上に置かれた、タイプライターのような奇妙な機械を指さした。
「このエニグマを解読できない限り、我々はUボートに輸送船を沈められ続け、やがてこの国は飢え、敗北するだろう。諸君らの任務は、この鉄の箱を、その頭脳だけで打ち破ることだ」
チューリングは、エニグマと呼ばれた機械を、静かに見つめていた。
彼の目の前に現れたのは、純粋な数学の問題ではない。
何百万人もの命運がかかった、国家最高の機密任務。
彼の孤独な戦いは、今、世界そのものを舞台にしようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ブレッチリー・パークには、最盛期には1万人以上の人々が働いていたと言われています。その多くが、暗号解読の才能を見込まれた女性たちでした。まさに、ENIACの物語とも繋がる、知られざる頭脳部隊の活躍があったのです。
さて、国中の天才たちが集められたブレッチリー・パーク。
しかし、彼らの前に立ちはだかる敵「エニグマ」は、あまりにも強大でした。
次回、「解読不能の暗号エニグマ」。
チューリングは、この鉄壁の暗号機に、いかにして挑んでいったのか。その独創的なアプローチが、戦況を大きく動かします。
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