スイーツ&ビター
「……つまり君のお母さんは君と同じ病気で死んで、今度は君が死にかけていると」
微笑みを崩さなかった彼女の表情が、ふと変わった。
僕に向けられるその顔は―――。
「初めからそう言っているじゃないですか」
呆れだった。生意気なぐらいの。
これはどう解釈すべきだろうか。
母親の死も、自分の死も、すでに諦めているのか。
達観―――いやただの無関心にもみえる。
これが死を目前に控えた人間の真実の姿なのだろうか。
小説やドラマでよくある生への執着ではなく、ただ訪れるイベントに向けて準備をする程度。
僕が言葉を探していると、注文した甘味を持った店長が来た。
「はい、おまたせね。ゆっくりしていってね」
愛嬌のある笑みを浮かべると、彼の定位置だろうカウンターの奥に座り新聞を広げた。
目の前に置かれたスイーツ。
黒色の陶器には温かいぜんざいがたっぷりと入っている。
その上には茶色がかったアイスクリームが乗せられている。
アイスとぜんざいの境目から徐々にアイスが解けていき、幾何学模様のように器の中を彩る。
「それで病気についてですけど―――」
「今はそれよりスイーツだろ」
「……」
彼女は不満げに口を尖らせたが追求はしない。
多分僕の気持ちを察してくれたのだろう。
彼女の現状が重たすぎて、少し気持ちを整理する時間が欲しかった。
彼女の皿には、見るからにやわらかそうなシフォンケーキにホイップクリーム。
そしてブルーベリーのジャムが乗せられている。
ジャムは彼女の言うとおりこだわりがあるみたいで、市販のものより粘度が低く、ブルーベリーの形が残っている様に見えた。
「それじゃあ、食べようか」
まずはぜんざいを一口。
甘さは控えめながらあんこの味がしっかりとしている。
もしかしたらアイスが溶けることで丁度よい甘さになることを計算しているのかもしれない。
そして気になっていたアイスをデザートスプーンで掬う。
美味い。口に含んだ瞬間、大豆の豊かな風味が口一杯に広がる。
どうやら茶色がかっていたのはきなこが混ぜられているからのようだ。
きなことクリームとの相性がいいことを僕は初めて知った。
今度は溶けかかったアイスクリームとぜんざいを一緒に口に入れた。
やはり美味しい。暖かいぜんざいと冷たいアイスという対比がまず面白い。
その上で、きなこアイスとぜんざいの組み合わせは、とても相性がよかった。
和の物同士、互いの味を損なわず活かし、より高みへと昇華させていた。
今度自分の家でも作ってみようと思うほどだった。
「どうやら満足してくれたみたいですね」
「とっても。多分ここの常連になると思う」
これまであまり喫茶店というのに行ったことがなかったが、今度スイーツ巡りでもしてみようかと思うほどだった。
半分程ケーキを食べると、彼女はペーパーナプキンで口を拭いながら会話を切り出した。
「そろそろ続きを話してもいいですか?」
「うん、もう大丈夫。心の準備が出来たから」
糖分を摂取出来たおかげか、先ほどよりかはまともに話を受け止めることが出来そうだ。
「病気ですが治療法はほとんどありません」
「ほとんどということは、一応はあるの?」
「現実的ではないと言った方がいいですね。
脳の腫瘍を手術するのは極めて難しくて、成功しても後遺症や再発する可能性が高いです。
失敗すれば余命どころではありません。医者も手術をしたがらないですね」
医療漫画ならば熱血系主人公が手術を成功させてくれるだろう。
だけど現実はそうはいかない。リスクだけ高い手術に経歴を傷つけたくはないだろう。
成功しても完治せず、失敗のリスクだけが高い。
病院にも自身の経歴にも泥を塗るわけにもいかないのだろう。
「症状は、まず頭痛や吐き気。それから手足の震え。進行すると、歩行困難、内臓機能の低下、不整脈……。顔の筋肉が硬直し、言葉も出なくなります。さらに進めば言語障害、記憶障害、幻覚。そして――死にいたります」
淡々と語るが、その過程は凄惨だった。
母親を死に追いやった病気に、今度は自分が冒される。
その恐怖は僕が考えているよりもずっと大きいはずだ。
「もう半年も持たないらしいです。年を越せたら運が良いみたいです。
現時点で薬が切れると会話が出来ないほど頭が痛くなるんですよ。
そして医師の話では、近いうちに手足も悪くなるそうです」
「………」
それだけ言うと彼女はシフォンケーキを口に運び、嬉しそうに口元を緩めた。
本人にとってはこういうものなのだろうか。
「他に聞きたいことはありますか?」
僕の中にはいくつも疑問があった。
だがどれから先に聞いたら良いものか。
きっと彼女はなんてことなく答えるだろう。
問題は僕が聞いた答えに耐えることが出来るか。
だから僕は少しずらした質問をすることにした。
「君のお父さんは、どう思っているの?」
他愛もない質問だった。そのつもりだった。
妻が死んで娘も同じ病気になる父親はどう思うのだろうか。
いや、そこまでも考えていなかった。
本当はただの雑談のつもりだった。だが―――
ガタッ―――っと、彼女のフォークが皿に落ちた。
その様子に、カウンターに座っていたおじいさんがチラリとこちらを見た。
替えのカトラリーを持って来ようとしていたので、僕は身振りで大丈夫な旨を伝える。
今、部外者に立ち入られたら困る。
俯いたままの彼女。髪の隙間から覗く顔は青白い。
呼吸も浅く、速い気がする。
どういうことなのだ。僕には理解できない。
「大丈夫――」
「全く、そんなに私のお父さんのことが気になりますか」
「………」
その声色は、いつものように僕をからかうような明るいものだった。
まるで先程の反応が演技であるかのように。
だが依然として俯いたままだった。
「もしかしてお父さんに媚びを売ろうとか考えてます?
外堀を埋めて、私との禁断の愛を認めて貰おうとか考えてます?
駄目ですよ、お父さんは付き合いたければ自分を倒していけって言うタイプです」
「…なんで君と恋愛することになってるんだ。
ていうか二人きりで喫茶店にいるけど大丈夫かな?
見つかったら東京湾に沈められない?」
「大丈夫ですよ。沈めるなら博多湾の方が近いですし」
「なにも大丈夫じゃない!!」
いつもと同じように冗談を言い合う。
これでこの話は終わり。
話をはぐらかされた。
そんなものはあからさま過ぎて登場人物である僕にもわかる。
だが一体どうしろというのだ。
彼女の抱えている闇は、僕が思っているよりもずっと深く暗いようだ。
そんな内容を、小説の序盤に喫茶店でスイーツを食べながらするべきではない。
物語に伏線や見せ場があるのと同様に、現実にだって日が浅いうちに抱えられる闇に限界があるのだ。
そのあとは気まずさを払拭するように冗談を言い合いながらスイーツを食べ、夕暮れを告げるチャイムが鳴ったところでお店を出た。
「今日はありがとうございました。今後ともよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
店内からこちらを眺めている店主さんはどのように見えただろう。
部活の先輩後輩だろうか。付き合いたてのカップルだろうか。
きっと夢と希望に溢れた青春を送っているように見えているのだろう。
「それじゃあ、気をつけて帰ってね。帰宅途中であっさり死んだりしないでくれよ」
「それは困りますね。私の為にも先輩の為にも気を付けてあげますよ」
別れ道で軽く手を振ると、振り返ることなく歩を進めた。
家路につきながら、喫茶店で聞いた話を反芻する。
病気の症状のこと。母親が既に死んでいること。父親と何かがあること。
同情し憐れむべきなのに思い出すだけで胸が熱くなる。
きっと面白い小説になるだろうと。
彼女の境遇を、不幸な人生を知る度に堪らなく嬉しくなる。