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壊れたテレビとコーヒーの香り


 それから僕たちは靴に履き替え、彼女の行きつけだという喫茶店へと向かった。

 通学路を異性と二人で歩くことに緊張しながらも、誤魔化すように話題を振る。


「行きつけの喫茶店って、どの辺りにあるの?」

「駅前の商店街ですね。『タヌキ』って名前ですけど、知ってます?」

「いや初めて聞いた」

「……」

「……」


 正直なところ気まずかった。

 同性の友人となら無言で歩き続けていてもそう感じることもなかっただろう。


 それは相手も同じなのだろうか、何かを思い出したように脈絡のないことを言った。


「先輩は余命幾許もない人間と、まだまだ生きるだろう人間とで一日の価値は違うと思いますか?」


 それは漫画や小説、また思考実験の本などで何度か見かけたことがある問だった。

 質問の意図はわからないが、丁度いい時間つぶしになるだろう。

 僕は改めて自分なりの回答を考えてみることにした。


「…やっぱり一日の価値は同じなんじゃないかな?

 肉体的に長生き出来る人でも、不慮の事故で明日死ぬことも有り得るわけだし」


 ありふれた答えだと思うものの、この場では寧ろ正解と言えるのではないだろうか。

 一般人の答えであり、比較対象としては。


「君の意見が聞きたいな」


 余命の決まっている、これから死ぬ定めの人間が持つ死生観。

 僕のような一般人には考えも及ばない答えが出るのかもしれない。

 小説を書く為にも、個人的にも興味があった。


 彼女は自分にその問いが返されることを待ち望んでいたかのようで、喜々として答えた。


「そんなの同じわけがないじゃないですか」

「……」


 理由はあるのだろうけど、こうもキッパリ言い切られてしまうと―――なんだかムカっとした。


 そんな僕の心を知ってか知らずか、彼女はこう続けた。


「だって考えてみてくださいよ。もし人生が残り六十年ある人と残り一年の人なら、 残り一年の人は六十年の人の六十倍価値があるってことじゃないですか」

「確かに言いたいことはわかるよ」


 だけど違う。

 そういうことではないのだ。僕は諭すような声色で彼女に言う。


「君の言う余命一年の人と余命六十年の人の場合、生きられる時間は六十倍変わる。

 けど余命六十年の人も明日交通事故に遭うかもしれない。

 いつ死ぬかわからない人間の命の価値は、余命が長くても短くても変わらないと思うんだ」


 諭すと言っておきながら説教じみた言い方をしてしまったことに気づく。

 不快にさせてしまったかも、と思い彼女のほうをみると予想に反し彼女は嬉しそうな顔をしていた。

 この議論を楽しんでいる様子だった。


「いつ死ぬかわからないのは余命の短い人も同じじゃないですか?」

「……そうだね」


 余命の短い人もいつ死ぬかはわからない。

 事故に遭い、余命よりも早く死んでしまうかもしれない。


 だからこそ命の価値は変わらない。みんな一日一日を大切に過ごしましょう。

 僕はそんな理想論を唱えたかったのかもしれない。


 ―――だが彼女の言葉に全ての考えは飲み込まれた。


「先輩、こういう風に考えてみてください。

 A社とB社、テレビを作っている会社があります。

 A社のテレビは最低でも五年はもち、B社は不良品を作っているので半年しかもちません。

 不慮の事故でぶつけたら両方とも壊れてしまいます。

 ですが私たちは同じ値段で不良品のB社のテレビを買うことはないですよね?」

「……」


 僕は彼女の言葉に何も言うことが出来なかった。

 それは論点がずれていたからでもない、まして納得したからでもない。


 彼女の言葉は、自分の体があたかも不良品であると言っているように聞こえたからだ。


 決して僕は今まで自分の肉体が不良品だと思ったことはない。

 才能は持ち合わせていないし、他人より運動神経が良いわけでもない。

 標準より劣っている箇所は探せばいくらでもあるだろう。

 けれどもそういう風に考えたことはなかった。


 だが実際身体が人より劣っている彼女は……。

 余命の短い自分の体を、彼女は“不良品”と表現した。

 厳密には違うし、彼女も意図した発言ではなかったのだろう。

 けど僕はそう捉えてしまった。


 彼女の言葉に対し答えを用意できなかった。

 言葉の重みが違う。どれだけ取り繕った綺麗言を並べようとも、僕は傍観者にすぎない。

 当事者である彼女の、真に命の重みを知っている彼女の言葉に茶々を入れることはできない。


 僕の反応に気をよくしたのか、彼女は「論破してやった」とでも言いたげなキメ顔を向けてきて多少腹が立つ。


 だが今のこの心境がバレなかったのはせめてもの救いかもしれない。





 しばらく彼女を無視して進んでいると商店街が見えた。


「ここからすぐ近くですよ」


 彼女は馴れた足取りで賑やかな商店街の中をすいすい進んでいくと突然曲がる。

 神隠しにでもあったかと思ったが、どうやら細い路地に入ったようだ。


 知る人ぞ知る隠れた名店のようでわくわくする。


「あっ、ここです。ここのスイーツが美味しいんですよ」


 僕にはカフェと喫茶店の詳しい違いは分からないものの、ここは絶対に喫茶店の方だと断言できる外観をしていた。


 昭和を匂わすレトロなレンガ造りの壁。筆で書いたような店の看板。極めつけにドアの横に置いてあるタヌキの置物が店名をよく表している。


 内装も外観からイメージ出来るようなものだった。

 どこか古めかしい雰囲気の、昭和の時代にタイムスリップしたかのような内装をしていた。


 中は二人掛けのテーブルが二つ、奥に四人ぐらいが座れるだろうかというソファーとテーブルが置いてある。


 僕が店内を観察していると彼女は馴れた手つきでメニュー表をこちらに見せた。


「ここのオススメはマスターお手製のシフォンケーキなんですよ。

 たっぷりの卵を使ったふわっふわぁな生地。

 空気のように軽い生クリーム。こだわりの果肉たっぷり自家製ジャムは季節ごとに種類が変わるんですよ」


 彼女は力説してくれたが、僕はぜんざいのアイスクリーム載せを頼んだ。

 別にシフォンケーキが嫌いというわけではない。


 ただ僕は“あんこ”という食べ物がたまらなく好きだった。

 余談だがあんこは粒あんこそが至高だと思う。こしあんは邪道だと思っている。


 その旨を伝えると彼女は渋々自分でシフォンケーキを頼み、ドリンクはそれぞれアイスコーヒーを注文した。

 どうやら僕にシフォンケーキを頼ませてシェアしようと企んでいたらしい。中々の策士だ。


 店内を見渡した。初老の男性が一人だけ。店主なのだろう。

 丸メガネと笑顔の似合う好々爺然としたおじいさんだと思った。


 実際注文を聞きに来た際は、常連であろう彼女と楽しげに会話をし、僕にも声を掛けるなど気の良い人だった。


 おじいさんは腰でも悪いのかヨタヨタという音のしそうな様子で店の奥へと消えていく。


「今年お孫さんが小学校に入学したから、ランドセルを買ってあげたんですって」

「どんだけ仲が良いの。そのうち口座番号とか聞きださないよね?」

「これぐらいは普通ですよ。先輩のコミュ力がないだけです」


 これが世間の普通なのか、みんなそんなに店員さんと世間話するの?

 こっちなんて髪切る時に話掛けられるだけで挙動不審になるのに。


 僕はおじいさんが完全に見えなくなったことを確認して話を切り出した。


「結局のところ、君の病気ってどんなものなのさ」


 僕が知っている確かな情報は、彼女が二年と少し前に余命が三年であると宣告を受けたことと、完治することはなく確実に死ぬということだけだった。

 詳しい症状については説明されていない。


「遺伝性の脳にできる腫瘍ぐらいに思ってください」

「随分と曖昧なことを言うね」

「正確に小難しく言っても仕方ないと思いますよ」

「…それもそうか」


 重要なのは彼女が確実に死ぬ病気であること。

 何の病気で死のうが小説的にはさしたる問題ではないのかもしれない。


「遺伝ってことは、君の親族に誰か同じ病気の人がいるの?」

「はい、お母さんです」

「お母さんは今…」

「三年前に死んでいます。私が同じ病気とわかる少し前のことでした」


 彼女の微笑みは会話の内容からすれば、どこまでも異質だった。


 店内で挽かれたコーヒー豆の苦い香りが広がる。

 それは彼女の胸の奥に沈んだ何かを、わずかに匂わせるようだった。

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