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本当の願い

「…どちらさまでしょうか?」


 病室の扉を開けると、ベッドから腰を起こして座っている少女は怪訝そうな顔でこちらを見つめた。

 虚ろな目でこちらを見つめつつ、手は何かを探すように慌ただしく動かしていた。


「お部屋を間違われていませんか?

 この部屋は―――」

「……間違っていないよ」


 覚悟は決めていたはずだった。

 いつかは来るのは知っていた。それが今日だっただけのこと。


 それでもどうしようもなく胸が締め付けられた。

 最愛の人から忘れられることが、これほど辛いとは思ってもみなかった。


 だがうろたえてもいられない。

 僕なんかよりこの子の方が辛いはずだ。

 記憶を無くして訳も分からず病院のベッドの上にいるのだから。


 何よりも、彼女の両親に起きた悲劇を繰り返してはならない。

 僕がこの子の傍にいる意味はこの為なのだから。


 一度大きく深呼吸をする。

 一体どこから話すべきか。僕たちの関係のことか。

 病気のことか。余命僅かであることは話すべきなのか。僕は思わず悩んでしまう。


 言葉に悩んでいると意外なことに少女から話しかけてきた。


「もしかして―――貴方が彼氏さんですか?」

「彼氏?」


 僕たちは決してそんな関係ではない。そんな関係には決してなり得なかった。

 どれだけ願ってもそれだけはあり得ない……。


 だが一瞬だけ迷いが生じた。もしここで頷けば僕は―――

 

 その間を肯定と受け取ったのか、彼女の表情は明るくなる。

 自己嫌悪に陥った。訂正しなくては―――


「やっぱり、日記に書いてあった通りです」

「―――日記?」


 はじめその言葉の意味を正しく理解できなかった。

 だが少女の伸ばされた足の膝の位置に、広げられた大学ノートを見て理解した。

 

 見覚えがあった。彼女がエンディングノートと呼んでいたものだ。

 だが目の前の少女はそれを“日記”と呼んだのだ。


「記憶がなくなる前の私が書いたものです。

 これまでの思い出が書いてあるんです」


 きっと記憶を失うことを想定して書いておいたのだろう。

 そして少しずつ削ぎ落されていった記憶を、読み返して補完していたのだろう。

 僕が今まで気づかなかっただけで。


 そして今日、記憶の補完が追い付かない程に忘れてしまったということなのだろう。

 そこまで推理して―――違和感を覚えた。


 どうして記憶を補完しているのにも関わらず、僕を“恋人”だと勘違いしたのか。

 もし僕のことを書くならば絶対にそんな表現はしないはずだ。


 嫌な予感がした。

 そしてその予感を確かめる術を僕は知っていた。


「その日記を読ませて欲しい」


 かつて彼女は自分が許可するまで読んではいけないと言っていた。

 もしそれが今なのだとしたら――――。


「もちろんです。

 一番初めに病室に訪れた男性に読ませるように書いてありますから」

「……」


 一体どこまでこの状況を想定しているのか。

 決められたレールの上を歩いているような不快感。


 それでももし、彼女が予想しているのだとしたら、僕は順を追って進む他ない。

 本のページを捲るように、展開や伏線を見逃さないように。

 

「―――っ」


 一目見て違和感の正体を理解した。

 全てを読んで彼女のやろうとしていたことを理解した。

 

 ノートを読み終わり、悪寒はより強い物へと変わる。

 ノートに綴られた言葉を、思い出を一言一句余すことなく読み込んだ。

 何度も目を疑った。理解を拒んだ。そんなのおかしい、人のやることではないと―――。


 そして全ての彼女という人間の違和感に、今やっと気づいた。

 そうか、彼女は僕と出会った時から“人間を辞めていた”のだ。


「僕は……君の恋人だよ」


 そう……言うしかなかった。


“椿”は一瞬こそ戸惑ったものの、すぐに優しい笑みをこちらに向けた。

 どこまでも純粋で純真な心をもつ、そういう少女。


 椿は決して僕のことを疑わない。その事実に胸がざわめいた。


「大丈夫ですか?」


 椿は僕の顔を覗き込むように言った。

 病人に心配される程には僕の顔色は悪いらしい。

 自覚はあったが、これだけ色々なことがあったのだから許しては欲しい。


「ゴメン、少し気持ちの整理をさせて欲しい。お昼には必ず戻るから」


 僕はそう呟くと病室を後にした。

 目指すは彼女との思い出の一番深い喫茶店。


 日記の最後のページに書かれていた“続きはあの場所で”という文字。

 僕宛のラブレターは、脱出ゲームのヒントであり、僕は記憶の迷宮の出口を探し求めて歩みを進めた。



「いらっしゃい……」


 店主は僕の顔を見るなり黙り込んだ。

 一目見ただけでおおよそ何があったのか察しがついたのだろう。


「今日はもう店を閉めるから、ゆっくりしていきなさい」

「……」


 店主は僕を強引にイスに座らせると、僕の返事を聞くことなく店の奥へと入っていった。


 それからどれぐらい時間が空いただろうか。

 店主はお盆にオレンジジュースと白色の封筒を載せて戻ってきた。


「……君たちが最後に来店した時に預かったものだよ。

 君が一人でここに来ることがあれば渡して欲しいと。

 その時には自分は既に死んでいるだろうと言っていたよ」

「そうですか……」


 自分は既に死んでいる。

 その表現は日記を読んだ今、正確な表現であるとわかる。

 彼女は死んだ、もうこの世界には居ない。


「私は奥に居るからゆっくりしていくといいよ。

 ジュースのお代わりも頼んでいいからね」

「……ありがとうございます」


 店主は僕のことを悲劇の主人公とでも思っているのだろう。


 死んだ彼女からの別れの手紙。そこにドラマを感じているはずだ。

 きっと今まで愛してくれて……なんていうものを期待しているに違いない。


 だけど僕は違うと確信していた。僕たちはそんな関係ではないのだから。

 僕らの関係は初めから利害の上でしか成り立っていない。


 店主が奥に行ったことを確認し、僕は封筒を開けた。


『この手紙を読んでいるということは、私は既に死んでしまっているんですね。

 そして代わりに記憶喪失のあの子に会い、ノートを読み終えたのでしょうね。


 読んで貰ったらわかる通り、あれは日記なんかではありません。

 あのノートに書かれていることは全てフィクションです。

 現実を捻じ曲げて、自分の都合の良いことだけを書いた言わば小説です』


 エンディングノートに書かれた内容は、

 一人の少女が不治の病に掛かりそれでも懸命に生きていく話だった。


 父親は彼女の病を治す為に海外まで出向いた。

 母親は最愛の夫に優しく看取られながら亡くなった。

 そして最愛の恋人が死ぬ瞬間まで真実の愛を囁き続ける。


 現実とはまるで違う、嘘っぱちの内容だった。


 椿はあの日記について疑問はないのだろうか。いや、あるはずがない。

 疑問を抱くということは、自分自身の記憶を疑うのと同じことだ。


 もし日記の内容を疑えば―――待っているのは彼女が絶望したあの辛い現実だ。

 

 辛い現実を教えるよりも、優しい夢を見させてあげる。

 死ぬ間際に残酷な真実を無理に教える必要はない。


 それこそが彼女の―――真の目的だった。


『先輩に一死に一度のお願いです。

 どうかあの子を幸せな夢の中で死なせてあげてください。

 悲劇のヒロインとして、その人生をハッピーエンドで終わらせてあげてください。


 あの日記に書かれていることは希望です。

 何も知らないあの子なら、日記に書かれた嘘偽りの世界を信じることが出来ます。

 父親との関係も、母親の死も、先輩との出会いも知りません。

 すべてが小説のように皆に愛されていると思い込むことが出来ます。


 どうか少しの間だけあの子の偽りの彼氏でいてください。

 最後まで決して見捨てず愛を囁き続けられる恋人を演じてください。

 私の代わりにあの子のことを愛してあげてください。


 それが私の本当の願いです。私が今の今まで生きてきた意味です。

 あの子を先輩の小説のヒロインにしてください。


 どうか私の分まであの子を愛してください。大好きな先輩。さようなら』


「…」


 読み終わった時には手紙は涙で滲み、シワがついていた。


 僕は愚か者だ。本当に愚か者だ。

 彼女は病気の苦悩があっても、それでも人生を楽しんでいるのだと思ってた。

 悔いが残らないように懸命に生きているのだと思っていた。


 だが彼女はとっくの昔に人間として生きることを諦めていた。

 自分の人生を捏造することを考えついたのだ。


 あらゆる不幸を寄せ集めたような人生を―――。

 自分自身がすべてを忘れる瞬間を―――。

 死ぬ間際の一時を幸せにする為だけに、残りの人生全てを注いだ。


 彼女は全てを犠牲にしてまで未来に希望を託した。


 始めから最後まで彼女の言う通りだった。

 小説の中にいるような悲劇のヒロインになろうとしていた。


 ただそのヒロインは彼女ではなく、記憶を失ったあとの“椿”だった。


 彼女にとって僕は、この瞬間あの子の傍にいる恋人という配役に選ばれただけに過ぎない。


 だから彼女は僕という人間を探していたのだろう。

 僕が小説を書くことを辞めようと提案したときあれほど動揺したのだろう。


 小説を書かなければ、僕がこの配役を降りると思ったから。

 僕らは利害の上でしか関係を維持できないのだから。

 

 涙を拭き、手紙を丁寧に折りたたみ封筒にしまう。

 覚悟は決まっていた。


 前に進むしかないのだろう。

 彼女の意志を繋ぐために。


 この小説は必ずハッピーエンドで終わる。いや必ず終わらせてみせる。

 彼女の死を無駄にしない為に。彼女と同じ姿をした少女を救うために。


 愛することの許されなかった僕らはたった今から本物の恋人になる。

 交わることのなかった運命が、形を変えて交わった。

 

 書き直すことでしか結ばれることのなかった僕らの関係が―――いま書き直された。

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