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余命少女と出来損ないの小説家見習い

それは遅めの梅雨が明けた日のことだった。


下駄箱を開けた瞬間、一枚の白い便箋がひらりと落ちた。

赤いシールで封がされたそれには、宛名も差出人もない。


開けた下駄箱の名札を確認する。

間違いなく僕の名前だ。


……まさか、ラブレター? 

いや、そんなはずはない。だけどもしかしたら……。


僕は疑念半分、期待半分の気持ちで人目を避けて便箋を開いた。

ドキドキしていた。こんな体験は初めてなのだから。


折りたたまれた手紙を広げ、目に飛び込んできた文字は―――


『小説家になりませんか?』


大きく書かれたその文字に、呼吸が詰まった。

その一文は、今まで僕が書いてきたどんな文章よりも心を揺さぶった。


どうして、なぜ“それ”を知っている?


僕は小説を執筆していることを隠していた。

両親にも友人にも隠し、自作のアイディアノートだって見せたことは無かった。


「……あの時かもしれない」


先日、移動教室に鞄を忘れたことがあった。

もしかしたら、その時に誰かが――。


隠していた事実を暴かれたことに対する不安や恐怖はあった。

だが同時に―――妙な高揚感があった。


差出人は誰なのか。何の目的があるのか。

嫌な予感はする。それでも――


僕は、その日の放課後、指定された教室へ向かうことを決めた。

この時から僕は既に狂ってしまったのかもしれない。

その出会いが、僕の人生を壊すことになるとは、この時まだ知らなかった。


彼女―――人として生きていけない少女の生き方に。



嫌な予感と、抑えきれない好奇心が胸の中でせめぎ合うまま、放課後を迎えた。

このまま帰れば、何事もなかったはずだ。

それでも僕の足は、ゆっくりと、しかし確実に集合場所へ向かっていた。


集合場所である教室に辿り着くと、ドアの小窓から中を覗いた。

教卓に腰を掛ける女子生徒が1人。顔に見覚えは無い。

だがスリッパの色から1年生だとわかる。


大きく深呼吸をし、覚悟を決めたあと扉を開けた。

「こんにちは。君がこの手紙を書いたのかな?」


紙切れを見せながら女子生徒へ訊ねた。

平静を装っているが心臓は未だうるさく、既にここに来たことを後悔し始めていた。


彼女はコクリと頷き、聞き返した。

「貴方が○○(本名)先輩ですか?」っと、僕のフルネームを言った。

おそらく鞄の教科書で名前を知ったのだろう。それが僕の問の答えにもなった。 


改めて彼女の顔をじっと見る。

比較的に整った顔立ちに肩まで伸びた髪の毛は先端をゴムでまとめられている。

馬の尻尾というよりも、タヌキの尻尾に近く思えた。


身長は同年代の女子と比べて小さめだろうか。

無茶なダイエットでもしているのか、男性の僕から見たら痩せ過ぎだと思えるほどに身体は細く思えた。


「すみません、勝手に鞄の中身を見てしまい…」

「もしかして鞄を届けようとしてくれた?」

「…はい」


彼女は申し訳なさそうに小さく呟いた。

何となくは想像がついていた。


誰も居ない教室にポツリと鞄が残されていたら、誰だって心配になるものだろう。偶々名前を調べようと思って手に取ったのがあのノートであり、見たらまずいものを見たからそのまま置き去りにしたのだろう。


見られた側の僕でも、彼女の行いのほうが正しいと思える。


「元はと言えば僕が鞄を忘れて帰ったのが悪いんだから、気にしないで」


そう、だから普通はこれで話は終わり。

見られたくないものを見られ、そのことを謝られた。

彼女は悪くないので受け入れた。


それで終わりなのだ―――本来ならば。


「それであの手紙は何だったの?」


小説家になりませんか?


小説投稿サイト名にでもありそうな一文の書かれた手紙。

直接の謝罪をしたいのならば意味のない文章。

そもそも手紙なんて送られなければ、僕は見られたことにすら気づかなかったのに。


「先輩は『○○○○』という小説を知っていますか?」


脈絡の無い質問に困惑した。


その小説は不治の病に冒され少女と少年の恋を描いた有名な作品だった。

僕も読んだことがある。


世間話のつもりなのだろうか。

小説を書いている僕に、小説繋がりで話題を振ったのだろうか。

世間話をしたいなら天気の話をするよりかはずっと良いだろう。


「読んだことあるよ。とても面白い小説だよね」

「そうですか」


なぜだか彼女は少し不服そうに答えた。

やはり意図が読めない。


そんな僕の反応を読み取ってか彼女は言葉を続ける。


「先輩の小説のネタ帳を読みました」

「そうだよね……。どうだった?面白かった?」


胃が締め付けられるほど緊張していたが、あえておどけてみせた。


本来他人に見せるつもりのないプライベートゾーン。

ベッドの下を母親に確認されるのと同じぐらい緊張感がある。


賞賛の期待と批判への恐怖。

全く異なる気持ちを持ちながら、それらを表に出さないよう必死に平静を装った。


「設定は…とても良くて、いくつも続きを読みたいものもありました。

 ただ盗み見た私が言うのも躊躇われますが―――登場人物の感情が見えませんでした」


彼女のあからさまな嘘と、的を射た指摘に、自分の才能の無さを自覚させられた。


自分が才能溢れる小説家であると思っていたかった。

小説を書き終わりさえすれば、そこらの小説よりも名作になると信じたかった。

だからこそ僕の小説は決して書き終わることはなかった。


いくつもの小説を結末を迎えることなく終わらせた。

いくつものアイディアを書き出すことなく宝物のように仕舞いこんだ。


書き終えてしまえば、自分の実力を思い知らされるから。

駄作である言い訳が欲しかった。


だけど赤の他人に、まして見ず知らずの後輩に真っ当な意見を言われれば、否応なしに自覚してしまう。自分には才能が無い。


「わかった。ありがとう。今後の創作の参考にさせて貰うよ」


この場を立ち去ろうとした。

これ以上の問答をすれば僕の精神が持たない。


彼女の真意が気になる。

だが僕の心は彼女の言葉を聞いていられる程強くはなかった。

どうして来てしまったのか、自分の判断を呪いながら振り返ろうとした。


だが彼女が許してくれない。

続け様に放った言葉は僕の足を止めるには十分だった。


「なので先輩、私を題材にして小説を書いてみませんか?」

「?」


あまりに突拍子もなく的外れな発言に思わず振り返った。


そんな僕の気持ちを他所に、彼女は先ほどまで腰を掛けていた教卓から立ち上がると、教室の中をぐるりぐるりと歩き始めた。


「先輩の小説の悪い所は、登場人物の感情にリアリティがなくて読者が共感しづらいんです。

 ですから現実にいる私を題材にすればリアリティが出ると思うんです。

 どうですか?名案とは思いませんか?」

 

先ほどまでと比べて一段明るい声色で、彼女は教室を歩き回った。

教室で友達と世間話をするように、とてもリラックスした様子で。


彼女の様子に呆気にとられつつも、僕は彼女の言葉に不満気に事実で返した。


「僕も一応小説を書いている身だからわかるけど、ただの女子高生の日常を書いても面白くないよ。

 日常には起承転結も山場もないんだからさ。

 読者はただの少女を魅力的には感じない。読者が望むのはもっと不幸な―――」


僕がそう言いかけたところで、彼女は不敵な笑みを浮かべた。


「これからお伝えすることは他言無用でお願いしますね」


彼女は持っていた鞄から一枚のクリアファイルを取り出す。

ジッパー付きで不意に中身が落ちることのないタイプ。

表面にはモザイクが掛けられ、外目からは見ることが出来ない。


ファイルの中から一枚の厚紙を取り出し僕に手渡した。


「……診断書?」

「厳密には違いますが、医者が書いた本物で間違いはありませんよ」


厚紙には病院名と彼女の本名、そして医師の印鑑が押されていた。

知識のない僕でも、本物らしいと直感する。


見たことも聞いたこともない病名。

ただ漢字の羅列から、脳に関わる病気だと推測できた。


備考欄にはこうあった。

『現状の症状および病態の進行速度を踏まえると、初発から三年以内に予後不良となる可能性が高い』


嫌な予感がする。聞いてはいけない――そんな直感が頭をよぎる。

これ以上足を踏み込むべきじゃない。

口にしてしまえば、もう後戻りできない気がした。

それでも。


「この“予後不良”ってのは――」


彼女は一拍置いて、わざと軽い口調で言った。


「有り体に言ってしまえば、余命ってヤツですね」


彼女は笑みを零しながらあっさり答えた。

一瞬、演技がと思った。取り繕っているだけなのかと。

だが違う―――この笑みは本物だ。


どうしてそんな風に笑えるんだ。


僕は無言で、再び厚紙に視線を落とす。

発行日から逆算すると――残りは半年もない。


「それで先輩、どうですか? 面白い小説になると思いませんか?」


彼女は嬉しそうに尋ねた。

世間とはズレた彼女の価値観に、背筋を冷たいものが走った。


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