捜神記 pt.2
眠れない夜の幽霊のお話
眠ると言う行為が非常に難しいことが多かった。プルウストのように、詩情が結んで消える心地の良い不眠に変じることのない不眠を幼少から患っていた。常にそれは電気が散るように私を苛立たせ、また恐慌のようなものを点滅する髄液に躍らせ、目を閉じているという行為も出来ぬ程長い間、私は眠れないことがあった。
そのような時に、私は幽霊を見ることがあった。部屋に黒い影が突っ立っているのである。暗い部屋によく見られる見間違いではないし、疲れから来る幻でも無いと思う。服などは見間違えることが多いが、その幽霊はいくら見つめても服には見えない。そこから煙が立っているのかと思うほど、何かにつけてゆらゆら揺れているし、私と同じような退屈に、ただ体を揺らしているようなのである。
幽霊が不眠になることがあるのか知れないし、幽霊は元来人間に害を為そうとするものである。しかし、中国では幽霊のことを鬼と呼ぶそうだし、その中には貧弱で卑屈、弱々しく人間に媚びる哀れな鬼も居ると言う。昔漢文の授業で先生がそう言っていた気がした。そう思うと、この鍵穴みたいな外形の幽霊が、不眠の退屈まぎれに私を訪ねてきていると思い込むことには、存外証拠が無いとも言えない。それから眠られぬ夜は少しの楽しみになった。朝早くに起きねばならなかったから、やはり眠れる時は眠るのだが。
せっかく大陸からはるばる来てくれたのかもしれないのだから、何か供えておいてやろうと思った。近所のスーパー・マーケットに売っていた焼鮭を、小皿に入れてある夜置いておいた。丁度足が向いている角の方に幽霊はいつもやってきていたので、その辺りに。朝に供えておいたのだが、その夜は珍しく疲れていて、寝台に入ってすぐに眠ってしまったから、食べるのを観察することが出来なかった。翌朝目が覚めると、小皿から鮭は綺麗に無くなっていた。喜んでくれただろうかと考えつつ、今度は幽霊が飯を食うところを見てみたかった。別の日に見られることもあったのだが、思っていたよりも地味だった。飯の上に幽霊が覆いかぶさり、しばらくして皿を体の外へ出すと、もう食べ物が無くなっているのだった。
ある夜、いつもの足元の角に幽霊がいなかった。その日は不眠の日だったから、つまらぬ気持ちで仕方なしに横になって眠ろうとすると、風が妙に忙しく窓を打ち付けていて、眠ることが出来なかった。あまりにうるさいので、無意味だが外を確認しようと目を開けると、目の前がまだ暗かった。心臓が握り潰されるような恐慌が私を襲うと、金縛りのように動けなかった。目をそらせぬ中でもよく見れば、私の顔を覗き込むようにして、幽霊がそこにいた。新しい恐怖が金縛りを上回ったか、私が「やめろ!」と叫ぶと、幽霊の方も驚いたのか、その体を起こした。そして、霧が晴れるようにして消えてしまった。
その日以来、幽霊は全く見られなくなった。私は仕方なしに、睡眠薬を処方してもらうことにした。