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Fairy Tale

妖精のお話

 近所の知り合いの子に、妖精を捕まえたと喚く子がいた。まだ四月だというのに二十度を超える暑さの、鬱屈とした乾燥に包まれた日の事だったと思う。私は書き物をしていて、窓の外に「妖精を捕まえた」と騒ぐ子が、二三の友を連れて走り回っているのが聞こえていた。子供に特有だと信じられている純粋から来る幻視の気まぐれだろうと思い、私は作業と休息を反復していた。

 厭世的な物思いの佳境に差し掛かっても、子供たちはまだ騒いでいて、音から察するに、そこら中の家々を訪ねては妖精とやらを見せびらかしているようだった。大方綺麗な蝶でも見つけて嬉しいのだろうが、それにしてもその程度の者で皆に見せびらかすとは、子供の純朴は時として苛立たせる程暖かい。

 次は私の家に来るだろう。果たして彼らは呼び鈴を何度も押し、長椅子にだらけ切っていた私の肉体を急かした。玄関先には四人の子がいて、先頭の一人が両手を突き出して握りしめていた。蝶を握っているにしては力を込めすぎだし、粉々になりそうな程強く握っていた。「何か捕まえたかね」と私が言うと、子供らは順番もわきまえず、一斉に妖精が、妖精が、と言い出した。「見せてごらんなさい」と言うと、握りしめていた子供がパッと掌を明ける。

 掌には緑色に光り輝く百足のようなものが転がっていた。それは熱帯夜にさざめく蛍のような緑色だった。体の側面に触手のようなものが蠢き、また両端に頭のような瘤があったが、どちらにも目が認められなかった。それは幼子の拳で窒息していたのか、体全体をうねらせていたが、生き延びようとのたうち回る普通の虫に比べれば、随分緩慢な動きだったので、それがより不気味さを駆り立てた。「これが妖精か」と私が言うと、子供は嬉しそうに頷いた。「どこで捕まえた?」と聞くと、側溝にへばりついていたという。体が粘性で滑りやすいので、強く握っていたのだそうだ。

 妖精と聞いて、人型に羽の生えた姿を期待していたわけでは無いし、私の知らない何かの幼虫だろうと思ったが、たいそう気色の悪い虫がいたものだった。こんな虫が自然に発生すると思うと、自然淘汰なるものの審美眼の無さを嘆きたくなる。だがこれを飼いたいと子供らが言い出すから、落ち着かせるために、取り敢えず彼らを家に入れ、菓子とお茶、物置に余っていた虫かごを出してやった。これの餌など見当がつかなかったが、虫用のゼリーでも与えてやればよかろうと教えた。

 しかし四人いた子供の全員がこれを飼いたいと言い出し、危うく喧嘩になりそうな程言い争った。何とか収めて、じゃんけんをさせ、ある女子の家に置くことに決まった。皆が会いやすいように庭先にでもかごを置いておくことにした。

 それで子供らが帰って、私も特段覚えておくことも無く日を過ごしたのだが、一週間程経った後、件の女子が泣き叫びながら私の家の呼び鈴を押した。急いで出てみれば、例の妖精が死んだと言う。手に乗せられた妖精は、それでも緑の発光を止めずに、ぐったりとして、ぴくりとも動かなかった。子供は矢鱈触りたがるから、それで弱って死んだのだろう。取り敢えず女子を慰め、墓を作ってやることを約束した。ここで私は奇妙な好奇心が湧き、その妖精の遺体を自分で取っておくことにした。墓だけを立てて、子供らの方は満足し、思い出は南風と共に押し流され、忘れられたようだった。

 私は取っておいた妖精を、新しい水槽の中に入れて、日光の当たる窓辺に置いておいた。特に何か理由があった訳ではないが、私がいつでも見れるようにそうした。虫の死体でしかなかったが、寝ようと思って消灯しても、不気味に緑色に光っているのが面白かった。そして更に数日観察していると、それの周囲に細かい糸が纏わりついているのが見えた。さては繭でも作るために仮死状態にでもなったか、と思ったが、あの子供らに知らせることはしなかった。私の期待は正しく、それは日ごとに糸をどこからか出して、体を覆っていった。五日も経てば、完全にそれは楕円の繭を作り切ってしまった。それでもそれは緑色に発光していた。繭の状態があるならば、羽化が来るはずだ。どれほど奇怪な虫が飛び出すのか、私は半ば楽しみに、水槽の蓋を閉じて、逃げられないようにしておいた。それからは毎朝と毎晩、水槽を眺めるのが日課になった。

 しかしある朝、いつものように水槽を確認しようと起き出して窓辺に行くと、蓋が外れて床に落ちていた。いぶかしんで水槽をよく見れば、繭が割れて、水槽の縁に何かが座っている。私はとっさに足音をひそめ、そっとカメラを持ってきた。それで録画しつつ、ズームして子細を確かめようとした。見間違えようの無い人型に、カゲロウのような羽、そして緑の発光。全身やはり緑だったが、色味には違いが見え、薄い緑の地に、体中に濃い緑の線が葉脈のように走っていた。私はすっかり驚嘆して、同時に再び幼虫の時代を見た時のような気色悪さを覚えた。それが人型をしていることがより一層のグロテスクさを掻き立てていたし、それがあまりに精巧に人型であるのが、許し難い程気味悪かった。

 しかし怖いもの見たさというのはあるもので、どうにか気づかれずに蓋を戻せないだろうかとそっと近づいて行った。しかし先ほどから微動だにしていなかった妖精は、私が近づくと、急激にその翅を振るわせ、蠅が立てる不快な音を奏で始めた。私はそれに驚いて蓋を取りそこなって、床に落としてしまった。妖精は一瞬こちらに顔を向けると、その後驚くべき速度でこちらに向かってきて、消えてしまった。二階の方へ行ったので追いかけてみると、寝室の窓がわずかに開けられていた。そこから逃げられたようだった。

 しかしそれよりも気にかかるのは、あの妖精がこちらに見せた顔のことだ。それはあの時妖精の幼虫を置いておくのを決めた、あの女子と同じ顔をしていた。それもまた緑一色だったが、それでも気付けるほど同じ顔をしていた。私は何となく不安になって、その女子の家を訪ねに行った。しかしいつもと何も変わることなく健やかに生きていた。それに安堵して、家に帰って、埃を被っていた虫の図鑑を引っ張りだして、眺めてみた。そしてある事に思い至った。多分、「擬態」だろうと。

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