檸檬から檸檬へ
音楽的な水の精のお話
そういえば、音がやけに少ないことに気付いた。自動車がゴム製の足をアスファルトに削り取らせる音、今私の後ろで起き出したエア・コンディショナー、今まさに相応しい言葉を探して虫の甲殻のような拍子を生み出しているキーボード、私が吐く溜息。世界に音が少ない。雨の音も聞こえなくなっていた。雨。私が上京する前、実家で聞いていた雨の音は、どうしてかここで聞くより魅力的なように思えた。悩む魂を膝に抱えて夜中にすすり泣いていた時、どこからともなく雨雲はやってきて、すぐに溶けて消える粗雑な優しさの水溶液を窓に行進させたものだった。ぽつぽつ、ぽつぽつと、水は窓の上を行進する。軍楽のように規律が整っているが、時々転んだのか調子を乱す奴もいる。水の精はカーテンをそっと開けて除いた時も、変わらず行進していたものだが、彼らはどこへ行ってしまったのだろうか。私が東京でうなだれている時も、雨は変わらず降った。だが水の精はおらず、代わりに靄が音楽を包み込み、今度はもっとけばけばしい優しさでもって、精霊たちを絞殺していた。だからこんなに憂鬱なのだ。
本当に私の考え通りか、水の精は故郷に特有なものか、久々に実家に帰って確かめることにした。あまり心躍らない親族たちとの会話を避けて、私は古い自分の部屋に閉じこもり、雨を待ち続けた。しかし時期が良くなかった。春だった。大洋の愛を受けて、空気の運動が滞っている。私はこの気怠い世紀の始まりとは違った眠気に毒されて、すっかり眠ってしまい、数時間以上も観察を怠っていた。起き出して窓から地面を見てみると、どうやら水の精も眠ってしまっていたらしく、代わりにとても乱暴な風が窓を揺らしていた。一番乗りを狙う春共が、我先にと窓を踏みしめて、むしろこちらの方が軍靴らしく、怒号を地に産んで飛び去って行く。春の精は粗暴でいけない。
春の精と水の精も、そんなに急いでどこに向かっているのだろうか。私は窓を開けて、春風を待ち伏せしてみた。だが彼らは非常に素早く、また予兆も無くそこら中を走るので、来たかもしれないと思うともう掴むことが出来ず、≪到着≫してしまっているのだ。私は捕まえられないのに落胆して窓を閉めた。ゆっくり観察できるようにと春の長雨を期待しても、中々雨が降らない。その間私は音楽の不足をどうすることも出来ないので、ひたすらに読書をするか、残酷な四月に眠るかのどちらかだった。
だが一週間も待つと、遂に雨が降り始めた。私はよく聞いてみたのだが、期待とは外れて、どうにも調子を外しているように思えた。東京で聞いたのと同じ靄がかかっている。清涼な空に余韻を振りまくような音の連続が、破裂が感じられなかった。病気にかかったような、溶けかけの苔のような連なりだった。私は不思議に思いながら窓を開けて、水を体に浴びながら、取り敢えずこう言ってみた。「おい、前に聞いた時よりも随分聞き苦しいぞ。どうしたんだ」
「指揮者がいないんです」と聞こえた気がした。私は残念に思って、指揮者はいつ帰ってくる?」と言った。「分かりません、誰も興味が無いので」と雲が言った。「じゃあ彼らはどうして歩いているんだ。どこに向かっているんだ」と私が聞くと、「登ってるんです、僕らはずっと登ってるんです」と聞こえた。
嵐でも起きない限り、この精霊たちが私の心を動かすことは無いだろう。何しろこれだけ小さいのだから。しかし指揮者がいなくても彼らはとりあえず歩いているし、人間の耳を喜ばせる義務など、考えてみれば彼らには無い。彼らが着いた先で、存分に雨粒色の軍楽が鳴っていると良い。
実家にいる間に、東京で雪が降ったらしい。見れなかった。