婚約者は言った、お前を愛することはないと
難しく考えずお読みいただけると幸いです。
「お前を愛することはないっ!」
ユウトはびしっと指をさしてそんなことを宣った。
ユウトは有力財閥の社長の長男であり、私アイリの婚約者だ。結婚まであと半年、関係者との調整も行い、式の準備も進めている段階だった。そんな中での物騒なこの発言である。
「えっと・・・?」
私が目を丸くしているとユウトは続けた。
「このやり場のない憤り。筆舌に尽くしがたい」
ユウトは背も高く、顔も整っている。彼が優しくほほえんで甘いテノールで囁けば十人中九人の女性が落ちるのではなかろうか。そんな美丈夫な彼はその怒った表情もまた絵になるのである。言ってることは無茶苦茶なのに、この残念イケメンめ。
「創作でしか言わないようなこの台詞は今この場にこそふさわしい!」
なかなかお怒りのご様子である。ならばまずは聞き届けるのが私の役目だろう。
「ではもう一度、思う存分どうぞ」
お膳立てしてやって、私は彼の話を聞く体勢に入った。その様子を見て満足したのかユウトはすぅと息を吸ってはぁと吐いた。そして叫んだ。
「お前を愛することはないっ! いいや! お前は誰からも愛されないっ!!」
再びユウトはずびしっと指を突きつけたのだった。そして突きつけられた指の先には私・・・ではなく、ドラッグストアのセルフレジが鎮座していた。
セルフレジは当然なにも答えなかった。ユウトに愛されない宣言をされてしまったセルフレジの代わりに私は答えたのであった。
「理由を伺っても?」
「アイリを戸惑わせてしまったみたいだから説明しよう。そもそもセルフレジは操作が簡単な方がいい」
そうだね、と私は頷いた。セルフレジを導入する店は増えたのだが、操作で戸惑うことは多い。それゆえついつい有人レジに並んでしまうこともある。
「最良は商品を読み取り、支払い。この2段階で終わるものだ」
「それ、なかなかないよね?」
思い浮かぶのはとある大手電鉄系のコンビニくらいしかない。お茶のペットボトルを持っていき、読み取らせ、ICカードで払うだけ。とても簡単で使いやすい。セルフレジ草創期からあるもので、当時は時代が進んだものだと感心した。
「支払い方法が多すぎるからね。そう考えると現実的な落とし所は商品読み取り、支払い方法選択、支払いの3段階だ。これでも十分使いやすいだろう」
「そうだね」
ただ、これもあまり思い浮かばない。大手コンビニのセミセルフレジ位か。
「だがこいつはどうだ」
ユウトが「お前を愛することはない!」と言い放ったセルフレジを忌々しそうに見つめる。そんな親の敵を見るみたいな顔しなくても。
「そのセルフレジがなんかしたの?」
私がそう言うとユウトは憎々しげにセルフレジを睨み付けた。
「こいつはとんでもない欠陥品だ」
そしてユウトは件のセルフレジの画面を私に見せた。
画面には「日本語」「英語」「中国語」「韓国語」とある。
「ああ、なるほど四カ国語対応」
仕方ないよね。私は日本語のアイコンをタッチする。ところが画面が次に進む様子はない。
「あれ、壊れてるの?」
「これね、ここを押さなければならないんだ」
そう言ってユウトがタッチしたのは大きな言語アイコンの下に配置されている「開始」ボタン。えぇ、なんかわかりづらい。
画面が変わってセルフレジの合成音声は言った。
『○○ドラッグストアポイントカードまたはアプリを登録してください』
「・・・まず商品のバーコード読み取りじゃないの?」
「違うんだよな、こいつ」
ユウトは嫌そうな表情を隠す様子もない。
「しかもこれの場合、『なし』のボタンが小さい上に端っこに目立たないように配置されているんだ。初回だとすぐには見つからないから探す羽目になる」
あるある。こうやってポイントカード・アプリを登録しないと損したように思わせるのよね。
ユウトは『なし』のボタンを押す。
すると画面が変わり、セルフレジの合成音声はこう言った。
『ポイントカードはお持ちですか?』
「またポイント??」
今度は別の、大手オンラインマーケットや某レンタルビデオショップ、携帯キャリアのポイントを登録する画面になる。しかも登録できるポイントが複数あるために選択肢が多く、画面がごちゃごちゃして、お世辞にもわかりやすいとはいいがたい。
「そう、またポイント。一難ポイント去ってまた一難ポイント。こいつをレジって言っていいのか疑問に思わない?」
ユウトはセルフレジをコツコツと小突く。
「そうね・・・」
最近やたらとポイントカード・アプリの提示を要求してくる店があるが、ここもそうなのだろう。せっせとポイントを貯めるタイプの人には楽しいものなのかもしれないが、あいにく私は面倒くささが先に立つタイプだった。かといって成り行きで入れる羽目になったとはいえ、ポイントアプリを持ってるのに提示しないのも妙に損した気分になるので面倒だと思いながらも渋々提示していた。
「ここにあるのは提示する手間ばかり多くてろくにたまらない泡沫クソポイントばかりだ」
ユウトも私と同じ考えのようだ。ほんとそれな、と心の中で激しく頷いた。嫌々提示しているポイントはろくに貯まらず使い物にならなかった。
「よく創作の横暴な王子が『お前のためにしてやっているんだ。ありがたいと思え!!』って言うじゃない?」
「うん? 横暴な王子??」
突然の単語に私はくびをこてんとかしげた。婚約者を大事にしない系の王子かしら? それとレジに何の関係が?
「実際にそんな台詞を言う機会なんてないはずなんだけどさ。この泡沫クソポイントを提示させる奴ら、運営している奴らには言ってやりたいんだよ」
ユウトは思った以上にお冠のようだった。
「お前らのくだらないポイントごっことマーケットリサーチに協力してやってるんだ! ありがたいと思え!!」
ずぎゃぁぁぁん! と効果音が鳴り響きそうな勢いでユウトはセルフレジに三度指を突きつけたのだった。
『ポイントカードはお持ちですか?』
セルフレジの合成音声がむなしく響いた。
「ったく、ほんとにこの手のしつこくポイント提示を迫ってくるやつは嫌いだ。これはセルフレジじゃなくてポイント登録機とでも呼ぶべきだ」
ぶつぶつ言いながらユウトはセルフレジの操作を再開する。選ぶのは「ポイントなし」のアイコンなのだが、これも端に小さく配置されていて、初見ではわかりづらい。ユウトが「ポイントなし」のアイコンをタッチするとまた画面が変わった。
『レジ袋を選択してください』
「えぇ・・・」
レジ袋のバーコードを読んだら自動で加算してくれるんじゃないんだ。
「これ、いつになったら会計を始めるのかしら?」
「操作が多すぎて嫌になるよな」
ユウトがはぁとため息をつく。
「でもここまで進めたんだし、先に行きましょう? レジ袋は2番目に大きいMサイズでいいよね?」
レジの画面には「レジ袋S (3円)」「レジ袋M (5円)」「レジ袋L (10円)」「なし」の4つのボタンが並んでいる。私は「レジ袋M (5円)」のボタンを押そうとした。しかしユウトにそっと阻まれる。
「アイリ、よく見てごらん。レジ袋はどこにあるかな?」
「どこって?」
ん? んんん?
レジ袋らしきものが見つからない。
「ないんだよね」
ハハハと乾いた声でユウトが笑う。いやこれ駄目だろう。
「次に行ってみようか」
ユウトは「なし」のボタンを押すと、画面が変わり、またセルフレジの合成音声が流れた。
『商品のバーコードを読み取ってください』
やっとこの画面である。ここに来るまでがずいぶんと長い。
「あまり使いやすいセルフレジじゃないね」
私がそんな感想を漏らすと
「そうだろう。ここまで来るのに4段階も手順を踏んでいる」
そう言いながらユウトが商品のバーコードを読み取らせていった。
緑茶600ml 98円
紅茶500ml 98円
清涼飲料水500ml 103円
そして頭痛薬を読み取らせたときだった。
『ピピッ!エラー。この商品はお取り扱いできません』
あれ、エラー? 読み取りに失敗したのかな。
私が首をかしげていると、ユウトがもう1度頭痛薬のバーコードをレジに読み取らせた。
『ピピッ!エラー。この商品はお取り扱いできません』
先ほどと同じ内容の合成音声が流れる。
何が起きてるのかわからない。頭に疑問符を浮かべている私にユウトがその答えを教えてくれた。
「このセルフレジではね、医薬品は取り扱いできないんだ」
「なんだって!?」
ドラッグストアのセルフレジで医薬品を取り扱いできないってどういうことよ?
「たぶん、医薬品は有資格者の立ち会いの元販売せよというような決まりのためだと思うんだけど」
「でも、このレジそんなことどこにも書いていないじゃない!」
「書いてあるんだよ、ここに」
ユウトに指さされた箇所を見る。
商品を置く台にセルフレジの使用方法が書かれた紙が貼られている。そしてその隅っこに小さくその文字はあった。
『医薬品はお取り扱いできません。有人レジをご利用ください』
「わかるかこんなん!!」
つい激しく突っ込んでしまう。
「商品を置いたらこんな文字隠れちゃうじゃない!」
「それな」
ユウトがニヤニヤしてるのが余計に憎らしい。なんだこのやり場のない怒りは。ああ、だからか。
「だからお前を愛することはない?」
「そそ。こんなレジは誰にも愛されないからとっとと産業廃棄物として処分すべきだ」
ユウトはお茶と清涼飲料水の分だけ会計を済ませると、頭痛薬を元あった棚に戻した。
「他のセルフレジの棚に無造作に置いてある医薬品、あれって」
「僕らみたいにエラーが出たから会計をあきらめて放置したんだろうね。流石にあれらまで戻す義理はないから放置しておこうか」
そうね。
このドラッグストアにはセルフレジが4台もあるのに全く使われていなかった。有人レジには行列ができており、それを嫌って私とユウトはセルフレジを使用することにしたのだが・・・それがこの有様である。
有人レジを見ると相変わらず行列ができていて店員が1人で応対している。「レジお願いします」という店内放送もむなしく誰もヘルプに入らない。客はもたもたとスマホを操作しておりおそらくはポイントアプリの画面を表示しているのだろう。店員がスマホを読み取ると、客は再びもたもたとスマホを操作し出す。
こんな時間がかかるならポイントアプリなんかやめてしまえばいいのに、と毎度思うのだが、きっと世間一般ではお店もお客もポイントが大好きなのが普通なんだろう、と無理矢理自分を納得させる。
それにしてももやもやが残る。そもそもユウトよ、あれだけ怒っていたはずなのに今はなんだかご機嫌じゃないか。納得がいかずむぅとむくれた顔をユウトに向けてやる。
「ははは、むくれた顔も可愛いな」
頬をつつかれてしまった。
「アイリに話したらあれだけ憤慨していたのがどこかにいっちゃってさ」
「わたしはもやもやするんだけどー!」
ぷんすこ! と拳を振り回して抗議の意志を身体全体で示す。
「なら、甘いものでも食べに行こうか」
はい! ついて行きます!
甘いものを食べられるなら私はご機嫌なのだ。こら、チョロいって言うな。
「アイリは甘いものを食べてるときが一番幸せそうだな」
ユウトの生暖かい笑顔に思うところはあるが、実際甘いものを食べているときは幸せなのだから仕方がない。ケーキには罪はない。
「あのドラッグストア、近々つぶれるよ」
いきなり穏やかでないな。
「うちの財閥に提携を申し込んできたんだけどね、あまり利益がないから蹴っちゃったんだよね」
それって私が聞いて大丈夫なの?
「そこは大丈夫だよ。もう公開済みの情報だから」
それなら安心だが。
「あんな使いものにならないセルフレジを入れるような店は潰れて当然だよね?」
そういうとユウトはとても良い笑顔を浮かべるのであった。
数ヶ月後、件のドラッグストアがあった場所は更地になっていた。あの愛されないセルフレジも消えたのだろうか。はたまた他の店に引き取られたのだろうか。まあ、私が気にすることではないだろう。
半年後、私は無事ユウトとの結婚式を挙げた。
私が「お前を愛することはない!」などと言われることはなく、むしろ愛されすぎて困ったのは別の話である。
若干盛っていますが、これに近いセルフレジは実在します。提示の手間ばかりでロクに貯まらない泡沫クソポイントは滅びてほしいものです。
ドラッグストアで騒ぐなよ、という突っ込みはなしで。