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episode07 父の研究②

 タクシーは砂利道を揺れながら進む。

 空港を出て2時間くらいたっただろうか。

 視界に現れたのはスリランカ伝統植物研究所の巨大なゲートだった。

 コンクリートで頑丈に造られたそれは、周囲の鬱蒼と茂る森と対照的に無機質で冷たく感じられる。


「さあ、着いたわよ」

「ここが……父さんが働いてた研究所?」

 柊はゲートの向こうを見つめる。高い柵に囲まれた敷地内はほとんど見えず、ただ鬱蒼とした森が広がっているのがわかるだけだった。


 ラシャは軽快に車を降り、ゲート脇にあるインターホンのような装置に手を伸ばした。

「ウィジャヤラトナ・ラシャです。約束通り、連れてきたわ」

 短く言うと、無骨なゲートがギギギ……と音を立てて開き始める。

 柊はラシャの後について車を降り、敷地内に足を踏み入れた。


「ここが……」


 目の前に広がる植物園。見たこともない植物ばかりだ。道沿いには薬草の畑が広がり、その奥にはガラス張りの温室がいくつも並んでいる。温室は南国の強い日差しを受けて光り輝き、その中にはやはり見たことのない形や色の植物がびっしりと植えられていた。


「これがスリランカ伝統植物研究所よ」

 ラシャが誇らしげに振り返る。

「ここでは、アーユルヴェーダで使われる植物を研究しているの」


 柊は首をかしげた。

「アーユルヴェーダ……って何ですか?」


 ラシャは驚いたように目を丸くし、それから軽く笑った。

「そっか、アーユルヴェーダって日本ではあまり馴染みがないわよね」


 彼女は歩き出しながら説明を始めた。

「アーユルヴェーダはね、インドやスリランカで古くから伝わる伝統医学よ。直訳すると『生命の科学』って意味になるの」


「生命の……科学?」

 柊はピンと来ない様子で反応する。


「ええ。身体と心と魂の調和を大切にする医学よ。たとえば、病気を治すだけじゃなくて、病気にならない体を作ることも目的のひとつなの」

「へえ……」

 なんだか胡散臭い宗教のようだな、と柊は思った。


 ラシャは足元の畑を指さした。

「ここに植えられているのは、トゥルシー、アダトダ、アシュワガンダ……どれもアーユルヴェーダで使われる大事な植物よ」


「覚えられそうにないな……」

 柊は苦笑した。

 ラシャは軽く笑ってから、畑から葉を一枚摘み取った。

「これがトゥルシー、ホーリーバジルね。ちょっと匂いを嗅いでみて」


 差し出された葉を、柊はおそるおそる鼻に近づけた。

「……スパイシーな香りですね」

「でしょ? でも、この香りには心を落ち着ける効果があるの。アーユルヴェーダでは、免疫力を高めたり、ストレスを和らげるのに使われるのよ」

「でもハーブでしょう?そんな効果あるんですかね」

 そういえば昔の彼女も、アロマだのハーブだの好きだったっけ。

 たしかに部屋を良い香りにしたり、リラックス効果はあるかもしれない。でも「医学」といわれると疑問だ。

 こんな研究所に父親がいたなんて……。


 柊は改めて畑を見回した。

「あなたたちは、ここでこういう植物ばっかり育ててるんですか?」

「柊くん」

 ラシャは少し真剣な表情になった。

「日本人の感覚では、アーユルヴェーダなんて古いと思うかもしれない。ただのアロマだと思うかもしれない。でもね、コロンボ大学や日本農業大学とも連携して、伝統医学と現代科学を融合させる挑戦をしているのよ」

 柊は驚いた。著名な大学を持ち出されたことは、柊のアーユルヴェーダに対する認識を改めさせた。


「……それが父さんの研究だったってことですか?」


 ラシャは遠くの温室を指さした。

「あの温室で、あなたのお父様はとても熱心に研究していたわ。さあ、あちらに行きましょう」

 柊はラシャのあとについて歩きながら、なんだか妙な違和感を覚えていた。


 施設内にはラシャのほかに誰もいないのか。

 あまりにも静かだったのだ。

「ラシャさん……父さんは追われてるって言いませんでした? ラシャさんも、俺も」


 その言葉に、ラシャの動きが一瞬止まった。

「こんなところに来ちゃってもいいんでしょうか?だってラシャさんも追われているんだったら――」


「……ええ、そうだったわね」

 その言葉が終わるや否や、背後でかすかな足音が響いた。

 柊が振り返ると、ゲートの向こうから白衣を着た人々がぞろぞろと現れるのが見えた。


「なんだ……あれ?」

 柊は声を絞り出す。


「ラシャさん……」

 柊は一歩後ずさった。


「草壁柊さんですね」

 先頭に立つ中年の男が、抑揚のない声で言った。


 柊が返答する前に、男が短く指示を飛ばした。


「拘束しろ」

「えっ?」


 白衣の男女はまっすぐに柊に向かってやってくる。


「ラシャさん!まずいって!」

 ラシャの腕を掴んで走り出そうとしたその瞬間、ラシャは静かに柊の手を振り払った。


「ごめんなさい、柊くん。……仕方ないの」


 彼女の冷たい微笑みが、柊の胸に深い恐怖を突き刺した。

「ラシャさん――」


 白衣の男女の手が柊の肩を掴む。

「離せ! おい! 話を聞けって!」

 柊の叫びが、研究所の中に虚しく響いた。

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