episode06 父の研究
コロンボ空港に到着した瞬間、柊はスリランカの熱気に圧倒された。
タラップを降りると、南国特有の湿った空気が体にまとわりつく。スーツ姿で来たのは失敗だったと、早くも後悔する。
空港は南国の雰囲気と近代的なデザインが混ざり合っていた。ガラス張りの天井からは柔らかい光が差し込み、周囲にはカラフルな看板や観光客で賑わう両替所が並んでいる。
「さあ、行きましょう!」
ラシャは派手なスーツケースを手に、軽快な足取りで歩き出した。柊はため息をつきながら、その後を追う。
ロビーにはタクシーカウンターがあり、長い列ができている。
まったく勝手のわからない土地ではラシャだけが頼りだった。もしも本当に父親が死んで、一人でスリランカまで来なければならなかったら――と思うとぞっとする。
ラシャは料金を支払っている。
そういえば飛行機代も食事代も、ラシャが支払ってくれていたのだった。
「あの……ラシャさん……お金ですけど……」
「いいのいいの!会社の経費にするか、イツキに請求するからね」
甘えてよいのだろうかとも思ったが、柊の財布にはあまり現金がない。スリランカは、ドルか?通貨の事情すらもわからない。
ロビーを抜けるとタクシー乗り場があり、案内に従ってすぐに乗り込むことができた。
「これがコロンボ……」
柊はぼそっとつぶやいた。
車窓に広がる街並みは、思ったよりも街は発展している。もっと交通の便も悪いかと思っていた。トゥクトゥクと呼ばれる小型の車やバイクがクラクションを鳴らしながら隙間を縫うように走り抜ける。
「いいところでしょ? 本当はゆっくり観光していってほしいけど」
ラシャは笑った。
道路は渋滞している。
道路脇には椰子の木が並び、遠くには白い壁の建築物が見える。
「ねえ、ラシャさん。これからどこへ向かうんですか」
「スリランカ伝統植物研究所よ」
ラシャはにっこりと笑った。
「私と、あなたのお父様の所属する研究所よ。そこであなたに見てほしいものがあるの」
「父さんはなんでわざわざスリランカの研究所に……」
柊がつぶやくと、ラシャは首をかしげた。
「あなたはお父様のことをよく知らないの?まるで他人みたいに話すのね」
「そうですね」
柊は苦笑した。
「俺が小学生になる前に生き別れたんです。そのときから俺は、父親はもう死んだものだと」
ラシャは悲しそうな顔をした。
「だからなんでいまさら呼ばれるのかもわからないし、ましてやスリランカなんて……」
ラシャは言葉を飲み込むようにしてから、優しく微笑んだ。
「イツキがなぜスリランカにきたのかは、私も詳しくは知らないわ。でも……日本では研究できないことがあったみたい」
柊はタクシーの中でうつむいた。
――俺や母さんのことを捨ててまで、スリランカで研究したいことって?
窓の外にはスリランカの喧騒と緑が流れていく。
そんなに研究したいのなら、一人で気が済むまで研究し続けたらいいじゃないか。
――いまさらどのツラさげて俺と会おうっていうんだよ。
胸の中に湧き上がる苛立ちと、それを打ち消そうとする理性がせめぎ合う。
それでも柊は、スリランカに来てしまった。
――ばかじゃないのか、俺。
父親に会う理由を、自分でも見つけられない。
期待しているのか。
父親が俺に助けを求めているとでも?
俺を捨てたことを後悔して、これまでのことを詫びるとでも?
――ありえねえよ。
自分の考えが馬鹿らしくなり、柊はかぶりを振った。だが、心の奥底では、消えない何かがある。
柊はスーツのポケットに押し込んだスマホを握りしめた。
「柊くん、大丈夫?」
「ええ……」
短く答えたものの、声がかすれていたのに自分で気づく。
ラシャは何も言わず、窓の外に目を戻した。
タクシーは緑が深くなり始めた田舎道へと進んでいく。
柊は目を閉じ、心の中で小さく呟いた。
――俺は、父さんに何を求めているんだろう。