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episode05 あの日の食卓

 ジープはエンジン音を響かせながら街を抜け、高速道路へと入った。

 窓の外には緑が流れ、時折見えるサービスエリアの看板が目に飛び込んでくる。

 ラシャは運転席で陽気に鼻歌を歌っていたが、助手席の柊は景色をぼんやりと見つめるばかりだった。

 ――久しぶりに父親に会う……のか。

 まだ会えるともわからない。どんな顔をしていたっけ。思い出すのは父親の背中と、白髪の混じった髪。細い肩。気難しそうな顔だけだ。

 窓から差し込む日差しが、ふと昔の記憶を呼び起こした。


 幼い頃、父親はいつも自宅の研究室にこもりきりだった。

 リビングには顔を出さず、柊が研究室に入るのをひどく嫌った。

 声をかけても振り向こうともしなかった。

 母親も植物の研究をしていて、日当たりのよいマンションのベランダや窓際には、鉢植えがずらりと並んでいた。


「ひいちゃん、このお花、いい香りでしょ?」

 母親は嬉しそうに白い花を指さした。

「スイセンよ。お母さんが育てたの」

 黄色の小さなスイセン。母親がよく好んでいた。

「きれいだな」とは思ったけど、柊は植物にはあまり興味を持てなかった。

 そのことを母が悲しんでいることに、柊は気が付かないふりをした。

 平和だった。――母親が病に侵されるまでは。

 いつからか母は咳をするようになり、体が弱っていった。

 新種の結核だと医者が告げたとき、父は「そんなはずはない」とだけ呟き、それ以降、病院にはほとんど顔を見せなかった。

 柊は母の病室のベッド脇で、握った手の冷たさを今も覚えている。

「ひいちゃん、お父さんを支えてあげてね」

 母の言葉は、どこか悲しげだった。

「あの人は……寂しい人なのよ……」

 母は病室の窓際に飾られた黄色のスイセンをみつめてつぶやいた。

 それから、柊は親戚の家に預けられた。

 親戚の家では、柊がこれまで食べたことのない料理がたくさん並んでいた。

 オレンジ色のドレッシング、きれいな色をしたハム、バターの香りが漂うパン……どれも初めて口にする味だった。

「ひいちゃんのお母さんは、こんなもの食卓に出さへんのやろなあ」

 おばさんが笑いながら言った言葉の意味が、そのときはよく分からなかった。

 ただ、何となく居心地の悪さを感じた。

 その頃、唯一優しくしてくれたのは、5つ年上のメグミさんだった。

「ひいちゃんのお母さんは、オーガニックなものしか食べないのやって」

 メグミのぬいぐるみ遊びに付き合っていると、そんなことを言われた。

「オーガニックな食べ物って、どんな味なん?」


「おーい、柊くん!到着したわよ」

 ラシャの明るい声で、柊は現実に引き戻された。ジープはいつの間にか空港前の駐車場に停まり、ラシャが助手席に顔を覗き込んでいる。

「お腹空いたでしょ? 何か食べる?」

「あ、いや……大丈夫です」

 柊は曖昧に答えながら、晴れやかな空に目を細めた。

 いまから、スリランカへ行く。

 はじめての土地に、父に会うために。

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