Episode.1-1本の電話
父親の残した言葉が、スマホの画面に浮かび上がっている。
――デスプランツの森で待つ
「関係ないだろ、いまさら……」
草壁柊は、吐き捨てるようにそうつぶやいた。
父親からのメッセージはこれで2度目だ。父親が行方をくらました2024年に一度、それから2027年の今日――4月7日。
中学校教諭の担任である柊が、最も忙しい日だと知っているのかいないのか。
「世間知らずのジジイが、知るわけもないか……」
柊はスマホを閉じた。
考えたところで、何かが変わるわけじゃない。
鏡の前に立つと、寝癖がぼさぼさに跳ねている。
「あーあ、またかよ」
櫛で整え、手早く整髪剤を塗り込む。そのあと電動シェーバーで無精ひげを剃りながら、ちらりと壁時計に目をやる。7時10分。急がないと、また主任に嫌味を言われる。
冷蔵庫を開け、昨日買った山崎の「まるごとソーセージ」の袋を取り出す。パッケージを剥いて口に押し込んだ。食べながら電気ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーをマグカップに注ぐ。
カフェラテにするほどの余裕もない。粉っぽい味が口の中に残った。
ジャケットを手に、ボロアパートの階段を駆け降りた。
中学校へは徒歩5分。ギリギリまで眠れる距離で、しかも中学校から少し離れているこの立地は最高だ。
小さな川を渡ると、ぽつぽつと中学生の姿が見える。新学期を迎え、なんとなく緊張した表情の学生たち。正門を抜けると下駄箱の前で学生たちが顔を寄せ合って騒いでいる。クラス分けの紙が貼り出してあるのだ。学校もだいぶデジタル化が進んでいるとはいえ、このクラス分け発表だけは未来も続いているんじゃないだろうか。
バタバタと走る足音、生徒たちの楽しそうな声。
廊下に笑い声を響かせている。
教職員室では、同僚たちが書類の確認に忙しそうだ。柊も同様に、新しいクラス名簿をもう一度確認していた。これまでと変わらない、一年がまた始まる。
朝礼を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「……行くか」
柊は立ち上がり、書類を抱えて職員室を後にしようとした。
変わらない日常。このまま続いていくはずの平穏。
だが、それは……1本の電話で終了した。
職員室に電話の呼び出し音が鳴り響く。
「ああ……はい、はい。はい、草壁は……うちの教職員ですが?」
電話を耳に当てながら教頭が顔を上げ、柊の方に視線を送る。
「草壁先生、ちょっと来てもらえますか」
応接室に手招きされ、無機質な白い扉が閉ざされた。
カチリと鍵が回る音がした瞬間、背中に嫌な汗がにじむ。
「あの……なにか……」
新学期早々、保護者からのクレームか?
柊の頭には、これまで保護者から突きつけられた“理不尽なクレーム”の数々が次々と浮かんでくる。
『先生がうちの子にあいさつする声だけ冷たかったそうです』
――え、それだけで?
『担任が男性教師だなんて聞いてません!』
――え、それ男女差別では?
『授業中に窓を開けていたせいで風邪を引いたみたいなんですけど』
――いやもう知らんがな!
理屈も何も通じない要求。新学期早々、軽く胃が痛くなる。
いや、もっと細かいことかもしれない。
「大変なことになりました」
教頭のあぶらぎった額に朝の陽が反射し、部屋の空気がじっとりと重たく沈む。
何かが起きている――それだけはわかった。
「大変なこと……とは……?」