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7 小さなピアノコンサート

「詩音! 遊びに来ちゃった」

 病室の扉を開けた雛子は、明るい声をあげながらベッドの上の詩音に駆け寄る。だけどうしろにいた蓮には、扉を開ける前に一瞬、雛子が拳を握りしめたのが見えた。


「ヒナ? え、蓮くんも? 一緒に来たの?」

「ん、そこで会ったから。ヒナも蓮のピアノ、一緒に聴いてもいい?」

「もちろんだよ。蓮くんのピアノ、本当に素敵なんだから」

 嬉しそうに笑う詩音の表情は明るくて、先日蓮が会った時と何も変わっていないように思う。

「今日はね、お願いしてホール借りちゃった」

「ホール?」

 首をかしげる蓮に、詩音は楽しそうに笑いかける。

「うん。どうせ聴かせてもらうなら、グランドピアノで聴きたいじゃない。先生にお願いしたら、使ってもいいよって」

 早速行こうと手を引かれて、蓮も笑ってうなずく。先生というのは、この前会った相馬医師だろうか。こうやってホールの使用許可までくれるのだから、あの時は冷たいことを言われたけれど、案外いい人なのかもしれない。

 詩音の楽しそうな表情を見ているうちに、忘れられているかもしれないと不安になったことなんて、蓮はすっかり忘れてしまっていた。


「あ、待って。先にこれ渡しとく。担任から」

 雛子が、鞄から白いプリントを取り出して詩音に手渡す。ちらりと見えたその内容は、どうやら進路相談のものだ。蓮も先週悩みながら記入したから、どこの学校でも一緒だなと少しだけ親近感がわく。

「ありがとー」

 笑顔で受け取った詩音は、さっと内容に目を通したものの、そのまま折り畳んでぽいっとゴミ箱に放り込んだ。

「それ、大事なものじゃ」

 思わず声をあげた蓮に、詩音は困ったような笑みを浮かべる。

「だって、進路相談なんて、私には必要のないものだから」

「……え、」

 戸惑って目を瞬く蓮を見て、詩音は首をかしげた。さらりとした黒髪が、それに合わせて揺れる。

「この前説明したでしょう、私の記憶のこと。私ね、もう高校のクラスメイトも先生の顔も忘れちゃってるんだ。今は一応籍だけ置かせてもらってるけど、高校にもほとんど行ってないし、進級せずにこのまま退学することになるだろうから」

「……ごめん」

 蓮は詩音に思わず頭を下げた。

 最低だ。言わせてはならないことを、詩音に言わせてしまった。蓮に向ける表情は前回会った時と何も変わらないから、彼女の病気のことを軽く捉えてしまっていた。斜め前からも、雛子の刺すような視線が痛い。

「ううん、蓮くんは気にしないで。私ね、蓮くんのこと覚えていられたこと、本当に嬉しいんだ。だからお願い、ピアノ聴かせてね。忘れないようにって、蓮くんが弾いてくれたピアノ、頭の中で何度も歌ったんだよ」

 そう言って笑う詩音の優しい言葉に、蓮は唇を噛んでうなずいた。

「詩音ちゃんが聴きたい曲、何でも弾くよ」

「わぁ、やったぁ! えぇとまず、『ため息』は、絶対はずせないでしょ。それから何がいいかなぁ」

 指を折って弾いて欲しい曲を挙げていく詩音にうなずきながら、蓮は雛子にこっそり踏まれた爪先の痛みに耐えていた。


 ◇


 詩音に連れられて行ったホールは、百人ほどが入りそうな広さだった。病院にこんな場所があるなんてと驚いたが、入院患者向けのコンサートが開かれることもあるらしい。

舞台の上にはグランドピアノが置かれていて、弾かれるのを待っている。

「ねぇ、早速弾いて! 私、どこで聴こうかな。指が見える近くがいいかなぁ。ヒナはどこがいいと思う?」

「せっかくのホールだし、ど真ん中が良くない? うちらだけのためにって感じが出るじゃん」

「じゃあ、ここにする〜」

 楽しそうに笑い合いながら、詩音と雛子がホールの中央付近の座席に座る。いいよー! と言う声に手を振り返して、蓮はピアノの前に座った。


 最初に弾くのは、詩音が好きだと言ったリストの『ため息』。それから、雛子のリクエストで最近流行りのドラマの主題歌を。そのあとは、二人のリクエストに応える形で色々な曲の有名なところだけをいくつか弾いた。

 

 詩音は前回と同じように目を輝かせてくれたし、雛子も、案外弾けるじゃん、と素直じゃない褒め言葉をくれた。

 それほどでもないよと謙遜しつつも、二人に褒められて悪い気はしない。でれでれと伸びた鼻の下を押さえていると、後方にあるホールの扉が開いた。

「あれ、残念。もう終わっちゃった?」

 穏やかな声と共に入ってきたのは、白衣の中年男性。

金居(かない)先生!」

 詩音が座席からぴょんと立ち上がると、男性のもとに駆け寄っていく。詩音の主治医は先日出会った相馬だと思っていたのだが、違うのだろうか。

 戸惑う蓮に視線を向けて、金居はにこりと柔らかな笑みを浮かべた。

「はじめまして。詩音ちゃんの主治医の金居です。蓮くんっていう、ピアノの上手なお友達ができたって聞いたから、ぜひ聞いてみたかったんだけど、ちょっと遅かったか」

「あ、えっと、俺のピアノで良ければいくらでも」

「わ、嬉しいなぁ。それなら一曲リクエストしようかな」

 金居が挙げた曲は、最近CMにも使われたメジャーなクラシック。それほど難易度の高い曲ではなかったのであっさりと弾いてみせると、金居は大きな拍手をしてくれた。


「詩音ちゃんの言ってた通り、すごく上手だね」

「ありがとうございます。あの、金居先生が詩音さんの主治医なんですよね? 俺、別の先生かと思ってて……」

 先日会った相馬のことを思い浮かべつつそう言うと、金居は一瞬首をかしげたものの、すぐに何かひらめいたようにうなずいた。

「あぁ、相馬先生かな。相馬悠太先生。詩音ちゃんの従兄で、よく様子を見に来てくれてるから」

「従兄……」

 詩音を守ろうとする相馬の姿勢は、確かに主治医だからというよりも従兄だからと言われた方がしっくりくる。

「蓮くん、悠太に会ったの?」

 詩音が首をかしげるから、蓮はうなずいた。

「うん、この前帰り際に。詩音ちゃんのお友達? って聞かれたから」

「そうなんだ」

「言われてみれば、雰囲気とか似てる……かも?」

 笑ってそう言いながら、相馬と交わした会話の内容は詩音に告げないでおこうと蓮は密かに唇を引き結んだ。



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